創刊の辞
昭和34年(1964年)
創刊の辞
ささやかなる意志と、ささやかなる目的とを以てここに「峠」を創刊する。
二号がいつ出ようと、三号がついに出なかろうと、そんな事は知り及ぶ所ではないが、ただ強健なる輪子による驚嘆欠く能わざる奇稿の排出せん事を願えば、それで意に叶うと考えている。
あるいは又幾星霜を経た日に、埃にまみれた棚の片隅からこの小冊子を引き出して、
青春の血汐ここに極まれりと嘆ずる者のあらん事を思えば、それで満足するに足ると信じている。
五月晴れの空、生命の息吹を総身に漲(みなぎ)らす早稲田の杜に、かかる意志とかかる目的とを以て、ここに「峠」を創刊する次第である。
会と会員 – 服部
会と会員 服部
我々の会はもちろん、サイクリングについて論ずるための会ではなく、サイクリングをするため
の会である。しかしサイクリングについて、あるいは会について論ずる事により、
我々のサイクリングや会が、より愉快に、有意義になるものなら我々がそういうことに注意を
払うことは必ずしも不必要ではないだろう。
なぜ、この会はつくられたのであろうか。言うまでもなく、会員がサイクリングの知識を交換し合い、
いっしょに走るための親しい友を得るために会員によってつくられたのである。
我々は会をつくることによってのみ、これらの便宜を得る事ができる。
しかし同時に、会の運営に伴って出てくる煩雑な仕事は、当然会員自身が引き受けなければならない。
しかもそれは、できるだけ平等に分担されなければならない。
もし会員の多くが仕事を怠ると、どうなるであろうか。それらの仕事は、一部の上級生たちが
背負わざるをえなくなるだろう。なぜなら上級生たちは、会の存続に厚い責任を感じているのだから。
実に指導者たちの犠牲によって、したがって必然的に指導者たちの独断によって、
会は運営せざるを得なくなるのである。このような条件の下で明朗で自由な空気の会を望む事は
できない。こういう意味からも、会全員による平等な仕事の分担が必要なのである。
「国民の、国民による、国民のための政府」は民主主義を表現した言葉として有名である。
その言葉は、
「国民が、自分達のために、自発的に、自らの責任において組織した政府」
という意味であって、たくましい個人主義によってささえられている。我々の会がより民主的であるためには、会は、会員個人個人の自発的な意志と責任によって支えられねばならない。
クラブ活動としてのサイクリング – 宮田
クラブ活動としてのサイクリング 宮田
サイクリングというスポーツは、あくまで個人的なスポーツであり、又多くのスポーツのように
それを行うことにより、他の人々と喜びをわかち合うようなものでないと思われる。
このスポーツは、あくまで個人的に、自分自身の能力の範囲内で行い、その中で自分なりの満足を得、
身心を鍛えるスポーツであろう。
しかるに我々が大学において、“サイクリングクラブ”と称し、パーティを組んでサイクルツーリングを行うには、どのような意義があろうか。
大学のクラブは、近年あらゆるところで言われている様に、大学のマスプロ化に伴い、学生と教師、
学生と学生の間の人間関係の親密度がうすくなり、その結果大学のひとつの使命である「人間性の陶冶」という点がなくなりつつあり、それを補うものとして、重要視されている。
この点は、当然大学でのサイクリングクラブもそなえていなければならぬ。しかし今述べたことは、
クラブ一般論であり、何もサイクリングクラブに限ったことはない。そこでサイクリングクラブが
他のクラブと異る点としては、勿論自転車を利用しての旅行である。
そして特に強調されねばならぬのは、その旅行が団体で行われ、その中で友情とか広い見聞や、又人間性を深めることではなかろうか。その為には始めに書いたような、サイクリングが個人のものであり、その人の能力内で行われるべきものだという点が無視され、その人の能力以上のものを要求されるかも知れぬ。
しかし、パーティを組んだサイクリングが個人的に行うサイクリングの良さ以上の物を得られる様に、
クラブの方向を持って行けば良いのである。たとえば、今までの自分の能力以上のものを獲得するための練習(これなどは個人で行なわれにくいものだが、集団としては行ないやすい)とか、旅行のための計画とか、旅行後の記録のまとめやそれらに関する文集とか、又、たまには自転車に乗らずにハイキングとか、色々の事が行ない得ると思う。
又クラブを運営し、発展させ、内容を充実させることは、当然クラブが存続するためには必要な事である。
この様な事の中にも、色々個人でサイクリングを行なうだけでは得られないものが習得されるであろう。
以上の事はややサイクリングについてではなく、クラブ一般論となってしまったが、大学の一つの
クラブとしてのサイクリング活動が以上の事をマスターできれば、クラブ員は大学生活を有意義なものとして過されよう。
スポーツとしてのサイクリング – 山添
スポーツとしてのサイクリング 山添
“サイクリング”それは楽しいスポーツとして考えられねばいけないと思う。楽しいスポーツとはどういうものであるのか?
