峠「19号」_1999

  1. 主将の言葉 – 堀江
  2. WCCと私 – 会長 人間科学部教授・宮内
  3. 第37代の輪跡
  4. 春合宿 – 熱海,河瀬,錺,堀江,金,杉山,森山,平井,熱海,勝野,紙浦&日比
    1. ☆チーム求臭男児・集合日
    2. ☆日之影組・集合日
    3. ☆チーム求臭男児・初日
    4. ☆日之影組・初日
    5. ☆チーム求臭男児・2日目
    6. ☆日之影組・2日目
    7. ☆チーム求臭男児・3日目
    8. ☆日之影組・3日目
    9. ☆チーム求臭男児・4日目
    10. ☆日之影組・4日目
    11. ☆チーム求臭男児・5日目
    12. ☆日之影組・5日目
    13. ☆チーム求臭男児・6日目
    14. ☆日之影組・6日目
    15. ☆最終日
  5. プレ新歓<前期>(4月中旬 – 下旬) – 古橋
  6. 新歓合宿 (5月3日 – 5日)
    1. 新歓合宿とアウトドア – 古橋
    2. 新歓合宿 – 錺
  7. 2年企画 (5月中旬 – 下旬) – 錺
  8. プレ合宿 (6月19日 – 20日)
    1. 1日目 – 錺
    2. 2日目 – 河瀬
  9. 夏合宿「中部地方」(8月4日 – 17日)
    1. ☆前半・御嶽班後半・しらびそ班1年・古橋
    2. ☆しらびそ班2年・平井
    3. ☆御嶽班2年・熱海
    4. ☆御嶽班2年・紙浦
    5. ☆御嶽班2年・河瀬
    6. ☆しらびそ班3年・金
    7. ☆しらびそ班3年・堀江
    8. ☆御嶽班3年・杉山
    9. 夏合宿を振り返って-つれづれなるままに – 錺
  10. 耐久ラン (9月25 – 26日)
    1. 耐久ラン – 古橋
    2. 耐久ラン – 堀江
  11. 三年企画 (10月中旬)
    1. 3年企画 (箱根~河口湖) – 河瀬
    2. 3年企画2 (大月-大峠-猿橋) – 金
  12. 一年企画 (10月17日)
    1. 1年企画レクイエム – 古橋
    2. 一年企画 – 紙浦
  13. 早稲田大学・同志社大学交歓会 (10月30日 – 11月2日)
    1. 初日 – 河瀬
    2. 2日目 – 錺
    3. 3日目 – 平井
    4. 最終日 – 森山
    5. アフター – 勝野
  14. プレ新歓〈後期〉(11月中旬)
    1. プレ新歓 – ペダルをこいで – 長谷川
  15. 追い出しラン – 紙浦
  16. 特別寄稿
  17. 「真暗の草子」- 第23期・井上
  18. 『道祖神』 – 第24期・貝塚
  19. 「WCC・夏合宿の歌」 – 第24期・松本
  20. 編集後記
  21. Editor’s Note

主将の言葉 – 堀江

主将の言葉 – 第37代主将堀江

「峠」。WCCの1年の軌跡を記録した書にとって、なんとふさわしい巻名であろう。思えばこの1年、執行部の運営を通じて沢山の峠を越えてきた。初めての峠、春合宿。いきなり夜の峠で暗中模索であった新歓。新入生が集まらず、「新歓」ならぬ「辛寒」な峠であった。氷雨降る峠と言えようか。そして最大の山場、夏合宿。立ちはだかるは高く険しき山脈。当然路など有ろうはずもない。我々はそこに路を切り拓き、行き倒れずになんとかここまでやってきた。時には峠を通らずに、安易に隧道を通ってしまったという反省もある。だが分かれ道が有っても、皆離ればなれにならずに志を1つにして幾多の峠を越えてきた。皆よくやったと思う。

今、我々の眼前には一条の路がある。その先は霧に閉ざされよく見えないが、未知なる峠たちが待ってい新る事であろう。次代の旅人達よ。これからの峠路を1歩1歩、大切に踏みしめて行ってくれ。崖には落ちるなよ。

WCCと私 – 会長 人間科学部教授・宮内

WCCと私 – 会長人間科学部教授・宮内

表題で私が寄稿するのは2度目である。早いものでWCCの会長を引き受けて10年の歳月が過ぎようとしている。歳月の流れの早さを、つくづくと実感するし、その早さは歳とともに増すようでもある。池波正太郎が「歳をとっての1年は、若いときの2年にも3年にも匹敵する」というのがよく分かる。就任早々のコンパで、40代のうちに一緒に走る機会をつくりたい、と挨拶したが、これを50代に改めて、新たな気持ちになりたい。しかし無理である。若さというのは取り返せないのだから。

このごろ、小生は自身の健康を考え、住まいの近くのスポーツクラブの会員になった。半年が過ぎた。もう少し通いたいが、平均すると週1のペースである。今更筋肉もりもりなんて全く望まないから、クラブに行ってすることは、習い始めて3年になる太極拳を準備運動とし、エアロバイクを30分漕ぐこと、プールで1,000m位歩いたり泳いだりすること、その後サウナでゆっくりすることと決めている。約2時間の自分の時間である。

そのエアロバイクであるが、「減量コース、140W」に設定すると、30分で約160kcal程消費し、走行距離に換算すると10kmになる。かつて小生は、エアロバイクなんて昔飼っていた二十日鼠を連想し、金輪際漕ぐ気などなかったが、今は結構楽しんでいる。漕ぎながらWCCの活動の原動力は「この楽しさの程度の高いもの」かな、なんて思っているのである。

1年経ったら、総走行距離が東京からどの辺りまでになるかをも楽しみにしている。

クラブを理解しようとする気持ちは今でも変わらないが、このところ忙しさで総会やコンパにも出席できないことが多い。まことに残念である。且つ情けない。WCCと私の関係がそれだけでは余りにも情けないのである。

第37代の輪跡

春合宿 – 熱海,河瀬,錺,堀江,金,杉山,森山,平井,熱海,勝野,紙浦&日比

☆チーム求臭男児・集合日

2年・熱海
今日は集合日なので、2時までに絶対に国分に着くべく5時に起きた。さっきから雨が降っているなぁーと思っているとやはり雨、ブルーであった。しばらくタバコを吸いつつ、ラジオを聞くと雨はやむ見込みがないと言っているのでしようがない。暗い雨の中、撤収。もうこうなるとやけくそである。なんでもこいなのだ!6時出発、途中桜島の写真を撮りつつ、見学をしつつ走り、しかもアップダウンがはげしいので弱い僕は死にそうになりつつ走った。

2年・河瀬
朝起きるとあいにくの雨。それでもタイムリミットの2時までに着くためにひたすらこぐ。ツーマーの等高線の見方がよく分からず、せいぜい4-500アップと思っていたえびの高原は実は1,000アップの1,240m、くしくも前プラ4度目の激死。それでも何とか集合地の国分駅に着いたのは1時20分、何とか間に合った。久しぶりにみんなに会えて、何だかほっとした。明日から春合宿、気を引き締めて頑張ろう。

☆日之影組・集合日

3年・錺
今日は本当に素晴らしい方にお逢いした。早稲田の先輩で、宮崎県の稲門会の会長(?)をなさっているとかいうお偉いさんである。これはひょんなことからお知り合いになるきっかけを得たのだが、な、なんとその方の御自宅(豪邸)に呼ばれてビールをたらふく飲み、そして次は居酒屋で焼酎をまたたらふく飲み、宮崎牛ステーキをたらふく食べ、更に次はスナックでウィスキーをまたたらふく飲み、カラオケを歌いまくり、そ、そしてな、なんと1人に1部屋ずつホテルに泊まらせて下さったのである。私は本当に感激しました。そしてそのおじさまは私たちに本当に素晴らしいお話までして下さり、私はもーさらに感激しました。(マジで!!)私は本当に日向に来て良かったと思った。是非また日向に来たい。そしてそのおじさんにお逢いしたい。そー思うのであります。明日からの春合宿絶対成功させるぞー!!

☆チーム求臭男児・初日

3年・堀江
今日は、第37代の合宿の初日である。いささか緊張しながら、桜島をバックにドカーンとチーム求臭男児は、はるかなる都・福岡を目指して船出した。天気はくもりで、霧島の雄大な山並みは見えなかったが、賽の河原はまさにこの世の景色ではない所で良かった。この日は楽勝日?の1,500アップだったが、
ヘトヘトです。3日目の悪保路(アポロ)がどうなることやら。

3年・金
国分-高千穂-霧島スカイライン-えびの
初日晴天とは言えないが、素晴らしいサイクリングを満喫できる日であった。賽の河原においての観光、第2白鳥温泉、そればかりでなくきちんと1,500アップもこなした。明日は楽だが3日目、4日目の超絶修行日が待っている。全員無事に博多に着けることを祈り、眠りにつきましょう。

2年・河瀬
いよいよ春合宿の初日である。今日は1,500アップという事実以上にきつく感じた。というのも前日、あまりにも快適に下った道を登るからであった。精神的にも肉体的にもかなり疲れたが、ぐっすり眠って明日を頑張りたい。明日はCLである。今日は露天風呂がとても気持ちよかった。あと、朝は最悪であったが、夕飯のときの米がかなりうまく炊けてうまかったし、うれしかった。なにはともあれ、今日が無事でよかった。

☆日之影組・初日

3年・杉山
パンフレットにはこの日は合宿前半における山場と書いたが、結局この日が今回の春合宿中唯一の修行日となる。にもかかわらずたいしたことはなかった。それでもそれなりに死んでくれた森山には感謝。
15%のキャンプアップには閉口。

2年・森山
今日は実に久しぶりに自転車に乗った。(早同以来)ダートきつくて死んだ。明日からが不安。

2年・平井
春合宿がはじまった。1発目の森山のペースに今後のヤバさを感じたが、森山も無理していたのを知ってホッとした。12時頃はダートを走っていた。後半はたしかにきつい登りのダートで足はついたが、押しが入るほどではなく、杉山さんにおどされていたほどでもなく、とにかく無事にすんでホッとした。
ガーとくだって日之影温泉に入った。道の駅で泊まることになり、激キャンプアップをした。夕食は豚汁でうまかった。明日はCLなのでもう寝る。21:35。

☆チーム求臭男児・2日目

2年・熱海
今日は河瀬がCLです。朝からイライラモード、牛乳が足りないな。河瀬はペースが分からないと言ってブッ壊れた走りをしてくれた。がんばらなくっちゃだよな、河瀬。何度も何度も同じ景色を見て、やっと温迫峠へ。ダートなんて上りも下りもきらい!!薬師温泉は、昼からじいちゃん、ばあちゃんが焼酎飲んで、酔っぱらっていた。いい温泉。夜はキムチ鍋、不思議とうまい。あしたやだなー、がんばろっと。

2年・河瀬
今日はCLだったが、全体的にはまぁまぁだったと思うが、最後の寝場所の1キロくらい手前から地図の位置が分からなくなってしまったのは反省材料である。今日のダートは比較的足取りも軽く登れたが、
下りはみぞが多くとても怖かった。一部、かつきというものも体験した。資料として写真を撮ることが
楽しくなってきて、いつも好機を狙っている。明日は例のアポロ・きついだろうが頑張りたい。とにかく今日も無事で良かった。

2年・勝野
3月7日に肥薩線に乗って越えた山を、自転車で戻る。あの日車掌が車内放送(?)で言っていた「日本一の車窓」を今日は自転車から眺められるかと思ったが、眼前に広がるのはただ霧ばかり、まさに五里霧中である。こんな報われない日々が今後も続かないことをただ祈るばかりである。

☆日之影組・2日目

3年・錺
今日はまたどんよりと曇ってしかも寒いいやーな天気であった。一行は寒さに震えながら朝飯を食い、
峡谷をずんずん進む。そして本日の観光ポイント・天岩戸神社へ。ここは田舎にもかかわらず、かなりきれいで、立派で荘厳な神社であった。またそこにはすごい所もあって、あーおもしろかった。その後、1行はガンガン山を登り、あーしんどーと思いかけたところ、ピークに到着。(実際はメチャクチャ長かった)しかも雨も降り出した。そして雨は雪にかわってきた!ひぃーっさっさぶいーつ!つーことでまた寒さに震えながら昼飯を食い、雪の中、山を出る。しばらく進むと雪はまた雨になり、雨の中をアップダウンして、温泉のあると思われる場所へ。しかし、そこに温泉はなかったー!すでにつぶれてしまっていたのである。そのため、我々は本日は風呂に入れませんでしたっ!ちゃんちゃん!

