No. 0216 | 追永 洋(23) | 1999/01/29 16:57 [TOP] |
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マレーシアからの初アクセスになるのでしょうか。 以前、このノートにも書きましたが、2月1日着任の予定で ペナンに来ました。アパート探しと子供の学校探しが一段落して 今は、ビーチのリゾートホテルでのんびりとしています。 こちらは連日30度を超す(当たり前ですが)日が続いており、 朝から一生懸命働いたり、動き回ると体がもちません。 だらだらと過ごすのがこちらで暮らすポイントかもしれません。 人々もみんなゆったりと落ち着いた感じで、生活を楽しんでいるように 見えます。 1月のうすけぼーでの例会やフクちゃんコンパに出れなくて残念でした。 |
No. 0215 | 津島拓人(31代) | 1999/01/28 19:25 [TOP] |
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赤堀、おめでとう!! 久々に私用ノートを見たら、いやぁ驚いた。 藤崎たちの代はみんな独身貴族が似合いそう(失礼!)な感じだから まだしばらくかかるかなぁと思ってたよ。 31代も野口が5月30日(日)に大宮で挙式の予定だからまた皆で集まれるといいね。 赤堀はこっちでやるのかな? ナメこと杉山とも先週上野で久々に飲んできました。本人曰く「昨年暮れに”無事”退職した」 そうで、もっか就職活動の真っ最中でしたがいたって元気そうで安心しました(50kgを切った のがちょっと心配)。このご時世に相変わらずナメてる!と星くんに説教されてたけどね。 星くんや田巻も運命の転勤先発表が近々だそうで他人事だととても楽しみです。それではまた。 |
No. 0214 | 17期松村 | 1999/01/27 23:25 [TOP] |
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No. 0213つづき フクちゃんの紹介については,昨年11月に高橋くんが書き込まれています. >No. 0142 高橋(29期) 1998/11/18 05:47 > >ちょうどNHK「首都圏ネットワーク」の取材が来てたので、 >近々放送されると思います。 この時のを運良く見たということでしょうか.ちなみに「首都圏ネットワーク」は「首都圏いきいき」のすぐ後のニュースです.両方で取り上げたとしたら凄い人気ですね. |
No. 0213 | 17期松村 | 1999/01/27 21:58 [TOP] |
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今日テレビで「フクちゃん」を見ました。 客先での仕事の合間に,休憩室のテレビで運よく見ました. (1999/1/27 17:05)NHK「首都圏いきいき」の中で,女性記者/アナ? が取材した「早稲田探検」というコーナーでした.最近盛り上がってる小劇場の紹介,演博のこと,書店・リサイクル店などの話のあと,最後にフクちゃんへ入りチョコとんを食べながら,おやじさんと話をしてました. レジなし引き出しのみ・小銭中心で万札は一枚だけ.ボリュームと品質重視.メニューはプログレッシブ.-ある日店の裏に,昔返せなかったお金が袋に入って,手紙と一緒にソッと置いてあった話.コーナー全体の最後でもあり一番大きく取り上げられていました.最後に「学生に暖かい早稲田の街」という感じでした. 私の頃(17期)フクちゃんは今のみんなほど馴染みではなく,店に入った記憶もないのです.しかし,ドップリ漬かっていた界隈の雰囲気はどこも一緒.言葉で説明は不要/不可能.一気に戻ってしまうものです. 「今だに昔を懐かしんでどうするの」と言うむきもあるようですが,私は懐かしみ大いに結構と思います.昔が輝きで今そうでないから懐かしむ,のではないのです.美味しいものが美味しいのと同じように,昔を懐かしいと思ってしまうのですから仕方ないでしょう.無理してみたところで何か良いことがあるでしょうか. #この番組は関東圏で放映されたものと思います. #この番組に関係されている方,ぜひ書き込みをお願いします. |
No. 0212 | 12期 新名順二 | 1999/01/27 19:20 [TOP] |