楽しいという語は形容詞でスポーツを修飾している。だからサイクリングはスポーツとして
考えられなければいけないと思う。主として体を鍛錬して、精神を健全化するのが本当の目的である。
そこでだ。たとえば陸上競技や水泳その他いろいろなスポーツがあり、それぞれに面白味があるが、サイクリングは人間が最高に自然に接するスポーツである故、最も楽しいスポーツであると思う。
長期の旅に出る場合において、クラブ全体で行動することによって団体行動を正しく見てゆき、それに対する自分を厳しく批評し、人格形成に努力できる場として大いに活用したいものである。
又、一人で旅に出る場合においても地方地方の風俗、習慣を勉強しつつ、知らない土地において危機におち入った場合にでも的確な判断が下せるような心を養うなど、これらが自然と、社会へ出てからも役に立つのはいろいろと論議するまでもなく、
最高のスポーツとしてのサイクリングをやろう。
(会計)
サークル活動としてのサイクリング – 中村
サークル活動としてのサイクリング 中村
一般にはサイクリングの本質について
1.自分自身の力で
2.自由に
3.自然のうちを走る事だといわれる。
しかしながら我々大学のサークル活動としてのサイクリングがこれらの本質を満たすだけで満足するなら、それは意味のないものであると言わねばなるまい。
はたして個人的なスポーツであるといわれるサイクリングと、規律あるサークル活動としての
サイクリングは矛盾しているのか。
さらにどんな運動(スポーツ)にもつきものの強健な肉体、そして不屈の忍耐力養成という面を
おろそかにしてよいのだろうか。
我々のサークル活動は単にサイクリングそのものを楽しむということだけが目的なのではなく、
団体生活によってのみ得られる広い意味の人間性の発展、すなわち部員相互の人格的接触による
自己の確立、創造力の進展、人格形成、リーダーシップの育成、その他を目指しているのである。
それ故に我々の場合にはサイクリングの個人的性格は無視せざるを得ない。
具体的にはコースの決定、走行距離、目的地、その他に関する各人の意見を部に反映する事はできても
自分の思うまま自分勝手に行動する事は許されないのである。
(それを望むならプライベート・ランという機会がいくらでもある。)
いうまでもなくサークル活動は団体で行われている。ここに一般のサイクリングとの相異の第一点がある。
次に我々はサイクリングによって自然に親しみ、旅情を味わい、幅広い教養を身につける事は
一般のサイクリングと同様大きな目的である。しかし我々はそれだけでは満足できない。
我々の肉体はこの時を逃がして、一生厳しい鍛錬に耐える事はできないである。又、忍耐力もやはり現在最も鍛え得る好機ではないのか。
苦しみあってこそ思い出も楽しみが倍増するのである。この点では異論も多い様だが、
やはり我々のサイクリングにはこの要素も加えた方が良いと思う。
以上一般のサイクリングと我々のサイクリングの相異を比較してそのあり方を述べたが、読者諸君の意見を伺いたいと思う。
地図とサイクリング – 阿部
地図とサイクリング 阿部
地図、ちず、チズ・・。いや全く一見して無味乾燥な言葉である。しかし、一見して無味乾燥な
この砂漠にもオアシスを見つける事ができるのだ。すなわちMAP READING(地図を読む事)の楽しさである。
地図は見るものであると同時に読むべきものでもある。そしてMAP READINGの楽しさを味わってこそ
サイクリングを2倍にも3倍にも楽しむ事ができるのだ。
マリリンモンローの如く“女は三回勝負する”なら地図も又“三回勝負する”のである。すなわち旅行前に計画を練る時の楽しみ、これは、今さら言うまでもなく誰でも一度は経験している
ことであろう。
次は旅行中に於てである。地図に示された道をたどりながら目的地に一歩一歩近づいて行く、
あの楽しみである。この時程地図のありがたみが解る時はあるまい。
この時に現地と地図との場所が一致し、脳裏に深く刻みこまれ一生その影をとどめるのである。
そして第3番目の楽しみとは、旅行を完了しゆったりした気分の時に自分の今まで通って来たコースを
今一度たどってみると、おのずと誇らしさを伴った満足感に包まれ思わずえみをもらす、あの楽しさを持つ事であろう。
1枚の地図君もこれだけ利用されればきっと満足してくれるに違いない。
なぜなら自分はできるだけ有意義に利用される事に意味があるのだという事を、彼は充分知っているからだ。
さあWCCの諸君!! ただ先輩のケツばかり眺める様なサイクリングは止め、先輩にケツを見せてくれ!!