3年・杉山
精神的にはこの日が1番ブルーな日。紙浦の存在がだんだんウザくなる。日之影班の貴重なムードメーカーであることは認めるが、彼の粗行は書きはじめればきりがないので省略。錺もキレた。助けてくれ。(冗談よ)峠のトンネルでは雪がふる。錺はひたすら食べ続け、紙浦はひたすら眠り続け、僕はひたすら撮り続けた。温泉は潰れていた。竹田市の6時のチャイムは「荒城の月」。しっくりハマった。

2年・森山
朝から嫌な雲におおわれていて、気分はブルーだった。それでも天岩戸神社をお参りした。峠を登っている途中から雨が降り、峠では雪となった。3月の九州は恐ろしい。

☆チーム求臭男児・3日目

3年・堀江
今日は最大の山場・悪保路(アポロ峠)デーである。2発目でいきなり奴は我々の前に立ちふさがった。そして計3発の特攻が始まった。

ポス死者は1人で、それはもちろん暴司(ボス)の私である。伏兵・二本杉峠もメチャきつかった。だが、この峠道は、いかにも峠道といふ感じで、九州一、山深い五家荘附近の1車線道は、おもむきのある感じで、これぞ日本のランドヌーズ・ツーリズムといふ感じで、余は満足じゃった。今日はキャビン泊。露がついて作動しないビデオカメラが乾燥して、明日からバリバリ使えることを祈り、寝ましょうか。

3年・金
今日はアポロ峠の日、また私の下見の最終日でもある。そういや、下見時にアポロでやられたな。1年生が死ぬのが楽しみだぜ。しかしフタをあけてみれば、1年の輩どもはすいすい上がっていくではないか。どないなっとんねん、死んだのはボス・堀江氏と私キムのみでした。つまんねーな。ヒビ・カツノ・カワセよ、イビキうるさいよ。

2年・熱海
今日は悪保路峠をやるので緊張気味でありました。勝野いわく16%のアップ、前輪が浮くほどの坂道の後にはケモノ道のようなダートがきた。河瀬に時間を聞かれたが時計を見る余裕なんてねーよと、逆ギレしそうになってしまった。スマンスマン。その伏兵の二本杉峠に至る道のりは果てしなく思われつらかった。おまけに寒すぎ、雪までちらついていた。かんべんしてくれ。キャンプ場ではバンガローに泊まった。夕食は焼き肉うまい。今日は本当にくたびれました。

☆日之影組・3日目

3年・杉山
寒い。班員のテンションの落ち込みが顕著に見られるようになる。僕と錺の話術ではその落ち込みをとめることは不可能であることが分かる。CL平井は淡々とペダルをまわし、森山はだんまり、紙浦と僕は暴走気味になり隊列は完全に崩れる。久住山山頂(1800m)でコへ弁を食べる平井には脱帽。筌の口温泉にて鉄分を補給。指先が化学反応により酸化した。

2年・紙浦
今日は、不思議な一日でした。何が不思議かというと、俺が異常に壊れていたことです。道間違いをしまくり(CL)、久住山で走り回り、その後も・・・。けど、朝日茶屋のおばさんにお世話になったし、班員とも色々な話を出来たし、温泉にもふやけるほど入りました。素敵な一日でした。

2年・平井
5時起き、7時出発。くそ寒い中、十角温泉を出発。紙浦の暴走にむかつきつつ、一路久住山登山口へ。
かなりいやなダラアップをこなし、よーやく到着。途中に久住温泉に入った、しばしEXTACY。しかしこのダラアップかなり自分としてはキツかった。上の方は雪が残っていた。牧ノ戸峠の茶屋で月見そばを食べた。激ウマ。シュガーをしゃぶっていたら店員にあやしい目でみられた。その後、久住山登山開始。雪がかなり残っていた。まさに探検といったコースであった。頂上はまさに絶景の一言。そしてクソさむい。しかしこれは自慢できそうな登山であった。噴火しそーなところもみた。その後、ガーと下り、夕飯を食う。肉うどん超ウマ。おばちゃんいい人で、帰り際に団子をくれた。

☆チーム求臭男児・4日目

3年・堀江
今日は阿蘇の日、外輪山の峠・清水峠に登る途中でようやく合宿初の太陽が顔を見せた。そして、峠では阿蘇の雄姿が我々を迎えてくれた。これにはみんなも大満足。そして阿蘇の上りにアタック。2発で山上ターミナルに着く。しかし、この日は火山ガス大発生で火口には行けなかった。無念じゃ。この時を以てチーム求臭男児はチーム毒と改名されたのだった。だが、草千里展望所からは火口がおがめて良かった。ガツンと下り、温泉にドブーン。その夜は風強く、テントが闇の中へと吹き飛ばされたのであったとさ。

2年・勝野
手塚治虫の幕末を舞台としたマンガ「陽だまりの樹」に次のようなシーンがある。アメリカ大使・ハリスは箱根の関所を越える際の日本の慣例である大名と海外使節団の長は「かご」に乗って関を通るという物にならい、幕府が用意した「かご」に乗るが、その乗り心地の悪さに激怒し、降りると言い張った。そんなハリスを主人公は「この道の先に日本第一の宝がある」といって連れ出す。するとそこにあったのは富士山であった。道中「かご」から外の景色も見ずに来たため、1度も富士を見たことのなかったハリスはそのあまりの雄大さ・美しさにあっけにとられ、その後は素直に「かご」に乗った。前置きが長くなったが、阿蘇山はまさにこんな感じだった。これまでの行程の疲れ、いらだちなどを全て吹き飛ばしてくれるほど素晴らしかった。

2年・河瀬
今日はさほどきつくなかった。これもアポロ峠のおかげなのだろうか? 阿蘇山は噴煙を発していたので、火口まで行くことはできなかった。ものすごい登りだと聞いていたので、ほっとした反面、せっかくここまで来たのにと残念な気もした。下りの途中で後ろのブレーキをかけると変な音がするようになり、原因はわからないが、一応金さんにブレーキワイヤーを替えてもらった。明日、直っているといいのだが。キャンプ地の公園はとても風が強く、テントが飛ばされた。今日はすき焼きだったが、正直言って僕はもうあまり肉が食べたくない。でもきっと明日も肉系なのだろう。まぁ、とにかく今日も無事でよかった。

☆日之影組・4日目

3年・錺
今日は楽勝日。やまなみハイウェイをすぃーっと快走!だが、そこは一面の雪景色!!いったい今は何月やねん!ここはどこじゃーっ!と思いながらも気分は上々。しかしさぶい!あやしげなダートを下り、ほどなく湯平温泉に到着。そこで2時間フリー。そこは山あいのひなびた温泉といった感じの街でとっても素晴らしかった。また、是非来たいなーと思います。その後、未練を残しながらも出発し、まもなく湯布院に到着。この街もナイスな感じです。私はこっから下見をスタートしたので以前来たのですが。そして、6時までフリータイム。私は地鶏焼定食を食い、街をぶらつき、混浴露天風呂のある下ん湯に入り、民宿へ。晩メシは地鶏の鍋で、もー豪勢のなんの。幸せな気分であったかいふとんで眠ったのでありました。あーシアワセシアワセ!

2年・森山
今日は待ちに待った湯布院へ行く日だ!起きてみると、そんな僕の気持ちをあざ笑うかのような天気であった。みぞれ混じりの雪。ムチャクチャ寒い!それでも何とか走って湯平温泉へ向かっている途中に現れたダート、僕の心は超BAD。早く温泉に入りたい、その一心で走った。ひなびた感じの湯平温泉は冷えきった僕らをあたたかく迎えてくれた。それから湯布院へ向かう途中、今度は小雨が降ってきた。ああ、太陽が恋しい。湯布院についてフリータイム。長浜ラーメンを食べて、温泉入って、旅館に着いた。メシがうまかった。

2年・紙浦
今日は湯布院。7半日フリータイム&マイナス200アップの日である。・・・が、訳あって道変更をし、超絶ダートを登らされて、俺は内心穏やかではありませんでした。しかし、そんな心の傷も、湯布院のお土産と飯と熱い湯とがいやしてくれました。

☆チーム求臭男児・5日目

3年・金
5時起床7時出発。大観峰で大観光and大感動。激下って、ダート石建峠への堕悪途(ダート)。アポロに比べりゃ楽勝。3時半にゴール地点の日田市に到着、日比の同級生に遭遇。ヤツは中学時代。ヒビタン”と呼ばれていたことが判明。これから日比のことを“ビーヒー”ではなく“ヒビタン”と呼びやしょう。

3年・堀江
今日は先ず大観峰より攻めた。阿蘇はもとより、祖母山・久住山など日之影組が攻めたであろう山々もよく見え、向こうの班の様子を思ってみたりした。本日のメーンは、石建峠である。これは僕が下見をしたのであるが、その時は大雨で道がぬかるみ、砂利もぬれぬれで苦戦した。今日は晴れで、すんなり行けた。ダートで雨と晴れではこうも違うものかと考えた。石健峠は、石が健やかに育っているので石健峠と呼ばれている。(←私の下見時の感慨)この日は峠から南面の無名の山々が見わたせ、心が和んだ。日田への危なげな道の下りも楽しめた。60km・1200up

2年・熱海
晴れ。さすがに昨日は疲れていたのか、夢を見んかった。最近、どんな夢を見るのかひそかな楽しみだったので、つまらん。大観峰へ、河瀬が夢に知念里奈が夢に出てきたとはしゃいでいた。アノヤロー。河瀬は今日よりフーライ(中国語)、日比はヒビタンとよぶことにする。日比のくだりは他の人が書くと思うので書かない。そのまま下って、下りは寒いのなんのって鼻水が止まんねぇんだよ。林道前で昼飯、米とうどんとVIPにコーヒーを食す。コーヒーはいつもベコベコでヒビの入ったプラスチックのコップに作っていたが、堀江さんのシェラカップがうらやましかった。林道つらい、時計見るのが恐ろしい、自分の世界に入って気を紛らわす。途中からコワれて楽しくなった。

石建峠では○○ちゃんにもらったシャボン玉をプカプカした。フーライはもう写真もとってくれなくなった。モーレツに下って日田へ。日田は小京都と呼ばれているらしいが、なーにが小京都だというくらいイケてる店がない。モスに入った。他の奴は気付いたが知らんがレジのねーちゃんがおつりを渡すとき、手をぎゅーとしてきたので、おっなんだなんだとうろたえてしまった。「まー、オレも彼女のいる身だから勘弁してくれや」と別れを告げた。(ウソ)買い出しでは金銭感覚がくるってきて、ラーメン4つも買ってしまった。日田の公園で寝る。公園の近くにあった便所の看板に「河岸の思案所」とあった。いえてる。あと2日、早く帰りてぇー。