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わが家にも やっと待望の
インターネットなる現代文明の必需品が入りはや20日が過ぎました。
娘たち二人は やれ『Eメールをチェツクしなければ』とか
やれ『なんとかのチケットがとれた』とかすっかり使いこなしているようですが
小生などはこのW.C.C.のホームページを
検索するのになんと一週間もかかりました。 早速 『書き込み』なるものに初挑戦しました。 今後 時々参加したいと思いますのでよろしく!! 10期の新田さんと13期の中山君 年賀状の返事出せずに申し訳ありませんでした。 |
No. 0211 | 荒田楠生 | 1999/01/26 23:14 [TOP] |
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↓早稲田の同期である赤堀君が結婚するという旨のメールを藤崎君からもらいました。同志社の同期の男性ではまだ誰も決まっていません。がんばれ、同志社!! さて、赤堀君の結婚式は6月6日だそうです。僕は内心自転車レースと日程がバッティングしないか心配です。もちろん、結婚式を優先するけど、レースも出たいです。 ただ、今年は自転車だけでなく、本業の仕事とも頑張り、公私の両面で飛躍できるようしたいと思います。 また、同期の朗報を聞いて、今年はいい年なるに違いないと思っています。 |
No. 0210 | 高橋@29th | 1999/01/25 23:51 [TOP] |
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赤堀君は和歌山市内で引っ越した旨、メールで教示を受けました。ありがとう。 同期29期では、村上卓志君が3月28日に結婚します。 場所はフォーシーズンズ。 お相手は、(もちろん?)一昨年7月終わりに当ページにも登場したことのある、あの方です。 同日のうちに、クラブ(+α)にて、二次会を行う見込みです。 いずれ、当ページでお知らせすることになるでしょう。乞うご期待! |
No. 0209 | 17期松村 | 1999/01/25 23:21 [TOP] |
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●私用ノート分割のお知らせ 1998年12月ぶんを分割しました。 ●投稿内容訂正のお知らせ 3期綿貫さんの「対馬II」は1期菅原さんが書き込んでくださいましたが、 都合により管理者側で変更した際、投稿者を菅原さんとしていました。 菅原さん書き込みのとおり、綿貫さんに(再)訂正しました。 大変失礼しました。 |
No. 0208 | 高橋(29) | 1999/01/24 22:24 [TOP] |
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↓うわっ、おめでとう!! ところで和歌山に出した年賀状が戻ってきてしまったのだけど・・・ 彼は今どこにいるのかな? |
No. 0207 | 藤崎裕之(32) | 1999/01/24 21:29 [TOP] |
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たった今、うれしいTELが入ったのでお知らせします。 僕の同期の赤堀恭伸くん、ただいま26才がきたる6月6日(日)に結婚することになりました。同期で第1号です。当日できるかまだ分かりませんが、諸先輩方と同じようにWCCとして彼の新しい門出を祝福する場を持ちたいと思います。 いやぁ~、なんだか自分のことのようにうれしいです。本当にうれしいものですね、仲間が結婚するって。 彼への祝福の言葉などがあれば、僕宛にメールをください。伝えておきます。 ではでは。 |
No. 0206 | 綿貫(3) | 1999/01/23 23:14 [TOP] |