地図、ちず、チズ・・・・・・・。いや何と楽しい言葉であろうか。(企画)
サイクリング – 長嶺
サイクリング 長嶺
サイクリングに対する考え方は各個人によって異るものであるので、その異った考え方を持つ一人として、サイクリングを通じて何を求めているかという事を記して見たい。
多様な場合においてもそうであると思うが、手段や技巧によって得たものは手段や技巧によって再び
自分のもとへと帰されるという前提により、サイクリングを享受する場合に於いても、各個人の持つ
特性を充分に生かし、本質を握んで行く事が大切であると思う。
又、各人が相互に作用し合う事により価値を与え合うという依存関係を理解し、相対的に一致する点
が存していなくてもクラブという共同組織体によりばれる事によって、サイクリングそれ自体は物質的なものであろうが、根本は精神的なものであるという事を、よく理解する事が大切でないか
と思う。
知識はいかなるものでも貴重なものである。経験も又同じである。それ故、その手段が何であろうとも、それに打込んで得たものは、その人の血となり肉と化すであろう。我々クラブの本質をつらぬくものは各人に、自転車を通じて精神的強さを養う事であり、野性味を持たす事である。
自転車はいわばその為の物言わぬ物体であり、それ故に非強制的な道具でもあろう。
しかし、我々はサイクリングを通して精神的に鍛錬しようと努力するかたわら、単に、この様な一義的なものに終わらせてはいけないので、人間誰れでも持っている自然への憧れを満たすものとしても利用されねばならず、究極的には各個人の参加する態度にかかってくるのではないか。
それと同時に又我々大学生として 物事に対する追及心を持つが故に、新しい知識を吸収しようとする前向きの態度が必要であり、単に乗り回すのみでなく、そこに何等かの研究心が必要でないかとも思う。
結局、我々のクラブの行き方として必然的に伴っているものは、サイクリングはスポーツなるが故に、そこに反思想的な人間味を生じさせ、振幅性の強い親和力と行動力を生じさせるものである、ということである。
サイクリング雑感 – 入学
サイクリング雑感 入学
私は生粋のサイクリストと自認するには、余りに自転車に関する知識が不足しており、サイクルツーリングの理論においてもその裏づけを欠いておる。即ち、私はサイクリストとは似て非なる一自転車乗りに過ぎない。
その上、サイクリングを唯一の娯楽とか無二の健康のバロメーターなどと大袈裟にその効用を述べたてる積もりは毛頭ない。全くサイクリストのつら汚しに違いない。
にも拘らず、依然として当クラブに在籍している所以のものは、クラブ員(先輩諸氏を含めて)が皆“イカス奴ら”だからである。もっとも私のトレードマークたる怠惰の性格が、非常に“イカス奴ら”と相性がいいということにもなる様である。
しかし渉外係を仰せつかった今となっては、無責任な行動は極力慎まねばならなくなった。
とは云っても酒は呑まないと云った覚えはない。女についても然り。諸君のオコボレでも拾わせてもらうつもりだ。
私の記憶ではサイクリングというスポーツが、人間の気質に如何なる影響を与えるかについて論じられた記事を読んだ事がなかった。さいきん映画で有名になった「アラビアのロレンス」の主人公T・E・ロレンスの伝記小説を読んで、私は一大発見をしたのである。
T・E・ロレンスにとって「学問に対する愛情はオクスフォードが培かってくれたものだったが、自由と冒険の感覚は、彼の最大の宝であった自転車がやしなってくれたものであった。」
そしてロレンスがアラビアに考古学者として赴いた動機も自転車旅行中に想いついたものであったし、戦争中不毛の砂漠で不死身の活やくができたのも、少年時代のサイクリングによる、身心の鍛れんによるところが大きかったのである。
もし若き日のロレンスに、自転車という格好の相棒がなかったとしたら、彼は伝記中の人物とはなり得なかったであろう。我々は、この話を大いに誇りにしてよいと思う。
最後に、サイクリング旅行の醍醐味をビデオテープ式に表現しようと試みたが、名文が浮かばない。
そこで、私の脳裡に焼きついたクライマックスの場面を、コマドリ写真でごらんに入れましょう。
山路を登りながらこう考えた、と誰かが書いているが、長距離旅行に於ては、必ず何回かそんな悠長
なことを云っておれないけわしい峠のデコボコ道を経験するハズである。
あえぎあえぎ息を切らせて峠を登って行く人の表情には、俗世間の汚れや、生来のみにくさ(?)が
一瞬姿を消して、ふだんは25才には見られる人でも、幼い少年のあどけなさが閃くから不しぎなものである。
私はこのあどけなさ、精魂つき果てたあとの喜びにこそ、サイクリングの醍醐味を痛感するのである。