☆日之影組・5日目

2年・森山
昨日は宿に泊まったので、朝飯も自分で作らなくていい。なんていい朝だ!!自衛隊の演習場をすぎて耶馬渓に入り、サイクリングロードを通って今日の目的地、守実温泉に着いた。春合宿最後のテント寝である。ビーフシチューを食って寝た。

2年・紙浦
朝起きて、旅館でくつろぎ、湯布院とお別れ。本日の天気は晴れ、明日からは崩れる。最後のサイクリング日和だ。しかし天気は終日くもりでした。今日は途中に“蛇の道”を思わせる素敵な道に出会えました。班員は約1名を除いて、少し斜め上のテンションでした。最後のテントはきれいなスケートリンクのほとりでした。

2年・平井
湯布院の宿を9時頃出て、耶馬渓に向かった。九州自然歩道はでかい岩が多く、下れないのでチャリをおりた。その後、しばらく下り、なんか印象に残らないような道をひたすら走り、公園で野宿。最後の野宿である。駅ビルだけ妙に発展していて、久しぶりに最近の曲を聴いてなんかグッとくるものがあった。

☆チーム求臭男児・6日目

3年・金
合流日、鷹取山への激アップ。下って久留米へ。何も書くことがないので、今までの夕食の献立を書きます。初日カレー、2日目キムチ鍋、3日目焼き肉、4日目すき焼き、5日目中華料理(チンジャオロース?)

2年・日比
今日は、日田市街を出発後いよいよ福岡県内に入った。1つ峠を越えた後、鷹取山というところに登った。今日は楽と思って油断していたが、すごいアップでかなりきつかった。その後下って、久留米市街に出て、駅に着き合流した。

2年・勝野
今日唯一の本格的アップであった鷹取山の山頂からの景色は、今合宿では珍しく晴天に恵まれ、非常によかった。山頂からは市街地も一望でき、名前からも察する所、かつて大名がしたと言われる「国見」に使われたんだろうと思った、などと言うことはもはやどうでもいい事である。なぜなら、あと一日、あと一日で合宿が終わる。家に帰れるのである。あとは最終日の宿が姫路の「ほ○い屋」の様でないことを願うだけだ。

☆日之影組・6日目

3年・錺
朝・・・。さっさぶいーっさぶすぎるーっ!!!とわめきながらみそ汁を作り、ご飯を炊いて、朝飯タイム。そして耶馬渓を観光してひたすら登る登る。3発ほどでピークに着き、ガーッと下る。まもなく英彦山の銅の鳥居前に着き、一行は英彦山にお参りする。神社まではガーッと石段が続いており、皆バテバテだった。私の下見によると30分もあれば行って帰ってこれるだろーとゆーことだったのだが、なんと往復1時間ほどもかかってしまったのだった。でも皆しっかりお参りできたようだったのでよかったよかった。またさらに下り、大きく上って小石原の村の入り口で昼飯タイム。ここで私のブレーキ調整で少し時間を食ってしまい、もともと遅れ気味だったタイムがさらに遅れそーだったので、我々はショートカットの道を行くことにした。

本来なら、小さなアップダウンがあったのだが、もー下りだけになったのだ。スイスイと下っていき、あとは久留米までひたすら平坦である。筑後川沿いの道は菜の花が咲き乱れていー感じの所であった。そしてほどなく久留米の街に入り、JRの駅前に到着。チーム求臭の皆さんが元気に出迎えてくれて、再会を喜びあった。その後、ホテルへ行き、晩メシはホカ弁、ゆっくりと温泉につかって明日のフリーランにそなえるべく、ふとんでぐっすりと眠ったのであった。

2年・平井
久留米に向かって、向こうの班と合流する日。天気は久しぶりに晴れでうれしかった。1時ぐらいまで主に登り、昼飯を食った後、コース変更をし、ガーと下って筑後川沿いを走った。そこにはもう春がきていた。駅に着くとそこにはクサイ集団が待っていた。お互いここまで頑張ったという感じがした。ホテルに行き、久しぶりにダラッとできてうれしかった。

2年・紙浦
今日は合流日。天気は快晴、この天気が明日も続けばなぁ。コース的にはつらいところもなく、思う存分光合成をし、今合宿初めての春を思わせる陽気の中で、菜の花畑を快走している時であった。PHSが鳴ったのである。とろうか・とるまいか・・・俺はCLだ・・・しかし親戚の不幸だったらどうしよう・・・。そして、手を伸ばした瞬間、切れてしまった。結局、電話は河瀬から。ラン中は電源切ろうね、みんな!

☆最終日

3年・堀江
今日はいよいよ最終日、脊振山で大フリーラン。それよりもしんどかったのが、その下りで、雨の中の激坂ダートで、みんなシューがすり減ってしまい、シュー交換をした。これで大幅な時間の遅れを作ったが、先ず安全第一で行くことを肝に銘じさせられた下りであった。無事にメガロポリス――福岡着。
初めてのエールも何とか終え、夜の街へ。みんなこの春合宿を楽しんでくれたようだ。これをはずみに、今年1年WCCをさらに盛り上げて行きましょ。

3年・熱海
朝から雨、吉野ヶ里遺跡を通って、上り、自分で自分の首をしめる走りをしてしまった。めちゃくちゃきつい。フリーラン前にかなりやられた。フリーランは完全燃焼。走りまくったぜい。満足、満足。1番恐ろしかったのは下り。最後の1発は気が狂いそうになった。細い道路をチマチマ走ると発狂した。でも最後、ゴールした時は感動。やってよかった。さぁ帰るぞー。打ち上げの話はあまりしたくない。ヒ・ミ・ツ

2年・日比
今日は最終日、それにしても前日の宿は快適だった。温泉が気持ちよかったので朝も入ってしまった。
けれど今日はあいにくの雨で走りにくかった。だが、今日が最終日と思うとうれしくも悲しくもあった。久留米を出発して、脊振山に向かって急坂を上った。その後、フリーランの地点に行き、フリーランをやった。さすがにきつかったが自分なりにはよく走ったと思う。結果は4位だった。その後下りだったが、思わぬ所に難関が待ちうけていた。途中、ブレーキシュー交換や調整で手間取ったけれど、結果的に安全に下れたのでよかったと思う。その後、駅に着き、記念撮影をして宿へ向かった。いい思い出ができた。

2年・河瀬
いよいよ最終日、始まってしまうと1週間ははやかった。フリーランは今までで1番頑張った。順位とかでなく、精一杯やったという満足感を感じることができた。夏は不完全燃焼でなんか気分が良くなかったので、締めくくりという意味でもよかった。でも本当につらかったのはその後の下りだった。
雨でブレーキシューが減りまくり、ブレーキがほとんどきかなくなってしまったときは、とても怖かった。博多に着いたときは、夏とは違う達成感があった。九州を縦断したという事実を後々になってなにかのときの勇気の源にしたい。とにかく春合宿1週間楽しく、もちろん時には苦しく、そして無事に過ごせてよかった。

プレ新歓<前期>(4月中旬 – 下旬) – 古橋

プレ新歓 – 1年・古橋
奥多摩の四月はやや肌寒い。そんな空気と、緊張感がはりつめられた中、私は鋸山目指して走り出したのだ。ここは東京じゃない、そんな感じの景色が続く。登りが長い間続く。ピークで昼食。ピクニック気分。だがここでアクシデント。 ブレーキワイヤーが切れてしまった。仕方ないので、金さんのランドナーと交換して下る。ブレーキ片方しか効かないのに、金さんはすごい、そう思った。

新歓合宿 (5月3日 – 5日)

新歓合宿とアウトドア – 古橋

1年・古橋
俗に言う「温室育ち」で「箱入り娘」ならぬ「箱入り息子」である私は、2日以上風呂に入れないのも嫌だし、虫も恐くて触れないし、世間知らずだしで、自分で自分のことが正直情けない奴だと思っていたのかもしれない。おまけに折り紙付きの不器用で、手際が悪いこと山の如しだ。今でもシュラフやテントの畳み方が苦手で、呆れて失笑、失笑の連続だ。

こんな私は、アウトドア初心者の僕は、生まれたばかりの鹿が懸命に立ち上がろうとしているかのような、あるいは風前の灯火のような、不安定で実体のない1個人だったのかもしれない。しかし私は合宿前日は、さながら小学校の運動会の前日のごとく、ウキウキとしてあまり眠れませんでした。

そして合宿の初体験が始まり、左を見てもアウトドア、右を見てもアウトドアの日々が始まった。空気が美味でもアウトドア、初日の夜のカレーを食べてもアウトドアである。人生楽ありゃ苦もあるさ。2日目に雨が降ってテントが水で浸ってもアウトドア、二十曲峠の酷寒もアウトドアだった。合宿とアウトドア――切っても切り離せない関係だと思うし、切りたくても切ってはいけないのかもしれない。

今回の初体験の合宿は、思えば先輩たちの陰ながらの気遣いもあり、充実だった。やっぱりアウトドア!!

新歓合宿 – 錺

3年・錺
☆初日
大隈講堂前に4時集合。1年生たちは、さすがに眠そうで、不安を隠せない様子だ。私も、2年前はそうだった。これからどこへ連れて行かれるんだろう、とそわそわしていたのが、ついこないだのことのように思い起こされる。ようやく空が明け始めてきた頃、エール。私は、まだ3回目だったので緊張したが、大きな声を出して精一杯やった。すると、おまわりさんが、うるさいからやめろと言ってきたのだ。それも当然、まだ時間は5時前。巷の人々はまだ夢の中にいるはずだ。でも、どうやらなだめすかして、目をつぶってもらうことができた。

5時になり、出発。新宿、多摩川の土手、八王子・・・、と、2年前とコースはまったく同じだ。当時、ランドナーに初めて乗った日、しっかりとハンドルを握り締め、こわごわとペダルをこいでいた自分の姿が目に浮かぶ。2年で人は変わるものだ。今年の1年生の力強い様子と比較して、思わず苦笑い。そのうち、ついに恐怖の和田峠へ。2年前、私はギアを変えることを知らずに重いギアのままこぎつづけて死にそうになったり、あまりの勾配のきつさに何度も足をついたりして、早速嫌気がさしていた。まさに、地獄を見たのだ。それがどうだ!今年の1年生たちは、もうこちらが心配するまでもなく、すいすいとこの激坂をこぎ上って行く。うーむ、おそるべし・・・。そして、難なくピークに着いてしまった。

昼飯を食い、下る。当時私が恐る恐る下った下りも、早い早い。相模湖畔を抜けて、キャンプ場へのアプローチ。これが、長い上りなのだ。さすがに、今の私でも疲れてしまった。ほんとに、2年前、初めてランドナーに乗った日に、よくこんなつらいコースを走ったなあ、と、今考えても信じられない。昔の自分を誉めてあげたい気分だ。1年生たちも、さすがに疲れを見せ始めてきた様子だったが、キャンプ場はもうすぐ!がんばれがんばれ!