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対馬 II ホテルの玄関前の路地を出て、突き当たりを右へ、山へかかって登り加減に行くと、藩政時代の宗氏十万石の城跡と歴代の墓所がある。乗る程の距離でもないと引いて出て行くと、折から登園時間と見える幼稚園がある。用水を隔てた向こう側の、桜の枝越しに見える園舎の板張りの教室で、子供たちが喚声を上げて飛び回り、押して行く先の信号待ちではワッと小さいのに取り囲まれ、保母さんたちが声をからして旗を振っている。この場合、彼らにとっての僕の方が、見慣れぬ競輪パンツにヨレヨレ帽の他所(よそ)者であり、朝っぱらから格好の見物対象である。可愛いカバンを下げた青い制服の一団が道を空けてくれるのを暫く待ち、それから歩く。坂になる。用水の音が急に耳につく。玉砂利に敷石の参道を上がる。先は万松院(ばんしょういん)という寺である。 古びた三門脇のくぐりから入り、取っ付きの寺務所で案内を乞うが、誰もいない。拝観料三百円とあるコインを置いて、奥へ入る。本堂へ上がると回廊の隅に青銅製と見える、ひと抱えに余る中国古代の「尊」(そん)「鼎」(かなえ)、それに鶴亀を形取った華香油(けこうゆ)の三宝がある。花生,香炉、燭台の仏具である。左側、ラッパ状に上口の開いた「尊」は殷周時代のお神酒(みき)入れで、「鼎」は元々三本足だが、これは香炉用に胴も四角い長方形、足は獣足で四本ある。左右に取手がつき、フタの上で獅子が吠えている。中国の寺でこれと同型の香炉の大きなのを堂前の線香立てに使っているのを何度か見た。それにしても亀の背中に鶴が長い足で乗り、その嘴(くちばし)にローソク立てをくわえた燭台など身の丈2m近くあり、かなり大きなものである。朝鮮・李朝王から贈られたとある。この寺も往時には相当大構えの伽藍(がらん)があったのかも知れない。廊下脇のガラス障子をガタピシ開け、光を入れて写真を撮りながら思う。 出て、百雁木(ひゃくがんぎ)という石段にかかる。百三十二段あり、四、五段おきに両脇に控えた石灯籠もろとも見上げる目を圧して、上は杉か桧か、うっそうとした奥津城(おくつき)へ通う。その墓所で、代々の殿様、奥方のもの、また若くして逝った子・孫のものも混ざるのだろう、多くの墓域に区切られた累々とした五輪塔の間を巡って、最後に左手一番奥の、まだ真新しい墓石の前に立った。そこには半咲きのリンドウの花が一むら青竹の筒に生けられており、丁度雲間を透いて射した日の光を受けて、見慣れぬ白と黄の鮮やかな紋を持つ黒羽根の大蝶がどこからか一匹、その花へゆっくりと舞い降りた。ヨレヨレ帽を握って、その蝶を見た。 城跡の入り口にある歴史民族資料館というのへ寄る。生憎月曜の休館日とあるが、はるばる来たのだからと話をして開けてもらう。いろいろ展示もあるが、ガラスケースの中の全長16mという「朝鮮通信使行列絵巻」を一見する。大陸風の輿(こし)に乗った青い礼服の大使と、これに差笠、槍・旗、貢物等を携え、ツバの大きな朝鮮帽を被り、ゾロリとした長衣を着、馬、あるいは歩きで従う家来たちの狩野派風の長尺の図で、パンフレットの説明を拾い読みすると、 「14~15世紀の倭寇(わこう)の時代を経て、宗氏が朝鮮貿易の実権を握っていた室町時代、朝鮮国王は室町政権の首領足利氏を<日本国王>と認め、正長元年(1428年)以来、数時にわたって日本へ正式の使節団を派遣しました。これが通信使の初めです。 徳川時代、厳しい鎖国政策下、江戸へ入ることの出来た(前後九回)唯一の外交使節、それが朝鮮通信使でした。その通信使は、李朝政府の第一級の官僚や学者、文化人を初め、着飾った楽隊、小童、武人、通詞など三百から五百人にのぼる大使節団で、京城を出て釜山、海路を対馬、壱岐、下関から瀬戸内海を大坂へ、東海道を練って江戸へ上りました。受け入れる側も道路を直し橋を架け宿舎を整え、一回の使節接待におよそ百万両を要したそうです」 幼稚園の信号を右に折れると侍小路の石垣道がある。かってあの通信使の行列もここを練ったのだろうかと見回しつつ、そこを抜け,町外れで海端の街道へ出、やっと出立。「豆殻」(つつ)へ28km」の里程標に見送られ、南へ向かう。僅かに上がって、最初の切り通しを抜けたのが10時45分。厳原(いずはら)の町の反対側の三崎が見え、ハングル文字の道標がある。まだ目が覚めないのか、サドルに尻が落着かず、ペダルを踏んでいる気がしない。下りて久田(くた)川の河口で藩の軍船を係留したという「お船江」というのを見に寄って、そこから長い登りにかかる。朝は薄曇りの日よりだったが、海端に出ると軽い雨足が来る。高みでは壱岐が平たく望まれる。ロー&ローの足でバーの下を引っ張って呼吸のリズムを掴もうとするが、なかなかうまくいかない。一汗かいて、やっと腰が座りかけたと思う頃、短いトンネルを潜る。回りは潅木の山で、眼下に尾浦という小さな漁港がある。ここから低い尾根近くを昇り降りするうち。右、西海岸へ直接抜ける分岐へ出る。向こうは見る見る上がっていかにもキツそうである。