自転車雑感 – 寺島
自転車雑感 OB 寺島
この世の中で真に社会生活を営み、一廉の績を果すためには、図太くて細心な精神と、強靭で忍耐力に富む肉体を兼ね具える事が必要条件であると考える。
勿論その上に学識、良識、経験、体験等が十分条件になってくる。
後者は各人の各方式に一任するとして、前者の必要条件について云うならば、小生の僅少な体験
からすれば、自転車に乗る事以上にこの条件に適するものはないと思う。
四季の変化、天候、地形等に応じたハンドルさばきとペダルの踏み方、道のえらび方等と臨機応変な精神連鎖反応がなければならぬ。特に、交差点行動は青色であれば問題はないが、交差点内で黄色変化となった時には、即時脱出を図る必要がある。
始めから赤色ならば歩行者横断用白線の前で必ず停止する冷厳な自己統制が行われる。図太くて細心とはこのことを云う。
強靭な身体は、自転車に乗っていれば楽しみながら自然に出来る所に、このスポーツの一大長所がある。我々自転車マンがペダルの回転をやめる事は、羽根のない鳥、陸に上った鯨同様であって、無意味な存在以外の何者でもない。即ち、たゆみのないペダルの回転によって、新陳代謝が活発に行われ、体内毒素の排出が促進され、抵抗力の大きい体ができるわけなのである。
同時にうむことを知らぬ前進のみが、目的地への輝かしき到着と云う代価となり、ここに於ておのずと忍耐力の醸成が可能となる。
手近な例では松下電器の会長である松下幸之助氏、若き時に自転車の不思議な魅力にとりつかれ2,3の素人レースにも参加され、若き日の感激をしているとの話であるし、かの風雲児アラビアのロレンスも学生時代にはヨーロッパ一周自転車旅行をして、身心の朝鍛夜錬を行ったとの事である。
これらの例はほんの氷山の一角であろう。真に独立心の富んだ又決断力あふれる人間性の育生は、自転車に乗って始めて出来得るものと考える。我々は今後とも巾広き人格の形成のために、大いに有効適切に使用すべきである。
“終”
サイクリング一年生 – 長嶺
サイクリング一年生 長嶺
サイクリングで旅行するという事は、何と楽しくかつ楽なものであろうかと、我々、無知な一年生は考え、互いに旅先に夢を走らせて、幸福感にひたっていたのが一年の時で、夏の東北サイクリングであった。
これから生じる醜態をも知らず夜行で新潟へ発った日の我々の晴ばれとした気持ちよ。
新潟駅前で我々一年生4名と二年生2名は、とりわけ、一年生の我々は、一応荷物だけは一人前に自転車に縛りつけ、かっこうだけは申し分なかったが、前日行なった前奏曲がたたったのか、出発よろしく僕は下痢で体調不十分で、路上をまるで牛が歩くようにのろりのろりと走っていた。
宮田君もまるで「くま」のようにのそりのそりと走っていたが、本人に言わせれば全速力で、ただ熊の様に見えるとか。案のじょう、初日の宿泊地、ぶどう村に着くやいなや、床上の様にとそのまま朝まで寝てしまった。
翌朝も同じ事。この分では後から一人で走らねばならぬのかと一抹の不安があったが、常に最後から
走り落伍者のめんどうを見てやるんだと自称(?)している宮田君がついていたので、のんびりと走れた。彼は、「サイクリングに於ける孤独性」と題する論文で博士号が取れるとか。
兎に角、その日は3食を10円の氷ですませた。医学的に興味を持っている人がいたら、おもしろ
かっただろうと思うが、まるで、水を満載したタンク車の様に道路に水をまき乍ら走る。
その道端に咲いていた草はやがて、美しい花を咲かせあたり一面を魅惑の世界におとし入れるであろう。
やがて旅人がやって来てそれを眺め、詩歌に興じるであろう。芭蕉も言った
「山路来て、何やらゆかしすみれ草」・・・・・・
念珠ケ関より海岸線を走る頃より、足が火の棒の様に感じられ、ツートンカラーの模様が
えもいわれず美しい。
とにかく暑かった。宮田君のケジャングルの木陰で、すずかぜを受けてうらやましい。
ひざの上はもう真赤に燃え上り、さらに無数の水ぶくれが出来る。キャプテン言わく、
やがて痛みが激烈になり、ほどなくそれに馴れてしまうだろうと。残酷。兎角道も悪い。
建設大臣の顔が悪魔の顔と化して現前にちらつき笑っていた。パンクだ。ちきしょう。
あせを流して修理している苦しみを見ているぞ。さぞかしおもしろいだろう。
月は東に日は西に。我々はテントの中へ。静かな夜ふけに物思う。遠い星空のどこかで誰かがやさしい声で呼んでいる。
「ぼうや、さあ起きて私と一緒にいらっしゃい。いい所へ連れていって上げましょう。遠い遠い国へ。そこには美しい娘達がたくさんいて、おまえを待っているよ、酒盛りして大いに遊びましょう。
さあおいで、起きて一緒に行きましょう。」さあ起きて、起きて・・・・・起きろ。朝だぞ!!