そうこうしているうちに、キャンプ場に着いた。だが、この「月夜野キャンプ場」は、最後の最後に恐怖のスポットが用意されているのだ。そう、知る人ぞ知る、傾斜20%近くはあろーかという、超絶激下りである。山の斜面を走る国道から、谷筋を流れる川のほとりにあるキャンプ場まで、高度差がすごい!
実は、2年前の雨の日、私はこの激下りで滑って転んで、おニューのジャージのひざが破けるほどすりむいて、追い討ちをかけるように超絶ディープな気分になったという、暗い思い出があるのだ。
(その時破けたジャージの穴は、今もそのままです。)だが、みんなやはりすいすい下っていくのだ!
なんでこんなすごいの?っちゅうくらい、すごい1年たちだ。お見事。

そして、誰も足を引っ張ることなく、明るいうちに全員到着。お疲れさん!だが、さすがに飯後のプレスには、みんな激やられていた。ふっふっふ。やっぱりWCCは甘くない。

☆2日目
今日は雨。がびーん。それでもめげずに、道志峠を越え、二十曲峠へ。雨が降ると、さすがにみんなきつそうだ。こんな日は、峠からも富士山は見えないだろーなーと思っていたら、案の定、霧でなあ~んにも見えなかった。しかも、くそ寒いっ!!!峠のボロい東屋(?)の中では、こんな悪天候なのにもかかわらず、20代後半ぐらいの男女のグループが、やきそばを作り、ビールを飲んでいた。物好きな人々もいるものだ。って、うちらもか。まるでその人々の邪魔をするよーに、すっかり濡れそぼって汚い格好をした我々は、風雨をしのぐべく狭苦しい東屋の中に割り込み、寒さに震えながら冷たいコへ弁を食す。さすがに、みんなもうイっちゃってました。

というわけ予定を切り上げて、速攻下る。山中湖畔を経由して、2年前と同じ「撫岳荘キャンプ場」へ。今夜は、風がビュービュー吹きまくり、雨ももうどっしゃ降り。ここでもまた、みんなで寒さに震えながら、炊事場の屋根の下、いつまでも、いつまでも、たき火にあたっていたのでした…。

☆3日目
うう・・・、最悪な目覚め。シュラフがぐっしょりと湿っている。去年の台湾・大禹嶺の悪夢を思い出した。しかし、そんな重い気持ちでテントの外へ出てみると・・・、おおっ!晴れているっ!すばらしい青空だ。おかげで気分も上々。湖畔の道からは、大きな富士山が、目の前にくっきりと聳え立って見えた。明るい気分で三国峠、明神峠を越え、小山の街を抜けたら、足柄峠のフリーランスタート地点だ!

この峠を越えたら、もうゴールはすぐそこだぞお~!みんな、がんばれよ!とはっぱをかけて、1年生から順に続々とスタート。ついに、最後の私のスタート時間だ。3年生として出発するのは、私1人。こんなん、信じられます?
まあ、それはいいとして、出発した。うお~、2年前もここ、走ったなあ。結構勾配がきつい。そういえば、その時、ギアをいじりすぎてチェーンが外れて、途方に暮れてたなあ。後ろから走って来られたOBの山里さんに直して頂いて、何とか救われたっけ…。なんか、懐かしい思い出だ。
あの日も、今日みたいにきれいに晴れ渡った青空だった。そんなことを考えてる暇はなかったかもしれないが、とにかく全力で走り、ゴール!あ〜、気持ちいいなあ。フリーランを終えて、寝転びながら見上げた青空は、どこまでも高く、青かった。

さあて、記念写真を撮り、みんなで昼飯を食う。余談だが、峠の上で売っていた牛乳ようかんと、絞りたてのミルクは、うまかった。すい〜〜〜っと、気持ちよ〜く下る。2年前は、今日で合宿が終わるのがうれしくて、はやる胸を押さえながら、でも恐る恐る、下っていたことを思い出す。きっと、1年生たちも今そんな気分なんだろうな~。と、考えているうちに、あっという間にJR松田駅に着く。ついに、ゴールだ〜!!お疲れさ~ん!乾杯をして、白昼堂々、大声でエール。みんな、晴れやかな顔で歌っていたのがとても印象的だった。

2年前は、この3日間、まるで1週間ぐらい長く感じた。で今年はほんとに、「あっ!!」と言う間の3日間だった。2年前とまったく同じコースを今また走り終えて、自分が2年間の間にすっかり立派に成長していたことを実感し、なんだか感慨深く、晴れがましかった。今となっては、忘れられない思い出である。

2年企画 (5月中旬 – 下旬) – 錺

2年企画 – 3年・錺
私が今年参加したのは、熱海君の立てた、「筑波山・女体攻め企画」(後で命名)!実は、私は2年前のパートランで、筑波山へ行ったのだが、あまりに激キッツのコースで死にそうな目に遭った。今回、一部その時と同じ所へ行くということだったので、私はリベンジのためにチャレンジすることにしたのである。

さて、当日は日本晴れ、い~い天気である。JR石岡駅前に集合。参加者は、私と、熱海、平井の3人だ。
出発して、しばらくはたんたんとした田舎道を行く。天気よすぎて、暑いぐらいだ。だが、さわやかに走るのもそこまで。ほどなく、本日最大の恐怖スポット、風返峠にさしかかる。いきなり、急勾配!!道の両側に人家が建ち並んでいるにもかかわらず、10%以上ある急勾配なのである。ここの集落の人たちは、きっと毎日大変なんだろーなーなどと、思いを巡らす間もなく、しんどい。

うっ、脳裏に2年前の悪夢がよみがえる。この先、ますます傾斜はきつくなってくるのである。果たして、耐えられるのか?そんな不安を心に抱きながらも、まあ何とかそつなく上っていく3人であった。やっぱり、確かにあの時ほどつらくはない。

2年間の修行で、かなり体力はついていたのだ!だが、そんなことを考えていられるのもここまで。傾斜15%はあるかと思われるポイントにさしかかった。ここからピークまで、こんなのがずっと続くのだ。う~っ、きつい!でも、私はあることを誓っていた。この峠は、今回絶対センターで上り切ると!2年前、一緒に走った当時3年の先輩方(上野さん、石井さん、藤田さん)は、この急勾配をもセンターで上っておられたのだ!それを見て、当時激ヨワだった私は、すごいと思った。感動した。かっこよかった。

だから、今回は私も、どうしてもセンターで上りたかったのだ。が・・・、やっぱりきつい!けど、がんばった。これは行ける!と思った。そう、そして、なんとかかんとか、私はセンターで上り切ることができたのだった。ふ〜〜、疲れました。でも、すがすがしかった。あの時の偉大な先輩方に少し近づけたようで、なんだか、誇らしかった。やっぱり、WCCはすごい!つらいことも苦しいこともあったが、これまでWCCを続けてきてよかった。風返峠の上のさわやかな風に吹かれながら、私は心からそう思った。

さて、その後、つつじヶ丘のロープウェイ乗り場へ向けて、出発。実は、そこへは自転車進入禁止の有料道路でしか行けないということになっているのだが、私は2年前に行ったダートの裏道を知っていたので、そこへみんなを案内した。入り口にはチェーンが張られていて、車では行けないようになっているのだが、らくらくクリア。そのダートも、2年前は倒れそーなほどつらく、むちゃくちゃ長かったような記憶があるのだが、今回は、しゃべりながら走っていると、あっ、という間に終わってしまった。ちょこっとだけ担ぎをしたら、つつじヶ丘のロープウェイ乗り場である。レストハウスやらのいろんな店が建ち並んでいて、にぎやかな所だ。

そこで昼飯休憩。その後、女体山頂を目指す。歩いて行くか、ロープウェイで行くか。前回はロープウェイに乗ったのだが、まあ、歩いてでも1時間ほどで山頂に着くようだ。実際、いっぱいの人々が、老若男女問わず、えっちらおっちら登っている。じゃあ、天気もいいし、ロープウェイ代も節約できるし、今回は歩いて行こう!ということになった。そして、我々も山頂を目指す人々の列に加わる。

なんか、なかなか道が整備されてるみたいで、ハイヒールやサンダルで登っているお姉ちゃんもいた。
いったいどーゆー山じや。登山道の途中には、色々なおもしろい巨石があり、我々は巨石巡りをしながら、登山を楽しんだのであった。でも、やっぱしんどい〜。サイクリングで使う筋肉と、登山で使う筋肉は違うのだ、ということを痛感した。まあ、みんながんばりました。ついに、山頂に到着!神社が建っていて、岩がごつごつして…、2年前そのままである。だが、今回は自分の足で標高0m付近から標高876mの女体山頂まで登ってきたのである。

なんか、感無量であった。山頂の岩場からは、下界の関東平野が一望のもとに見渡せる。そんな絶景を目にしながら、あ~、あんなとこから、こんなとこまで、自分の力だけで登ってきてんな〜〜〜、と思うと、いい気分だった。これぞ、サイクリングの醍醐味だ。しばらくぼ~っとして、感慨にふけったら、記念写真を撮ってもらい、下山する。

下りもきつかったが、がんばってつつじヶ丘までやってきた。さて、これから我々はもうちょっと走る予定をしていたのだったが、予定外の登山を組み入れたため、予定時間をだいぶオーバーしていた。
もう、太陽が西に傾き始めていたのだ。…というわけで、予定変更!カ〜ット!である。まあ、こんな気ままな走りができるのも、2年企画ならではだ。ちょっとしたアップダウンを繰り返して、湯袋峠へ。あとは、下界へドカ〜〜~ン!と下るだけである。すい〜〜〜っと下り、「あっ!」と言う間に下界へ出た。まさに、上りはつらいが下りは・・・、である。

ここから先は、熱海がマニアックな裏ルートを知っている、というので、彼に任せた。実は熱海も、筑波山は去年と今年のプレ新歓で来ていたのだ。でも、女体山を登ったのは、今回が初めてだったらしい。ね、来てよかったっしょ?ま、そんなこんなで、車の全然通らない、川沿いの静かな道を走った。
途中、後ろを振り返ると、夕暮れに赤く染まった空を背景にして、遠く女体山が見えた。そんな一幅の絵のような美しい風景を見なあんな高い山、登ってんな~と、思わずたそがれてしまったのだった。そして、まもなくあたりが夕闇に包まれかけた。頃、ようやくゴールのJR高浜駅に到着。は〜、楽しかった!