そこを真っ直ぐ行って又息長く登り、切通しで眺めの広いところへ出る。丸木を削った道標に歌が書いてある。 「安神(あかみ)山草ね刈りそけ合わずかへ争ふ妹しあやに悲しも」 万葉集十四巻・防人歌 左手に下りて行くのが地図にある「安神」の入江への道だろう。ここにも小さな漁港が眼下にある。一帯はうしろに緩い稜線があり、一本道はその中腹から上あたりを行くが、見渡すなだらかな草原のスロープに目立つ立ち木も少なく、そのまま牛馬の放し飼いも出来そうである。この防人歌(さきもりうた)は、内容が今どきの新聞雑誌の投稿欄には出そうもないものなので覚えがある。 「安神山の草を刈り払っておいて、させるもんかと、抵抗するこの娘は、むしょうにいとしい」(小学館「日本古典文学全集」の訳による) これは野合の歌である。そのため草を刈ったのだが、間際になって娘が抵抗したわけだ。「合はずかへ」はテキストでは「合はすがへ」で「合はす」は「神代紀」という古本に 「吾身の陽元(をのはじめのところ)を汝身の陰元(めのはじめのところ)に合せむ」 とあるのにより、有りていに言って「やらせるもんかと」――ということになる。改めて見渡すと、成程ここなら手頃な場所はいくらもありそうに思う。ただこの「安神山」は、小学館の本では「赤見山」となっており、地名索引を見ると「所在未詳」で栃木県佐野市か群馬県吾妻郡高山村近辺の山が擬せられている。対馬は国境防備の第一線で、防人の中でも強兵とされた東国兵が配備されたそうだがら、あるいは郷里の山との連想でこの地の名が詠(うた)われた事情があるのかも知れない。人も車も通らぬ中に、暫く手帳に下手なスケッチをして、それからまた登り下りに出る。地図を覗いても、まだ幾らも来ていない。 海に迫って宮の岳山という、標高325mの山があり、その裏を巻いてギリギリ登る。ギアを一杯に落とし、ロー&ローでも息が切れる。若くて元気な頃、長丁場に腰車を落し、ペダルの一踏み一踏みに急坂を掴み捨てるように登った、往時を思えば夢のまた夢である。せっかく登って、一気に下る。再び小さい入江に出る道標を左に見て、平らなところは1mもなく、又登る。今度の山は346mとある。海を足下の崖道を行くと,パラパラと雨足が来た。一休みを兼ねて立木の蔭へ逃げ込む。大したこともなく出ると、一曲がりか二曲がりで今度は本降りが来て再び雨宿り。道端の濡れ様の少ない、上の枝葉の厚そうな所を頼む。サドルを支えに立て掛け、メガネを拭って帽子を目深に下す。この帽子、ヨレヨレで見かけは冴えないが高価である。日本酒の "もろみ"を絞る酒香衣(さかごろも)の綿布が生地で、目を詰ますのに初め柿渋を塗るというが、本物の天然染剤で、一色でいえばカーキ色だが飽きない枯れた風合(ふうあ)いである。一ヶ所、小さく綻びを繕(つくろ)った跡のあるのも良い。洗いざらして繊維の目が浮いて来ると、これが又よろしい。 この帽子、何度か置き忘れ、紛失のうっかりがあり、切れそうで切れない縁である。山坂で暑いものだから、前のバックの上へ乗せて踏むうち落としたのに気付かず、頂上まで登ってさて引き返して探すのだが、行けども行けどもで、今度の、あの角を曲がって無かったら諦めて戻ろうと思い、そうして見ると、落ち葉の掃かれた地道の真ん中にきちんと置かれて、やっと来たかという顔で待っていた。それから、そう、こんなことがあった。 旅の帰りの汽車の座席に忘れ、尋ねあてて東京・飯田橋の遺失物センターへ引き取りに行った。該当日の収納袋を出すから自分で探してくれというので三階か四階へ上がると、かなり広い一フロアにびっしり、金枠で組んだ棚が天井まであり、そこにボクシングの大きなサンドバック様の袋が何百となく積まれ、並べられている。当日のJRの都区内の帽子はこれだというのが下され、詰め込まれシワ苦茶になったのが床に広げられて、さして探す手間もなく遺失物は見つかった。それは良いが、引き上げようと二つ並んだ大きなエレベーターの前へ立つと、脇の小部屋に「霊安室」とある。一足戻って聞いたら遺骨や位牌の忘れ物で、役所でも棚ざらしには出来ず、部屋を作って祀(まつ)ってあるという。忘れ物と言っても引き取りに来ないのだから置き捨てていったわけである。一生生きて、目を瞑(ねぶ)って骨になり、さて行き着いたところが見捨てられた遺失物置き場とは、これは何と言うことだろうか。泣こうにも泣かれぬ、涙も出ない、とはこれだろう。一人大きなエレベーターに乗って、ウィ―ンという下降音を腹に聞きながら、僕は呆然とした。又帽子を忘れそうになった。 |