今日も走る。灼熱の下。さんさんと輝く太陽を真上にいただき、ジャリとタイヤの二重奏。
左手の海の波が、おいでおいでと手まねきしている。ああ何という誘惑。キャプテンの一言により、
我々は絶体に泳げない事になっている。これではまるで空腹時に、食卓に並べてある料理におあずけを
言いわたされている犬と同様だ。
この青い大海原にぽっかりと浮び上って見えて来たのが鳥海山の雄影だった。そこをめざす我々たくましきサイクリングクラブの一同。
宮田君よ。なべが落ちぬ様くれぐれも注意してくれよ。藤原君は犬が来たら逃げないで、肉でも買って渡した方が無難ではないの?
中村君よ。もう少し元気を出して。まるであひるが歩いている様だよ。
菅原さん。糸で縫ったタイヤの具合いかが。
「長谷川さんよ、休んで氷でも食べようよ。」「だめ。」
その自分はしおれて、この様にふにゃふにゃと後からついて行く。
最初にテントを張った日は風が強く、雨が降っていて前途多難を思わせた。
僕と中村君は町へ買い出しに行く。その時、中村君いつものワル知恵を働かせ提案、二人で帰り道に買ったお菓子をパクリパクリ、帰って見ればテントはない。
吹けば飛ぶ様なテントよどこへ行った。急いで荷物をまるめて緊急避難。何とも言えぬ悲壮感がただよっていた。
いよいよ秋田県だ。「どこかにええ秋田おばこえねがー?」
6名、なまはげの様なのばかり来ても皆逃げてしまうのは当然だよ。
男鹿半島の寒風山のスカイラインは日頃の我々の労をねぎらってくれるのに十分だった。
山と海とつぼ焼料理の豪快な調和。潟湖をはめこんだこの半島は、何と言ってもその緑深き湖水と高原的抒情が魅惑的であった。
岬から遊覧船で日本海へ乗り出した。その荒波に船は大きくゆれ、海上に露出している岩礁に激突せぬかと冷あせをかく。海岸の岩はだは美しく、その男性的な魅力は多くの女性をも引きつけ、まるで我々のクラブと同様であった。
この休日を満喫した後、終着駅青森へ向けて出発した。少々走った頃、藤原君、何を思ったのか道路わきの小川めがけて自転車ごと飛び込んだ。
あんまり暑いので自転車も冷やしてやろうと思ったのか。
彼の弁解によれば100m後方で自動車の音がしたので、あわてて道路の端へ寄ったら、自動的に川の中へ自転車が走っていってしまったとか。
無事青森へ着いた時には、日もとっぷりと暮れ美しく山合の部落に咲き誇った津軽リンゴは、我々にもぎ取られるのを待っているようだった。
最初のサイクリング旅行。若体にムチを打って走った初日より、連日の暑さと苦しさに耐えぬき走った事の中に最大の喜びを発見出来た事は、学生生活の良き思い出として後々まで忘れる事の出来ないものとなるでしょう。 (終)
富士のすそ野 – 石倉
富士のすそ野 石倉
4月1日AM6:00上野松坂屋前集合。メンバーは、僕、同級生のM君、高校二年なりたてのU君の3人である。先づ新宿をめざして都電12にそって行く。
リーダーはM君、U君はカメラマン、僕は会計という事になった。
新宿からは素晴らしい道である。休息は一時間おきに10分間。
新宿から30分くらいの所で朝食。近くの牛乳屋で手持ちのにぎりめしを立ち食いだ。
立川で八王子へ左折。八王子をすぎて高尾までは、割り合いに車が少くなって、6つの輪は快走を続ける。高尾をすぎて、高尾山の登り口までは、カッコイイ女の子(男の子は目に入らなかった)が道の両側をゾロゾロ。その為かM君もうれつなスパート。
AM10:00。登り口の自然科学館をバックにスナップを撮って、いよいよ第一の難関大ダルミ峠。
道も細くなってだんだん勾配を増して来た。M君はさすがにどんどん先に行く。
ところが半分くらい登った所でU君の腹がいう事をきかなくなった。飯を食う訳にもいかず彼の車と僕のを取りかえることにした。それでもとうとう路ばたににぎりめしを出してパクつき始めた。
前を通りすぎるドライブカーがジロジロ見てゆく。がそんな事は気にせずしきりにパクつく。
そこへ先に行ったM君が心配して下りて来るなり、ボヤク事しきり。
もうすぐ頂上だと言う事ですぐ出発、やがて頂上。あと相模湖まで快適な下り。スリップに注意しながら間もなく相模湖、ダムまで行って一休み。