コース的にはたいして長くはなかったのだが、山1つ分を登ったのだから、なかなかのものだ。熱海、平井、どうもお疲れさま!乾杯をし、輪行を済ませたら、電車に乗り込む。とっぷりと日が暮れた関東平野を、電車はただ、走り続けた。今日もとても有意義な一日であった。

プレ合宿 (6月19日 – 20日)

1日目 – 錺

3年・錺
昨夜は東武日光線下今市駅に集合。各自輪行したら、大谷川の河川敷にテントを張って、野宿。聞こえるのは川の流れる音だけ、という、静かで落ち着いた野宿ポイントであった。おかげでぐっすりと熟睡。

翌朝、朝もやに煙る中、出発。日光を経て、しばらくは国道沿いに行く。途中、あやし〜い急勾配の道に入り、しばらく行くと早くもダートにさしかかった。5万図を見ると、何回巻いとんねんっちゅうぐらい、巻き巻きしている。「表男体林道」だ。男体山を取り巻きながら、山の南東から北西へ抜ける道で、ツーマーにも載っていないマニアックなロングダートなのである。ここはなかなか走り応えのある道だった。結構ほどよく荒れていて、プレ合宿にはもってこいだ。天候は曇りで、時折霧雨が降る。まあ、かんかん照りよりはいいだろう。涼しくて、走りやすかった。まあ、私も結構疲れてしまったが。ははは・・・。とにかく、志津小屋という怪しい山小屋のあたりで、ピーク。ふう。後はどかーんと下り、国道にぶつかったら、また上りである。今度は金精峠だ。まあ、舗装の道になったのはいいが、車が走ってくるのがつらい。でも、そんなに多くないのでいいが。

しばらく上ると、湯滝の真上、湯ノ湖のほとりに出る。ここで昼飯休憩だ。滝の流れ落ちる豪快な音が聞こえる。天候は曇り空だが、暑くもなく寒くもなく、ナイスな天気だ。

さて、昼飯を食い終わったら、後は金精峠目指してひたすらアップだ!だんだん霧で視界が悪くなってくる。なかなか上り応えのある峠だ。峠はまだか〜!みんな頭がおかしくなってくると思われた頃、ようやくピークに着いた。ふう。あたりは霧で、何も見えない。でも、だいぶ高いところまで上がってきたことは確かだ。後はどっか~ん!と下ったら、キャンプ場だ!さあ、下ろう。さすがに標高が高いので寒いが、気持ちいい。菅沼、丸沼といった湖のそばを抜けて、片品村役場のあたりで買い出し。・・・のはずだったが、その手前でちょっとした事故が起きた。CLの横を走っていた車が、いきなり急に左に曲がろうとしてきたのだ。そのため、CLの紙浦はその車にぶつかって、こけてしまった。まあ、幸い、紙浦も、自転車も、車も何ともなかったからよかったのだが。今回は、紙浦も疲れ気味だったようだが、車が急に曲がってきたのが1番悪かったような気がする。

とにかく、そういう車の荒い運転に巻き込まれて事故を起こさないように、今後CLの人は気を付けよう!
そんなアクシデントもあったが、なんとか村のスーパーにたどり着き、買い出し。その後、国道をしばらく南下して、利根村役場近くのキャンプ場「グリーンパークふきわり」に到着!あ〜、長かった。これぞプレ合宿、っちゅうようなコースでございました。もし、私が1年だったら激死にしてただろうなあ、と思う。でも、今年の1年は誰も死ななかった!なんでお前らこんなに強いねん!ってな感じでしたよ。まあ、これで夏合宿は安心かな。

ところで、このキャンプ場には私たちの班が1番最初に着いたのだが、受付に行くと、数日前にDCCの3年生、赤崎君と中村君が、夏合宿の下見でここに来た、ということづけが。「合宿、がんばってください。」とのこと。おお!何たる偶然!なんか、うれしくなってしまいました。どうも、ありがとう!さて、そうこうしているうちに、全員が無事到着。今夜のメニュ―は、夏野菜のカレー。これがうまかった!1年生たちは、夏合宿、食当も期待できそうだ。こんな、あまりに強く、全然弱音を吐かない1年生3人に対して、ちょっぴり悔しい気持ちもあったが、やっぱりとってもうれしかった。これからもしっかりがんばれよ!

2日目 – 河瀬

2年・河瀬
プレ合宿2日目、この日はダート45キロを含む80キロ・1,000アップである。また今回はフリーランが無く、正直な話いくぶん気が楽である。私は前日に続き、パンクしてしまい、手早く修理したのだが、
どうもホイール事態に異常があるらしく、すぐにまたピンホールパンクをしていることが判明した。
そこで、もうチューブを替えずに休憩時、あるいはラン中にしばしば空気を入れ、何とか沼田までたどり着いたが、ランのリズムを大きく乱してしまったことは否めず、班員の方々には大変迷惑をかけてしまい、申し訳なかったと思う。コース自体は、天候に恵まれたこともあり、さほどきつくは感じなかったが、来るべく夏合宿に向け、精神的に甘えがあることが浮き彫りになり、その点では有意義な合宿であった。

夏合宿「中部地方」(8月4日 – 17日)

☆前半・御嶽班後半・しらびそ班1年・古橋

☆前半・御嶽班後半・しらびそ班1年・古橋

夏合宿随想記
え?夏合宿ですか?イヤーもうなんて言うかとにかく楽しかったですね。それしか思い浮かばないというか、もう毒されているんでしょうね。かなり。都合の悪いシーンなんか忘れていくんですよ。ほんとに。

まぁでも佐渡は暑かったですねえ。新潟ですよ。北国。「佐渡おけさ」とかあったなぁ。酷暑なのに缶食い姉さん。これがさぶー。相手してらんないですよね。

そうだと思ったら、今度は雨が降り出しやがった。堀江さんには、「雨男」の嫌疑がかけられました。山の天気と女の機嫌は分からない。そうそう。雨境峠というところでは、雨の境になっていましたね。神秘です。

え?印象に残っている地ですか?まぁそうですねえ。温泉地ですよ。野沢、草津、下呂等の温泉で垢を落としました。

野沢は、坂ばっかり。我が家も坂のまん中にあるから、馬鹿にされてたんですけど。草津は中学のときの同級生の小林君の実家があるところ。「ホテルニュー草津」言ったかな?馬鹿にされて泣いてたことあったような。下呂につく前は、中森明菜の「Desire」を歌って、気分も高揚!

え?臭かったって?むかつきますねえ。僕が臭いんじゃないんですよ。ゴアとレーサーグローブと靴と靴下が臭いんですよ。かなり醗酵してました。周りは発狂。

え?葛田?後半はヤラれてたなあ。それもアリと違いますか?でも合宿前、彼行方不明でしたよね。死んだか?みたいな肝がつぶれましたねえ。それがずっと佐渡に居たなんて、なんかだんだん腹立ってきませんですか?

2年生の方々ですか?フェリーから出てきた時の印象として、河瀬さんは頭が金髪でしょう。売れないミュージシャンみたいな、柄ワルーみたいな。いつの時代?みたいな。そんなこと、あの時は口にもだしませんでしたが。紙浦さんは、異国情緒たっぷり。道の真ん中で寝てました。
熱海さんはよくキレてました。でも最終日にジュースおごってくれたな。「峠ジュース」って、マジで不可欠。あの時は疲れてたし。平井さんは、あんまり日焼けしてないなぁ。なんか肌は豆腐みたいな。

☆しらびそ班2年・平井

夏合宿、1番思い出深く、キツかったのは初日の佐渡である。前プラをろくにしていない自分には本当につらかった。「うわ1帰りてー」と思いつつこぎつづける矛盾。いつものことであるが、あのときは本当に「下ろっか」と思った。

頂上には白雲荘があり、僕は青雲のCMソングをパロって、「白雲それはー。」と誰しも考えつきそうな低レベルな歌をつくり、自分をごまかしていた。そのうち歌についやすパワーももったいないと思い、無口になった。目にうつるのはみんなの背中、白雲荘、そして深田恭子。まぁ、何とかのぼりきり、下る。下りの時は「やっぱいいね、チャリは。」って思う。

ここで1句
ストイックMには楽しサドヶ島
くだらないね。

☆御嶽班2年・熱海

Yちゃんと走った夏とKの呪いについて

自分の夏合宿について語れと言われたので、思い出せる時を書いてみようと思う。まず、これは合宿ではないが自分としてはかなり充実した前プラを行い、体中丸こげになって新潟入りした僕は、新潟の真っ平らな道にへきえきしていたせいもあって、何か面白いことはないかと考えた。そこで頭にうかんできたのは、フーライこと河瀬のことだった。あいつは前プラに競馬をやるとか言っていたので、今はきっとナエナエだろう。あいつだったらつかまるかもしれないと思い、久しぶりにPHSの電源を入れて、TELしてみたところ、やっぱりかかった。

聞いてみると新潟のホテルに泊まっているとのこと、俺なんか前プラ中ずーと野宿で風呂にも入ってなくてクサクサなのにこのヤローと思いつつ、新潟駅前で会う約束をして、新潟の夜へ消えていったのであります。類は友を呼ぶもので、翌日にはブクロこと紙浦が合流した。これで、もう我らが御岳班のワガママ3人組がそろってしまったのだった。

佐渡で合流してみると何だかサビしい・・・。これは何だ?と思ったら同志商学部1年K君が行方不明になり、オイソガ氏ことE君が失走したというではないか。こんなブルーなムードで夏合宿は始まったのであり、最後まで引っぱって下さった3年の方には感謝しております。

夏合宿が始まって気付いたのは、やはり河瀬(ここではK君としよう)は呪われているなということ。
御嶽班で走っただれもがうすうす思っていたことだと思うが、K君は究極の雨男ならぬ雨ごい男なのである。連日2,000アップで暑くてくるいそうになっていた時、Kがふと「あー雨降んねえかな、シャワーみたいなのがいいな」と叫んだ。すると、渋峠に登り始めたとたん大雨になった。峠付近は嵐そのもので荷物満載のチャリに乗ったまま、風で横倒しになるほどで、あのS先輩でさえ「押し」、を指示されたほどである。

またある時、雨境峠というその日のメーンである峠にやっとこさたどりつこうとしていた時、「峠のトンネルを通り過ぎたら、雨だったら笑えるよなー」とKが言った。そしたら、本当に雨が降った、どしゃぶりの雨が。峠を登っている時はとてつもなく暑かったのに・・・。

そして、郡上八幡でS先輩が帰った次の日、その日はやはり最高に晴れていて、相蘇さんが帰られた時も僕は上半身裸だった。なのにである、こともあろうにKは「シャワーみたいな雨・・・」と言いだしたのである。まさかと思いつつ笑っていたが内心はとても心配だった。そして街中をぬけていよいよ登りにさしかかり昼飯を食おうとしていたら、雨である。そしてその日、ゴアのせいでサウナスーツ状態になった僕は今にして思えば合宿中最高に死んだのである。K、おそるべしである。

合宿中になると。概して一日を起床の声に始まり先輩方にもう寝ろと言われ終わる。という軍人なみの日課につかってしまい、ただ走る、ただ登る、ただ食う、寝るという状態になりがちである、と思う。自分としては、常に自分の色(カラー)を出して走りたいと思っていた。普段はナエナエと思われているが、夏合宿は燃えるのである、自分は。だから特に、現地の人とのふれあいを大切にしたい自分は、なるべく道ゆく人に声をかけていた(特に女の子)つもりであったし、夏を目標にレベルロップしてきたつもりのフリーランもやる気まんまんであった。

しかし、夏合宿の終わりを目前にしていやな形で一風異なった合宿をしてしまうことになった。あれは最終日の前日のフリーランの日、乗鞍で2年会を制した自信満々の僕は朝からブロロをぶっちぎってやろうと燃えていた。

フリーランでは結局ブクロに負け、Hちゃんが1位だったが言いたいのはそれではない。フリーラン後、
いのこの処女を失ってしまった上に雨が降りガタガタふるえていた僕は、多分早く下りたかったのであろう、ボーとしたまま下りだしていた。そしたら、いきなりガッーンとなってボトルゲージにさしていた2リットルの水入りペットボトルが空を舞い、目の前に星が散ったのである。ナンダナンダと思ってストップをかけて(その時自分はCLだった)見てみると、前後輪ともパンクしている、とりあえず自分の班には先に行ってもらい、パンクを直したが、下り始めたとたんタイヤがガタガタ言いはじめたのである。なんとリムをゆがませてしまったのですねえ。

そこから30キロ、ボスに付き合ってもらい、チャリについて、人生について語らいながら歩きました。
参考までに書いておくと、自転車を下りで“押す”というより〈ひっぱりつつ歩く〉というのは
かなりしんどいものなのですね。で、僕が発見した引き方というのは、うしろにつんでいるテントが出っぱっているでしょう。