No. 0205 | 菅原 | 1999/01/22 16:38 [TOP] |
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「対馬
II」を掲載します。この様な長めの文章が「私用ノート」に馴染むのかどうか分かりませんが面白く読んだとの書き込みも頂きましたので続編を書き込みます。本来、「ライブラリ」あたりが適当なのでしょうが、松村さんが後日移してくれるというので取り敢えず、読んでもらえそうな「私用ノート」へ書き込みました。よろしく。 |
No. 0204 | 4期 1968.3卒業 | 1999/01/21 17:04 [TOP] |
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1/13/99の「うすけぼー」の集まりに参加しました。同期の鈴村、藤瀬君と久しぶりに会えました。 山添さん、関口君、石井君、植田君、川村君、宮崎君少し遅れて外務省の堀内君の10名が参加。 今年は「釣り」と「アーチェリー」に挑戦してみるつもりです。どこかに「釣り」の指南役がいないかさがして います。 「いっしょにあそんでやってもよい」という方がおられたらご連絡ください。 私は、カヤックを少しやります。羽田空港の近辺を乗り回すだけですが、やってみたいという方が おられましたらご連絡ください。 栗原 秀司 ノースカロライナ州政府 日本事務所 オフイスの電話03-3435-9301 ファックス 03-3435-9303 |
No. 0203 | 堀内俊彦 | 1999/01/19 13:59 [TOP] |
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中川Qちゃん、17日の番組見ました。冒頭から、Qちゃんらしい、凝った(と素人目には思われる)カメラワークでわくわくしながら見ました。王子の話に行ったり町屋の話に行ったりというのも、意識的にですよね?久米明の語りも渋かった。僕が東京の絵を描くとしたらどこにするかと思いながら見ました。西早稲田か北千住ですかね。個人的には、他にもどんな絵があったのか知りたかったです。これからもいい番組作ってください。また関わった番組あったら教えてください。 それから、みなさん、遅れましたがあけましておめでとうございます。今年もなにとぞよろしくお願い致します。 3連休は、宮部と熊野古道に行って来ました。とても良かったです。 話は変わりますが、1月28日に渋谷のon air eastで、パパ・ウエンバというコンゴ出身のアーティストのライブあります。よろしかったらこちらもどうぞ。アフリカは音楽もいいですよ。 |
No. 0202 | 荒田 | 1999/01/18 22:56 [TOP] |
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今年こそ飛躍の年であるように頑張りたいと思います。 道楽の自転車は確実に着順が上がってきていますので頑張りたいと思います。それに伴い、人間的な成長もしたいと思います。 |
No. 0201 | 16期金沢 | 1999/01/17 21:09 [TOP] |
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報告です。 今日は新春初レースに参加しました。 結果は7位。それも6位と同タイム。 くやしいよ。入賞を逃した。 しかし、苦手の修善寺CSCでまずまずの 走りができたことは満足。 第2戦、2月7日は雪辱戦です。 |
No. 0200 | 川村 (20期) | 1999/01/17 19:34 [TOP] |
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少し遅くなりましたが、先週の定例幹事会のご報告をいたします。 出席は 3期 山添さん 4期 栗原さん 鈴村さん 藤瀬さん 8期 宮崎さん 9期 関口さん 11期 石井さん 20期 私 24期 植田さん 26期 堀内さん 以上でした ところで、お年玉付き年賀はがきの当選を調べたら、何と菅原さんと 宮田さんからのはがきが4等でした。今年も先輩方にお世話になる年 になりそうです。 |
No. 0199 | 名和 博(DCC9期) | 1999/01/16 01:28 [TOP] |