相模湖からは、上りあり下りあり舗装道路あり、ジャリ道ありで、全くいやな道だ。
中央本線を上に下に右に左にみながら、桂川をさか登ってPM3:00ごろ大月。
第二昼食のラーメンを食べ一路富士吉田へ。余り急な坂ではないが20㎞ほどずーっと上り坂。その上向い風がずーっとでふんだりけったり。途中、片倉のスポンサーで、日本一周計画中の二人組と話しながら、富士吉田着がPM5:00。山中湖で宿泊の予定であるが、時間が適当なので富士吉田でホステルさがしになった。
又それが一苦労。5,6人に尋ねてやっと落ちつく。富士山がみえると思って期待していたら、雲のいぢわるでその日は見られなかった。
第2日目。空はくっきり晴れあがり富士がくっきりと目前に迫ってきた。
AM8:30ホステル出発。富士を左手にすそ野を山中湖へ向う。ホテル「マウント富士」を背景にスナップ。すぐに篭坂峠、間もなく頂上。そこからは国府津まではほとんど下り。御殿場までの下りは最高だ。
富士が見えかくれする道を下りていると、時々冷い風が肌にここちよくふれる。御殿場でパン食、ところがそこは御殿場ではなかった。御殿場からは御殿場線にそって国府津から国道1号線へ。
途中、U君はトンネルの穴にはまって、ハンドルが下ってしまってネジのしめ直し。
東海道はやはり車が多すぎる。そこで大磯から湘南遊歩道へ。車も少く快走。しかしそろそろU君がバテ気味。やはり初めてのサイクリングだからだろう。江の島へ着いたのがPM5:00ごろ。
城ヶ島へ行くことをあきらめて鎌倉泊りという事にした。ホステルは「日本学生会館」非常に大きなホステルである。
第3日目、東京への帰路である。道のりも少い。のんびり行こうと言う事になった。
出発AM9:00 先づ横浜へ。山下公園でパン食。横浜をぬけるまでは僕が先頭を走る。
第二京浜へ出てPM1:00 多摩川に着き、五反田を通って日比谷公園で休止。それから集合地松坂屋前で解散した。
このサイクルツアーでは、サイクリストのエチケットの一部を学ぶことができたような気がし、又サイクリストに接してサイクリスト同志が、友達のように思えた。
東日本大学サイクリング連盟主催サイクリング講習会 – 藤瀬
東日本大学サイクリング連盟主催サイクリング講習会 藤瀬
5月2日、3時30分、新宿二幸前に、宮田、中村、木村、栗原の諸氏と私との、5人が
集まって新宿から中央線で立川までゆき、立川から五日市線で五日市まで行った。
五日市駅から宿舎へ行く途中、自転車でも入学、岩本さん、2人に出会って7人で宿舎に着いた。
着いてみたら宿舎である寺の本堂の前に女性が多数、バスケットボールをしていたのでシメタと思ったら女性はサイクリングとは関係ない奴らだったので7人の侍、全員ガックリ。
宿舎にはすでに自転車で石倉君と山口君が来ていた。その日はあとから長嶺さんが自転車で、
河野君が電車でやってきた。
翌日、小川君が来たので講習会参加者は12人であった。
しばらくしてから、皆、湯のない風呂に入り6時から待ちかねた飯を都立大、立大、明学大の参加者全員と一緒に、一つの部屋で食べた。
飯は腹がすいている割にうまくなかった。そこで誰かが1食いくらになるかを計算してみたら、わずか1食で60円にしかならなかったので、皆それから批判をしなくなった。その夜は、何もせずに10時ころ皆床についた。9枚の布団に11人が寝たため最初少しもめたが、まあどうにか寝る事はできた。
床に就いてからはおきまりの猥談が一しきりあったあと、長嶺さんのドイツ語の歌で皆眠りについた。
次の日は、朝 中村さんや入学さんが6時に皆をたたき起こして、往復6kmのマラソンをやらした。
其の日は各学校共、2班に分けて、実走と講義を午前午后に分けて交代して行った。
講義は約2時間半行われた。最初の1時間は、もっぱら学校を出てから、そして又年をとって後のサイクリングの楽しみ法についての話で、残りの時間は実際にサイクリングを行う時の乗車姿勢等、私たちにとって大変有意義なお話であった。
実走は朝マラソンで走った川沿いの道を登った。道の両側の山は新緑につつまれていて、自転車をこぐ歩を休めてみとれるほど美しかった。(チョットオーバー)