それに腰をつけて後ろに力を加えつつ、下るんですね。書き忘れましたが、その時、フロントブレーキがかけられない状態でありました。そして、この下り方は縦積みではなく、横積みでなくてはなりません。

そうして、やっと中津川駅に到着しました。その日は花火大会があり、輪行していると目の前を浴衣に
身をつつんだカップルが通り、あん時ほどYちゃんに会いたくなった時はないです。そして花火のきれいだったこと。いや本当にチャリこわれてよかったと思いました。(ウソですよ、本当)

あの時はこのまま名古屋まで輪行かと思いましたが、チャンスを与えて下さった錺さんには今でも感謝しています。ありがとうございます、おかげでKの死にざまをたっぷり見ることができました。

☆御嶽班2年・紙浦

紙浦氏の一日
天気にも恵まれ快調に飛ばす。班員がちぎれるも気にならない。なんたって今日は郡上八幡。要所で道まちがいをしつつ、無事(?)到着。気分は超HIGH。川に飛び込んだりしちゃいました。これだよ、これこそが当時の俺の求めていたサイクリングだよ。夢見心地のまま、その日の「宿」に。飯も終わり、

翌日は熱海が全Cなので、全Cテンを探しに行きました。山登り。そう、サイクリストは山が苦手。しかも小心者のA海くんは1人で寝れないと逆切れしてます。じゃ、みんなでテントをおろそう、ソーッと、ソーッと・・・「ボキッ」ヤーな音がしました。そのあとみんなで缶ジュースを飲み(今年は禁止でした)、タバコをふかし、河瀬とテントで熱く語り合う。「就寝?」「ナニソレ。」「明日2,000アップ?」「たかが2キロだろ。」…
4時間余り睡眠をとり、A.M.3:30起床。さすがに眠い。この日は朝から晴天。暑い夏になりそうだ。アミーゴ隊長、相蘇さんが抜ける。しばし後に、「雨降らねーかなぁ!」例によってかわせくんの発言だ。メシ時。あやしいかなとは思ってたが、どしゃぶり。俺と熱海は、河瀬に切れたネ、ほんと。登るにつれて寒くなり、1分に1回雷がなり、もう笑って歌うしかない状況に。
キャンプ場、ホント遠かったです。追い打ちをかけるよーに今日はやみなべ。くいもんじゃなかったです。イヤ、まじで・・・。もーテントサイトで寝る気がなく、炊事場で寝てました。合掌。

☆御嶽班2年・河瀬

まずは前プラについて書こう。走行距離は200キロちよっと。しかも、ほとんど国道走り。新潟競馬場を制覇し、駅前のビジネスホテルで2泊。エチゴビールを飲みながらテレビでJリーグのオールスターを観戦。これでだいたいわかるであろう。ちなみにこの時点で僕は3万円も使っていた。

いざ佐渡へ。フェリーの中でなぜかウキウキ。これが合宿前の気分、すごく不思議である。家を出るまでの重苦しさはどこへやら。みなが僕の金髪に驚くのを楽しみながら、初日を迎えた。この日は今思うとかるーく死んだのかな。いや死んでない。

大佐渡スカイラインと銘打った簡易舗装は傾斜16%。僕はずんずん遅れ、みなはどんどん進む。夏合宿の洗礼だったのか、炎天下に僕は心の中で「これが夏合宿だ」と強がってみせた。一言、佐渡の海はバリよりきれいだよ。

2日目は僕のCLがみなに酷評された日、メータをつけたことも手伝って、僕の頭の中はタイムテーブル遵守。今考えてみると、2,300アップの日に野沢温泉で2時間のフリータイム、これはおかしかったかもね。時は流れ、僕の顔はやつれ、雨男であることが決定的になり、むかえた郡上八幡でのフリータイム。やってしまった橋からの12mの飛び込み。元来というか、生まれついての小心者である僕は調子に乗っていた。服を脱いで橋の上に立つまでは自慢ではないが、速かった。そこからスローモーションの世界に誘われた。足はガクガク、心臓バクバク、頭はパニック、見物客はハヤクとはやしたて、橋の上での10分少々が1時間にも感じられた。

意を決して落ちたら、水面に着くまで長いこと、長いこと。その間約2秒。水面に浮き上がるまで長いこと、長いこと。その間約3秒。バンジーの比じゃない怖さだった。ここまでおさらいしておくと、乗鞍は僕も認める快走コース。

登山は蛇足。白川郷は僕にとってはバッヂ集めのスタート地点となった場所で、相蘇さんについてはバッヂのついたフロントバッグが妙に魅力的に思えたが、全Cテンで耳鳴りがしてきたときはちょっと恨んだかな。そしてまた時は経ち、2度目のフリーラン、その後の75キロ、僕の体力と精神力は限界点を越えてしまった。

いよいよ最終日、この日は600アップのはず、峠1つカットしてもらったけど600アップはしたよ、きっと。合宿の魔物かミラマーの呪いかは知る由もないが、最後の生け贄は僕だった。あと300アップを残した休憩地点。前の1発からかなりやばかった僕だがここでのラークは甘かった。苦いはずのラークが甘い。ラストアップを5分ぐらいしたところで、僕はいいようもない目眩と全身けいれんに襲われた。真っすぐ走れないし、いまでも当時の記憶はほとんどない。写真を見てそれがよくわかった。和田峠、子の権現、春の前プラの大河原峠、大佐渡スカイラインとたびたび、僕は「死んだ」という言葉を使わせていただいてきたが、浅はかだったというか、おこがましかったことを痛感した。

本来の1発を200アップカットしていただいたにもかかわらず、要した時間はおそらく3時間くらいだったのかな。でも三国山の分岐を真っ直ぐ下っていったときは泣けてきた。たかが1万数千アップのうちの200アップ、されど・・・だね。どこかからリタイアかという声も聞こえてきたが、最後はいわゆる根性。平地を30キロくらい1発で走り、名古屋駅に着いた。ゴールである、一応完走、いや完走である。この夏の1,300キロに及ぶ自転車の旅は終わった。正直な話、充実感、達成感にもまして悔しさが残った。そして名古屋の夜も悔しさが残った。キーワードは入れ墨、鼻ピアスかな。(完)

☆しらびそ班3年・金

紅葉もだんだんと深まってくる10月になって、出版局長河瀬から「全員日記」の原稿の依頼を受けた。
彼のスタンスとしては「記憶に残っていることについて書いて下さい。残っていないようなことは、要するにつまらなかったということですから。」―なるほど、確かにそうだ。記憶に残ってない事を、記述していくことほど、辟易することはない。これならスラスラ書けそうである・・・。静かに、私が執行部であった夏合宿、第37代の夏合宿、そして伝統的なスタイルで行われるのは最後になるかもしれない今年の夏合宿に思いを寄せてみる。

・・・が、全く思い浮かばない。いや思い浮かばないというよりも、記憶は残っているのだが、かすみがかっている。私はまるで夢遊病者であるかのように、無意識のまま合宿を過ごしてしまったのだろうか。自分自身よく分からないが、一日だけ明確に私の胸に深く刻み込まれている日がある。中日の乗鞍フリーランである。

なぜなら私だけが激死にしたからである。正味な話、他は楽勝だった。こんな事をいうと企画者に失礼かもしれないが。まぁ、とにかく、乗鞍フリーランのことについては後述するが、新しいミレニアムを迎えるにあたって、WCCは今、変わろうとしている。いや、もう変わらなければならないのではないか?過去30数年間、OBの諸先輩方が血まなこに築き上げた伝統。

・・・全てが消えるわけではないが、変わる部分も多いだろう。私は、伝統的なスタイルのクラブを最後に見た生き証人となってしまうのだろうか。哲学者のニーチェさんも「脱皮できぬ蛇は滅びる」とおっしゃっておりますからね。でも全然変わらなかったりして。わけのわからない事を書いちゃってすみません。

それでは夏合宿の乗鞍でのフリーランについて大崎風に書いてみようと思います。{(注)大崎 1997年4月から1998年6月までクラブに在籍。音楽性の不一致で脱退。}

8月9日は、フリーランの日だった。僕は元柔道部だから、フリーランはあまり得意ではない。しかも15km、1,400アップもあるということもあり、朝から大変ゆううつで、とても緊張していた。
そのせいで朝からメシがなかなか通らず、とてもゆううつだった。メカなので僕だけ荷物が重いのでゆううつだった。みんな軽そうでうらやましくて、ゆううつだった。スタート地点からゴール地点がはるか頭上に見えたのでゆううつだった。つまり、かなりゆううつだった。でも死ぬ気で頑張った。死ぬ気でふんばった。途中でハンガーノックになったが死ぬ気でこいだ。

そして走り終えたとき、腹立たしかった。メカのくせして誰にも追いつけなかったので腹立たしかった。鼻水がいっぱいたれたので腹立たしかった。よだれも、いっぱい出たので腹立たしかった。激死にしすぎて、山を登れなかったので、腹立たしかった。つまり、とても腹立たしかった。でも、とてもすがすがしかった。とてもきつい一日だった。以上です。

最後に巨人の長嶋監督の言葉をかりて、
「我が早稲田大学サイクリングクラブは永遠に不滅です!!」
ありがとうございました。
8月16日

☆しらびそ班3年・堀江

今日で合宿も残すところ、あと2日になった。そして、神坂峠でフリーランが血行された。10キロ、800アップの急勾配のものである。私は資料の役も兼ねていたので、皆より先にスタートした。1年との差は30分。それでも変態古橋に追いつかれることを恐れて、必死に飛ばす。そのおかげで64分の好タイムを出す。皆も無事完走。特に最後の錺の熱を出しながらのゴールに皆、感動の涙を流した。

さて、下ろうとした時、重大事態が発生した。熱海のリムが割れたのである。ボスの私は、本隊と別れて熱海と共に自転車をおして下ることになった。本隊は雨の中、ブレーキ音を鳴らしながら、あっという間に見えなくなった。これから押して下るのかと思うとため息が出た。が、逆境を楽しむのがサイクリングであると、気を取りなおし下ることにした。風になり、スリルと緊張を楽しむ自転車の下りと違い、歩きでの下りは、まわりの景色をじっくりと眺められ、峠の雰囲気にどっぷりとひたれた。特に神坂峠は古事記にも記されている通り、日本武尊が東征の時に越えた古くからの峠道で、何かオドロオドロしい感じが良かった。重い荷物を積んでいるので、ブレーキをかけながら押し下る。いいかげん手がしびれ過ぎた頃、当初峠から1発で着く(自転車なら)コンビニについた。

峠から6時間もかかった。そこで大休止。時間的にキャンプ場での合流は不可能になった。英気を養って、再び押しに掛かる。中津川で輪行することにして、駅を目指す。中津川は今日、花火大会のようだ。人出が多い。その中から、親切なおじさんとおばさんが、自転車屋を教えてくれる。人情の温もりに触れる、自転車での旅ならではだ。だが自転車には相当するリムがなかった。駅前で自転車をバラしていると花火が上がった。古い街道宿に上がる花火を見て、いままで合宿モードだった自分から、急にノーマルモードに戻った気がした。しみじみと夏の情緒を感じ、郷愁を覚えてしまった。合宿も残すところあと一日だ。がんばろう。

輪行して土岐市駅へ。久々に分明に浴した。クーラーが寒く感じた。合宿中に輪行とは少し残念。さて、駅に着き、近くの公園で野宿。寝ていたら、何か明るいライトが我々を照らした。やがてそれが警察だと判明した。立ち退きをせまられるのかなとドキドキした。そのおまわりは、自転車乗りらしく、
我々が駅前で自転車を組み立てている時から、我々をマークしていたらしい。いろいろ自転車に関することを聞き、帰っていった。ひとまず安心。最臭日にそなえて、我々はねむりについた。