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今日頃「あけましておめでとうございます」もないものですが 年が変わってから初めてですし今年も宜しくお願いいたします。 荒田君の呼びかけもあるので私も今年の予定など。 今年の抱負は『脱兎のごとく走り、昼寝も楽しみたい』です。 ルートNは昨年卒業したのでロードっぽいものは4月に地元の さくら道サイクリング、6月頃にツール・ド・高山、 昨年に続いて乗鞍も出ますよ。それ以外は峠コレクションを 続けたいと思っています。 ところがここんとこの寒波で岐阜の峠は冬ごもり状態(ー_ー) 仕方ないのでしばらくはスキーモードにシフトします。 そんなわけでこの連休はスキー三昧です。 修善寺といえば某ランドナー系BBSから1/30.31とツーリングに 行きます。修善寺を起点として天城・松崎周辺を走ります。 |
No. 0198 | 16期金沢 | 1999/01/15 23:13 [TOP] |
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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 寒い日が続いています。山は路面凍結で危険なので、 最近はもっぱら海岸線を走っています。 藤沢~鎌倉~横浜といった具合です。 私の新春初レースは1月17日日曜日、 東京都車連主管のウインターロード第一戦です。 苦手の修善寺CSCです。今年は、CSCを克服することを 目標の一つにしているので、とにかく頑張ろうと思っています。 厄年も終わったし、結果を出したいですね。 荒田さん、私も例年同様、乗鞍は大きな目標です。 |
No. 0197 | 荒田 | 1999/01/15 14:55 [TOP] |
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皆さん、あけましておめでとうございます。 今、僕は大阪のインテックスのモーターショーのPCからアクセスしています。3連休の初日です。皆さんはどうのように過ごしていますか? 僕は日曜日にはシクロクロスのレースがあります。 オフシーズンなのにしんどいことばかりしています。 今年は関東の本田のコースで鈴鹿のロードレースみたいなこともするみたいです。誰か参加しますか?初回なので興味おはります。 それと、筑波での耐久に出るのなら連絡下さい。 乗鞍に参加する人は連絡下さい。 |
No. 0196 | 荒田 | 1999/01/15 14:48 [TOP] |
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柴田さん元気ですか?僕は今、モーターショーに来ています。 この間のメールの返事下さいね。 荒田 |
No. 0195 | 川村 (20期) | 1999/01/11 23:32 [TOP] |
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また第二水曜が近づきましたね。 私は明日、明後日出張ですが、東京駅帰着なのであまり遅くなければ出席したいと思っています。皆様はいかがでしょうか。 |
No. 0194 | 菅原 | 1999/01/05 12:30 [TOP] |
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2000年問題というのがいろいろ話題になっています。ほぼ完了したんじゃないかという感じもありますが、米国あたりでは日本の対応は不十分で問題が多いと見ているらしく、日本株の売りの要素にもなっているという人もいます。 何故、急にこんな事を言うかといいますと今日、会社でデート印(日付印)を押そうと思ったら自分のものには1999がないことに気がついた。小さな2000年問題が起きたわけです。急遽庶務に頼んで用意してもらうことにしましたが、そんな事は前もって用意しておくべきだという事でしょうが、そうなってみないと気がつかないのです。きっと2000年問題というのはこんな事があちこちのコンピューターで起きて混乱するのでしょうね。 |
No. 0193 | 菅原 | 1999/01/04 12:35 [TOP] |