途中何かというと10mくらいの高さの立派な滝をみて、それから又、30分くらい川沿いに坂道を登って
神戸岩という川の水の力をまざまざと見せつけるような岩を川がV字に切って流れる所まで行って、そこから引きかえした。
その夜は、各校のスライドの映写会をやった。スライドの量は立大が一番多かったが、質では都立大が優れていた。我が都の西北早大は質量ともに二校に比して見おとりした。
映写会が終ってから、早大OBの中山氏の指導でサイクリングの歌を歌って床に就いた。
その時は12時を過ぎていたが、又例のごとく〇談をしていたら、1時すぎた頃、寺の坊主が部屋にやってきて皮肉たっぷり小言をいったので、静かになった。
次の日は皆疲れていてそのせいか6時ころ起きたが矢張りマラソンをやった。
その日は9時から10時30分まで講義があって11時に講習会は閉会となった。
この日の講義は自転車の構造についてで、これも又大変有意義であったが、1つ難点をつけるなら実演というか、実際に自転車を使っての講義がなかった事だ。
単に講師がああだ、こうだと言っただけで、頭に残る物が少なかったように思われる。
それから 講習会全体についての難点をあげれば、折角多数の人間を集めていながら、何もせずに過ごす時間が多すぎた点だろう。しかし、暇があったおかげで各校内部での先輩、後輩、同輩の親密度を増すのに大変有意義であった。
(終り)
北国の日に – 綿貫
北国の日に 綿貫
茜に染まる西空と、黄昏に深く沈む十勝の荒野を残して、今日も北国の陽は果てしなく連なる日高の山々に沈むのだろう。銀色に光る地平線はもう運海の彼方に没して吹き抜ける風だけが、妙に空しい国境の地遠く望む灯もない狩勝の峠に一人茫然と立ちつくす者があるならば、それはひょっとしたら何でもひどく昔の、自分の姿であるかも知れない。
阿寒の町の夕闇、暮れて行く湖を宿の二階の窓から見ていた者の耳に、どこからともなく聞こえてきたヴァイオリンの調べはメンデルスゾーン。旅人の胸に、思い出の町はいつも美しく又哀しい。
摩周の霧は尾根伝いの小径にも深かった。流れる様な乳色にカムイヌプリの怪姿は聳え、カムインシュの島影は消える。ひざまづいたアイヌは胸に結んだ双手をほどこうともせずに、なお瞳をこらして何物か凝視し続ける。神か。
網走はさい果ての岬に近く、遠い山々を浮かべてひろびろと拡がった濤沸の湖。
その原生花園には放牧馬が遊ぶ。水辺を彷徨った午に、透き通った陽光を受けて草に座すと、淡い可憐な花の香の上に青空がどこまでも遠かった。
砂浜に登って、オホーツクの目を射る紫紺に対す。北海の渚の、灰色の砂丘の向うに秘境知床は横たわり、足元には赤い浜茄子の花がただ一つ、潮かおる風に吹かれてゆれていた。そして今、その淋しげな憂愁の内に、短い北方の夏は暮れようとする。
大雪山の連峯は、洋々たる原始林の樹海の向うに残雪を光らせる。北国の旅は次第にせばまる谷の間を、層雲峡に向けて走った。大函、小函の奇観に始まって、銀河、流星の諸滝を配した数百丈の大岩壁が、幾千年の歴史を秘めて黒々と迫る。その寒い様な沈黙旅人は立ち止り、やがてそこに深い吐息を残して去った。あとには又石狩の渓流が一筋、なお黙して行くだけだった。
レースへの招待 – 藤原
レースへの招待 藤原
萌える新緑にまぶしい太陽が6月の季節を運んできました。サイクリスト達は胸をふくらませ、
思い思いの努力で出かけて行きます。何によらず楽しみは開拓しなければやってこない。踏まなけ
れば走らない私達の乗物と同じように・・。
サイクリングが学生スポーツの一環である事は勿論疑いない所であるし、休暇の旅行における
分野で最も大きなウェイトを占めているのも当然な事だ。しかしそれだけで外を見ないのは、
どうも視野が狭いような気がする。
自転車レースは勿論オリンピックの正式種目になっている。本来ならばもっと多くの人の関心を
引き起こさねばならない筈だが、今は何か余り日の当らないスポーツになっている。これは自転車を愛好する者として何とも残念な事だ。
しかし、東京オリンピック大会で輝かしい記録を残せば大きくクローズアップされる事は必定で