☆御嶽班3年・杉山

リフレインが叫んでる8月6日

『(品川・・川崎・・尾張小牧・富山・・。)』
『(練馬・・大宮・大宮・・。)』
『(小諸・・品川・・練馬・・品川・・。)』
『(新潟・・新潟・・横浜・松本・名古屋・相模・・多摩・・小諸・・。)』
「じょこお、すとっぷう。」
『(・・・休憩かな。)』

僕はおもむろにサドルからおりるといつものように時刻を確認することもなく、そのまま静かにアスファルトの上に体を横たえた。ひょっとして休憩ではなく、何かしらのトラブルでは?というような疑問はこの時、微塵も頭をかすめることはなかった。僕は、眠れぬ夜に羊を数えるように、次々とわきを走り抜けてゆくセダンのナンバーを眺めていたせいか、目を閉じるとそのまま意識を失ってしまいそうになるほどの心地良さを全身に感じ、その感覚にゆっくり身を任せた。そして、いつもならどんなにきつい勾配のあとでも、また自由に歩き回れなくなる程に下半身が疲労していようとも、実行するには強い抵抗を感じたであろう『地面に寝そべる』という行為も、この日はすんなりと受け入れることができる。

『(何かがおかしい。)』
そう感じはじめたのは巣鷹湖キャンプ場を出発して間もなくのことだった。1発目からCLの紙浦が精神に異常を来し時速30キロで暴走したことがではない。問題は僕自身の体にあった。朝起きた時には頭に薄いもやがかかっているような程度だった症状が、2発目の休憩時には、それはあきらかに頭痛に変わっていた。体の節々も痛む。考えるまでもなく、それは典型的な風邪の症状だった。僕は錺からかぜ薬を出してもらい通常の2倍くらい服用すれば昼飯前には治っていて、そのうち鼻歌でも歌い出すだろうと思っていた。

しかし、昼を過ぎて間もなく、実際に僕が心の中でつぶやき出したのは、車のナンバーに記した地名だった。『(市川・・新潟・・広島・・品川・・。)』

つぶやくたびに、僕の中で時間の感覚は徐々に失われてゆく。強い風雨が吹きつけ、霧に包まれた渋峠が、それをさらに加速させた。しかし、極度に鈍化した僕の中の時間は、一方で身体感覚を膨張させる。全身から吸収された寒気が、体の中で悪寒に変わり、最後にこのうえなくリアルな苦痛となり脳へと巡った。

そして、硫黄臭の出迎えもないまま草津へと下り、入れば風邪の症状が悪化することは分かっていながら、強烈に熱いままの湯舟につかる。『(「やられる」)ってのはこういうことなのかな。』

湯煙がたちこめる風呂場で、心地よさにくらくらとしながらつぶやいた。

夏合宿を振り返って-つれづれなるままに – 錺

☆御嶽班3年・錺
夏合宿——。2年前の夏、昨年の夏、そして、今年の夏。それらの記憶は、すべて私の脳裏に鮮烈に焼き付いている。初めてWCCの夏を体験した2年前の合宿も苦しかったが、今となってはほんとに良い思い出である。

あの時は右も左もわからない1年生の私だった。しかし、2年経って、今年。私はWCCの副将として、
他の部員たちを引っ張っていくべき立場にあった。当然、自らが苦しんでいる暇はないはずだ。しかし、実際のところ、苦しかった。本当に、つらかった。特に、今年は部員が少なくて、各自の負担が重かったにもかかわらず、やむを得ない理由による途中参加や戦線離脱が相次いだ。また、暑い日が続いたと思えば、雨も非常に多く、まさに過酷な天候でもあった。そんな重なる困難がたたったのか、私は合宿終盤において、体調を崩してしまったのである。

悪寒、下痢、体中の痛みなどに襲われ、立っているのさえやっとという時もあった。そんな時、さらに追い討ちをかけるように、前輪のリムが割れてしまうというメカトラも発生。本当に、合宿をリタイアする考えが、何度も頭をよぎった。1人だったら、とっくに走ることをやめてしまっていただろう。

そんな時、どうしようもなく不甲斐ない私を助けてくれたのが、WCCの同期や後輩、先輩たちであった。事実、みんながいなかったら、とても副将としての使命を全うすることはできなかっただろう。自分1人で走っているのではなく、みんなと一緒に走る、ということのすばらしさ――。自分が、WCCのみんなに支えられていることを心から実感した、3年目の夏合宿だった。やっぱり、WCCはすばらしい!本当に、心から感謝したい。ありがとう!

さて、そのうち、夏が終わり、秋、冬・・・と、時が過ぎ行く中、人生において決して忘れられない、
この夏の思い出を心にとどめておこうと、私は、ただつれづれなるままに日記を書いた。不思議なことに、あれからもう何ヶ月も経ったというのに、1日1日の出来事や風景が、頭の中に色鮮やかに残っているのである。そのため、1度書き出すと、もう簡単に手を止めることはできず、気がつけばまさに膨大な量を書きためてしまっていた。

ほんとに、14日分全部書き終わってから冷静に見てみると、「あほかいっ!!!」と叫びたくなるような量なのである。その、14日分の日記すべてを、ここに掲載するべきかどうか、悩みに悩んだ。あまりに長すぎて、浮いてしまいかねない。私が自ら厳選して、数日分の日記だけを選び出して載せることも考えたが、今一度読み返してみると、どの日も大変印象深く、どうにも取捨選択することができない。途中の記録が抜けてしまうと、後が続かなくなってしまう、ということもある。

うーん・・・。そんな中、「峠」の編集作業を進めるうちに、予想外にページ数が少なくなりそうだということに気付いた。・・・という訳で、さんざん悩み抜いたあげく、編集長特権(?)で、やっぱり全文をここに掲載させて頂くことに決めました。

言っておきますが、長いです。本当に、長いです。(笑)もしウザかったら、テキトーに読み飛ばしてくださって結構です。たぶん、ウザいでしょう。でも、がんばって全部読んで頂ければ、光栄です―――。それでは・・・、スタート!!

☆8月4日・初日
今日も佐渡は雲1つない快晴。ここ数日、「あほかい-っ!!」ちゅうよーなクソ暑い日が続いていて、ただでさえ気が狂いそうだとゆーのに。まだ朝早くなのに、太陽はぎらぎらと輝いている。テントを畳み、朝飯を食ったら、埠頭でエール交換だ。これから14日間にも及ぶ戦いがついに始まるのだ-っ!!

出発してしばらく国道を行き、横道に入ってちょっと行くと、「缶食い姉さん」があった。爆笑しながら1回目の休憩タイム。だが、我々の顔に笑みがあったのはもはやここまでだった。さらに進むと道が簡易舗装になり、ぐんぐんと傾斜がきつくなっていく。「ぎゃ—っ!!」と叫びながら、みんな早くもインナー・ロウ。しか-し、傾斜はますますきつくなり、それがえんえんと続いている。しかも、太陽はますます激しく私たちに照りつけてくる。

私などは、後ろにサブメカ工具の入ったサイドバッグ2個をつけていたので、もうしんどいの何の。
ふと横を見ると「傾斜16%」の表示。「きゃあ—っ!!」もう笑うしかないっ!状態である。噂には聞いていたが、大佐渡スカイライン、おそるべしっっ!!!ま、そんなこんなでかなりもがき苦しんだが、何とかみんな白雲荘レストハウスに着いた。いや-っ、その眺めのすばらしいこと!!しんどい目をして登ってきた甲斐があったというもんである。

ここで昼飯を食ったら、ちょっとしたアップダウンをして、ドカ—ンと下る。やはりこっちもかなり傾斜がきつい。とりあえず下り終えたら、買い出しを済ませ、海沿いの道を走って、キャンプ場に着いた。このキャンプ場は浜辺の海水浴場のすぐ前にある。私たちはもう海パンをはいて海に飛び込んだ。つかの間の涼しさを味わう。しか-し、このキャンプ場に泊まるのはしらびそ班の人たちのみ。私たち御嶽班の面々は、明日のコースが長いため、フェリーの時間の関係上、今日先に本州へ渡ってしまうのである。

とりあえず着替えたら、しらびそ班の皆に別れを告げる。「今度は乗鞍で会おーぜっ!!」そして、我々は小さい峠を越えて、小木港を目指す。あー暑い。ま、それも少しの辛抱。ほどなく小木港に着き、佐渡に別れを告げて、フェリーに乗り込む。
ああ、つかの間の休息である。みんなやっぱり疲れたのか、しばらくすると眠りこけている。私も少し寝たが、食堂でうどんを食ったら、後は緊張のためあまり眠れなかった。テレビでは天気予報をやっていた。やはりここ最近の暑さは少しおかしいようである。特に新潟はクソ暑いらしい。やはり異常気象か?と思っていると、週間予報ではこの先ずっと「晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ」!!ははは・・・。もう笑うしかない!

いつもならうれしいはずのお日様マークだが、こうも続くとねえ・・・。まあ、がんばろうっ!!と思っていると、いつしかフェリーは直江津港に着いた。久しぶりの本州だ。もうだいぶ暗くなっている。私たちは国道沿いのセブンイレブンの近くに公園を見つけ、そこで野宿をした。さあ、明日もきついぞ-!おやすみなさい!!

☆8月5日・2日目
ここは直江津の街中にある公園。テキトーにコンビニで買ったメシを食って出発。1発目は国道走り。
朝っぱらだというのにびゅんびゅん車が飛ばしててうざいうざい。だが、途中で横道にそれると、そこは一面に水田が広がる、のどかな田舎の朝の風景。最初のうちは気持ちよかったが、次第にアップ気味になってきた。うっ、なんかペース速いんとちゃうん?と思いつつも、それは自分がまだ合宿慣れしていないからだと思って何も言わなかったのだが。だんだん山の中に入ってくると、さすがにしんどくなってきた。ひ-っ、き、きついぞ-、

今日も勾配が-!今日1番の難所、関田峠は、下見をした杉山によるとかな-りアップがきついらしい。やっぱりきついわ、コリャ!さらに、ずんずん登っていくと、傾斜20%はあるかというよーな所に差し掛かった。まるで壁である。しかも、強風がびゅんびゅん吹き付けていて、どっしぇ-!!ってな感じである。越後平野が眼下に広がっていて、眺めはサイコー!だったけど・・・。まあ、皆がんばりました!!やがて何とか峠に着く。

そして、ドカーンと下って千曲川を渡ると、野沢温泉までだらだらアップ。今日はなぜか薄曇りだったので、救われた。それでもしんどい。だが、何とか野沢温泉の街に。ここでまず買い出しをしたのだが、その商店「魚六」のご主人のお子さんが早稲田に行っておられるとかで、私たちはトマト、きゅうり、バナナ、トマトジュースなど、いろんな物をいただきました。

「魚六」のご主人と奥様、どうもありがとうございました。さて、しっかりビタミン補給もできたところで、待ちに待った2時間の温泉フリータイム!!やった-!!野沢温泉には昔スキーで来たことがあったが、昔ながらの温泉街という感じで、なかなかの風情である。私たちは共同浴場「大湯」に入ることにした。そこは何とタダ!ありがたい!私たちはゆっくりお湯に浸かって疲れを落とすことができた。

さてさて、心も体もリフレッシュしたところで、ドカーンとキャンプアップである。あほみたいにきつ-い勾配を登ってスキー場の下に出ると、後は普通のアップ。冬にはスキーヤーたちでにぎわうはずのスキー場の斜面をひたすら登るのだが、さすがに今はシーズンオフのようで閑散としている。途中何かの合宿で来たと思われるお姉ちゃんたちに「がんばってくださ-い♪」と声をかけられ、皆やる気が出たようだ。3発ほど山を登っていくと、本日のゴール、「スタカ湖キャンプ場」である。何とか明るいうちに着くことができて、ホッ。湖畔のキャンプ場でとても気持ちがいい。夕焼けもすばらしかった。

皆で飯を作り、食ったら後は寝るだけだ。あたりはすっかり夜の闇に包まれている。なんかちょっと風が出てきたような感じだが。まあ、明日もいい天気だろう。さあ、寝よっかな-、と思ってると、びゅんっっ!!ト突然の強風!ん?なんか飛んでいくぞっ?と思って見てみると・・・。ぎや—っっ!!テントが飛ばされてるーーーっっ!!