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あけましておめでとうございます 景気もぱっとせず、世の中明るい話題が少ないこの頃ですがWCCだけは今年も活発に明るく、いこうじゃあないですか。HPも従来の人に加えて新しい方の書き込みを期待したいものです。 参加者も話題も議論も広く広がるのが良いですね。昨年は青木さんの書き込みでぐっと盛り上がりました。今年も又別の切り口で問題提起、楽しみにしています。 特にHP管理チームの皆様、今年もよろしくお願いします。 僕も自動車者のサイクルキャリヤ(重いランドナーも油圧で簡単に上がるやつ)を装備し、張り切ってます。 自宅のパソコン(Mac)がダウンして復旧に手間取っているため、会社で書き込んでいます。今日は仕事が半日ですのでこれで帰ります。では又。 |
No. 0192 | 17期松村 | 1999/01/03 22:26 [TOP] |
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あけましておめでとうございます。 このサイトを閲覧してくださる皆さんに、管理チームのメンバーとして お礼申し上げます。今年がさらに良い年となりますように。 ◇ さて、私は昨年秋のリニューアルの時点からお手伝いしています。 制作を好きにやらせてもらっていますが、サイトの企画という点では 高橋くんの活動に負う点が大きく、課題でもあると思っています。 魅力あるサイトはコンテンツが重要ですが、このサイトの性質上、 一部の制作者によるものではなく、クラブ・OB の皆さんからソースを 収集しなければなりません。しかし、それは簡単なことではありません。 クラブを中心とした緩いつながりをベースに、非営利でWEB サイトを運営 するというのは「強い目的がナイ」という点をどう扱うかが要点であると 感じています。このサイトに限らず、特にネットはいろんな背景を持った 人々が出入りしますので、良い意味の抑制、「引き」を弁えるべきであると 思っているのです。その点で、このサイトはあまり強い色は持ち得ないと 思います。 では私はというと、もっぱら好きで楽しいからやっています。 それは自転車に乗ることが好きで楽しいのと同じです。 クラブを中心とした WEBサイトがいつでも見られて、現役・OB のいろんな 情報が載っていて連絡やら情報交換もあって、クラブ以外のかたも出入り してナニやら面白い。好きでやらせてもらっていてそんなサイトになれば 最高です。 今年もよろしくお願いします。 \ _ ◎ ◎ ∠ ⌒ Matsumura Hiroshi |
No. 0191 | WCC WEBチーム | 1999/01/03 21:29 [TOP] |
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あけましておめでとうございます。 当ページも、開設以来1年半、移転以来4ヶ月が経過。 見に来て下さった皆さま一人一人のおかげで、 少しずつ前進しすることが出来ました。 今年も、皆さまと一緒に、ますます楽しめるページを目指したいと思います。 ご意見、投稿、落書き、・・・なんでも気軽にお寄せ下さい。 インターネットでの事件が、年末取りざたされました。 匿名性の高い場だと、いろいろ問題も起こるようです。 これからも当ページは、お互いの顔の見える暖かいページでありたいですね。 常にネット上以外の活動と結びつき、それをますます刺激する存在になると 素敵だと思います。 今年もどうぞよろしくお願いします。 |
No. 0190 | 柴田 格(30) | 1999/01/03 17:26 [TOP] |
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あけましておめでとうございます。 今年の正月はあやうく会社で迎えるところでした。 まあ、世間には1日からお仕事の方もいらっしゃるので なんともいえませんけど...。 昨年中はなんの貢献もできませんで、心苦しく思っております。 が、今年もよろしくお願いします。 |
No. 0189 | 藤崎裕之(32) | 1999/01/01 15:17 [TOP] |
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あけましておめでとうございます。 今年こそランに参加したいと思います。その時はよろしくお願いいたします。今年がみなさんにとってよい1年になりますように。 |