あろう。自転車レースの日本の人々に与える印象はその競輪という特殊な条件の為に、何か軽く見られる事は現状ではもっともな事だ。
だが最近の風潮はそのマイナス面を取払ってしまいそうな傾向にある。うれしい事だ。そうなった時に初めてスポーツとしての真のレースが現われ、社会一般の認識の薄さを是正し、一層の一般化を図り、そうしてレースに対する信念を正確に把握するだろう。
自転車競技は欧州における伝統あるスポーツでその歴史も古く、且オリンピックには第1回アテネ大会より正式種目とされ、連続して競技されて来ている。
欧州における自転車のスポーツ性は大別して、サイクリング、ツーリング、レース等であるが、
その頂点は勿論レースである。といってもその選手が学校、会社、クラブとかの専門家ばかりで
ないのである。
パン屋の小僧も、郵便屋も、警官、会社員、学生も、全てのサイクリストがレースを楽しみ、
そして自身がスプリンターであり、ロードマンなのである。
自転車レースはフランス、イタリア、ベルギー、ドイツ等の国民スポーツで、その試合の数は
一年間に1万数千回は常に行なわれている。
東欧、北欧、アフリカ、中近東は当然の事、新興勢力としてのソ連、米国、南米、中南米、豪州等が
加わった今は、チーム数も乗数で増加して世界スポーツにならんとしてきている、
その人気は日米における野球を充分に上まわるものである。自分自身の体力で山野を駆ける
そのスピード感、頭脳的なかけひきの面白さなどがその人気ある所以であろうと思われるが、
それにも増して重要な事はそのプレイにおける美と知であり、そしてそこにはスポーツとしての真の評価がせられているからであろう。
今年は東京オリンピック大会という事で、3月の開幕よりレース界には一つの拍車がかけられている。5月、名古屋で開かれたインターカレッジでは、その気迫として次々に日本新、大会新、学生新記録が生れた。早大は残念にも6位に止ったが、来年までには新しい仲間を加えて共に成長して行きたいと考え、常に新入部員には無償で自転車を与え、仲間と苦楽を共にし愛部心を哺む次第である。
我が部とサイクリング・クラブとは2年前までは寝食を共にする仲間で、部室も行動も共にする事がごくあたりまえであった。我が部の先輩の多くが、また今の長谷川主将も私もサイクリング出身であり、オリンピック選手中原君に次ぐ早大のスプリンターとしてその脚力を誇る槐君も同じである。
我が部の皆がそうであるように私もサイクリングの仲間との旅行や近郊サイクルには忘れ難いものがある。しかし思うに、今のサイクリストは単に乗るだけだ。余りにも無知すぎる。
自転車に乗るのだからもっと自転車を知ってやろうじゃないか!
サイクルとはサイクリングをする事が大事なのではなく、サイクリングを愛する事が重要な事なのだ。
(自転車部主務)
Editor’s Note (2024)
1964年の出来事。昭和39年。
1月。カルビー「かっぱえびせん」発売。
少年サンデー「おばけのQ太郎」の連載開始。
冬期インスブルックオリンピック。
2月。ビートルズ初来日。
4月。日本人の海外観光渡航自由化。
5月。 日本サイクリング協会、文部省より財団法人認可。のちこの日は2009年に記念日「サイクリングの日」となる。
富士スバルライン開通。
6月。新潟地震。
7月。TBSラジオ、こども電話相談室開始。
9月。東京モノレール開業。
10月。東海道新幹線開業。
東京オリンピック(夏季オリンピック18回大会)
映画「007ゴールドフィンガー」
第6回日本レコード大賞 1964年 愛と死をみつめて 青山和子
WCC夏合宿は、「 1963年 – 四国, 1964年 – 中国、中部、北海道(分散)」でした。
=====
こんにちは。WCC OB IT局藤原です。
当時の文章をWEB化するにあたり、できるだけ当時の「雰囲気」を尊重するよう心掛けたつもりです。
文章と挿絵はPDF版より抜粋しました。レイアウト変更の都合で、半角英数字、漢数字表記等を
変換していますが、全ての誤字脱字の責任は、編集担当の当方にあります。もし誤りありましたら、ご指摘をお願いします。
2024年冬、OB会IT局)藤原