必死で追いかけるが、時既に遅し。ポッチャン!と湖にはまってしまったのである-!ガビーン、ど、どうしよう。近くの家族連れで来ていたおじさんが取ろうとしてくださったが、と、届かない-。
仕方なくボートを借りて救出しに行くことにした。私と杉山がボートに乗ることになったが、私はボートなどこれまで乗ったことがなく、泳ぎもヘタッピなので、おっかなびっくりへっぴり腰であった。
途中何度か転覆の危機もあったが、何とか杉山がうまく漕いでくれて、テントのところまでたどり着いた。そして、テントを引っ張ってボートを漕ぎ、陸に上がってなんとか救出成功-!ようやく寝れるよ・・・。でも面白かった-!家族連れで来ていたおじさんの子供たちは大ハシャギ。そしてうちらも皆大ハシャギであった。めでたしめでたし!さて、これでこの話はおしまいのよーであるが、しか-し!この後数々の困難が我々御嶽班の面々を襲うことになる。もしかしたら、それはこの日犠牲になったテント「美麗華(ミラマー)」の呪いのせいかもしれない、、、

☆8月6日・3日目
さわやかな朝だ。キャンプ場を出発して、しばらくは林道をだらだらアップダウン。なんか勝手にフリーランしてる人もおるしい–。好きにしてんか-っ、て思いながら、私はクラブランペースでこいでました。もう先が見えないが・・・まあいいか。

そんなこんなでしばらく野沢-奥志賀を結ぶ山奥の道をひた走った。だが、朝のうちは天気がよかったのに、次第に曇り空。いつのまにか霧雨が降ってきた。時々晴れ間も覗いているというのに。変な天気である。ところで、今日は杉山が朝から疲れ気味であった。

どうやら体がだるく、熱もあるらしい。風邪薬を飲んでいるが・・・、大丈夫だろうか?ここで杉山が帰ることになってしまったら3年は私1人になってしまう。よくなってくれ-!もしかしたらこれはあのテント「美麗華」の呪いなのかもしれなかった・・・?

さてさて、とにかくみんながんばって走った。そのうちに、1行は奥志賀高原のあたりにさしかかり、オシャレなホテルやペンションなんかがいっぱい周りに建っている。リゾート気分を楽しむ人々を横目に、我々はただ黙々と走り続けるのであった。そして国道に合流。これから渋峠を目指す。言わずと知れた、日本の国道の最高地点である。さすがに車が多い。勾配もきついのに・・・、しんどい。やはり皆もくもくとこいでいた。

そのうち、雨も本降りになってきてしまった。このへんを下見した杉山曰く、渋峠はむっちゃすばらしい眺めだったそうだ。ここは日本かいっ!?っていうような雄大な風景が広がっているそうだが・・・、残念、見えそうにない。しかし、我々はただ先に進むのみである。しかし・・・、だんだん風と雨がむちゃくちゃ強くなってきた。しかも、真夏とは思えないほどの寒さだし。横は、何食わぬ顔で車がびゅんびゅん飛ばしている。ひい—っっ!!なんやねんこれはああ—っ!!!叫びたくなってきた!も、もう限界だ!これ以上、こ、こげない—!

・・・ということで、急遽我々は渋峠まで後2、3キロ、自転車を押して行くことにした。無理にこいで暴風雨に煽られて横転し、車がどっかん!てなことになったら大変である。

皆ただもう無言であった。さて、どれぐらい押しただろうか。朦朧とした意識の中、なんとか峠に辿り着いた。な-んにも、見えない・・・。「ただいまの気温・13℃」の表示・・・。ちょっと、これ・・・、おかしいんちゃうん??

きっと誰もがそう思っていただろう。とりあえず、我々は峠のレストハウスに避難し、コへ弁を食した。飯が、冷たい・・・。皆呆然としていたようだ。さて、そのうちに休憩も終わり、恐怖の激下りである。

皆超重装備し、ただもう慎重に下る。手がしびれそうだ。体力も神経も磨り減る。でも、下るにつれて、霧が晴れ、視界がよくなってきた。白根山の火口付近を通過。火山特有のにおいがいい。さあ、そしてついに、皆無事、草津温泉に到着。買い出しを済ませたら、これから2時間ほどの温泉フリータイムである。

やったあ—!!生き返る-!!さて、ちなみに私たちが今回買い出しをした、「スーパーはりや」。これは、実は私が1年の時のプレ合宿で買い出しをした所なのだ。このプレ合宿では私は生と死の狭間を垣間見た。(詳しくは、「峠」復刊号を参照してください。)だから、もうとても懐かしかった。地獄のダートを抜けて、このスーパーに辿り着いた時、私はここが天国に思えたのだ。(大げさ)ああ、もうあれから2年も経ったんだなあ、と、一人で感慨にふけっていたのだった。

さてさて、待ちに待った温泉だあ!2年前はここでは温泉などもちろん素通りだったので、今回が草津温泉に入るのははじめてである。温泉街独特の風情ある街並みの中、急坂を下って、「熱の湯」(だったと思う)に入お湯はなんだか白く濁っている。浸かってみると、あ、熱いい–!しかもお湯がぬるぬるして、体にちくちくと突き刺さるようだった。でも、これは効きそうである。ぼ-っ、として、しばし至福のひとときを過ごす。

ふと見ると、なんか張り紙がしてあった。「このお湯は酸性なので、石鹸は使用しないでください。」
ちょ、ちょっと、それって、体溶けるんちゃうん-?と思ったが、まあ、それほどの強酸性でもないので、逆に体によいのだろう。というわけで体は洗わなかったが、ほっこりとほどよく温まったのでお湯から出た。

その後街をぶらついていると、またもやどわ—っと大雨!もうどーにでもなれって感じでした。フリータイムの時間も惜しんで、私はシュー交換を済ませ、集合。キャンプ場へと向かった。
このキャンプ場も、以前プレ合宿で来たことがある所だった。懐かしい—!しかし、その時はキャンプ場に薪がなく、炭でメシを炊いてむちゃくちゃ時間がかかってしまったことを思い出し、今回も悪い予感がしていたのだったが・・・。

その予感は的中、薪はなかった!電話では「ありますよ-。」って言ってたらしいが。仕方なく、その辺にあった廃材を利用することにした。だが、直前に降った夕立のせいで、かなり廃材も濡れている。なかなか火がボンボン燃えなくて、みんな悪戦苦闘したが、なんとかメシを炊くことができた。そして、メシ食ったら、寝ました-。

☆8月7日・4日目
う—、また雨!!一発目から下るのに・・・。おかげで、吾妻線の万座・鹿沢口駅のあたりまで下った頃には、昨日変えたばっかりのシューもかなり減ってしまった。でも、その頃には雨も止んできた。よかったよかった!それからは国道を西へ。実はこの辺も、おととしのプレ合宿で走った所だ。なかなか交通量が多くてしんどい。だが、一発ちょっと走ったところで、地蔵峠を越えるために南への道に入る。おととしは、地蔵峠ではなく車坂峠を越えた。こちらは途中からダートになっていて結構しんどかったが、地蔵峠は舗装なのでちょっと楽そうだ。

だが、長い!!ようやく地蔵峠のピークに着いた。この頃には、空もだいぶ晴れてきて気持ちよくなった。地蔵峠はお土産屋さんやらレストハウスやらがあって思ってたよりも開けていた。さあ、どかーーーんと下るぞ!!この下りはかなり気持ちよかった。しかし、長かった!結構急勾配だったし、CLもがんがん飛ばしたので、心身ともにちょっと疲れてしまった。さあ、下り終えたら、後はキャンプ場目指してず-っとアップ!ぼ—っとして、信州の田舎な風景の中をひた走る。買い出しを済ませ、昼飯も済ませても、まだ上る。

車も結構多かったし、暑かったしで、やっぱりしんどかった。しかも、晴れ上がっていた空も次第に掻き曇ってきたではないか!せ、せめてキャンプ場まで持ってくれ—い!と天に祈ったが、願いは届かず。大粒の雨がぽつぽつ降ってきたかと思うと、またもや、どざ―――っと夕立だ!!あーもーどーなっとんねん!!みんなぼーぜんとして走る。だが、しばらくすると雨も止んできて、雨境峠の牧場脇にあるレストハウスで休憩。とりあえず、ほっと一息。

ここでは、車でいらしていたおじさんに絞りたてミルクを人数分ごちそうになった。ありがとうございました!腰に手を当てて牛乳飲んで、ぷはーっと一息。さあ、キャンプ場まで後1発だ!少し下ると、白樺湖畔に出て、オシャレな店やペンションが並び、イカした若者たちがいっぱいのリゾートエリアになった。だが、我々はキャンプ場目指してぐんぐん走るのみ!やがて、「清幸荘キャンプ場」に到着!だが、
なんだ、このちゃちいキャンプ場は!(めんなさい!)急斜面の草むらにわずかばかりのテントが建っている。しかも、事務所らしき建物は、廃屋のようだ。管理人らしき人もいない。まあ、電話したり、観光案内所の人に聞いたりしてるうちに、管理人のおばさんが登場。よかったよかった。そして我々は、斜面にテントを建て、メシを作り、食って寝た。信州有数のリゾート地・白樺湖畔でありながら、なんとも質素なアウトドア生活だった。さあ、明日はいよいよ前半の合流日!楽しみだ-!

☆8月8日・5日日
今朝はいい天気!合流日なので、あちらの班のみんなに会うのも楽しみである。しかも我々は、今日は輪行して、電車&バスに乗ることになっていた。それは、松本から上高地方面へ向かう道路は、途中あまりにも長いトンネルが連続し、しかも交通量もハンパじゃない。下りならまだいいが、ず-っと上りである。そんな道を自転車で行く、というのは、まるで殺されに行くよーなもんなので、今回は安全第1!という理念のもと、素直に輪行することにしたのだ。

久しぶりに自転車以外で移動するのはやっぱり楽しみだ。さて、大門峠からドカーンと下り、いくつか大きなアップダウンを繰り返して、扉峠に着いた。ここも、去年の早同で来ていた所だ。

白樺湖もその時来ていたのだが、今回はビーナスラインを通らず、扉峠までは裏ルートのような道を通ってきたのである。さて、後は松本まで下るだけだ!途中、「きみかげ荘」で休憩。ここは去年も休憩した所だった。今回逆ルートで来ることになるとは、思ってもいなかった。さらに、ガッーンと下ると、1発で松本電鉄の西松本駅に到着。ここはちいちゃいホームが一面だけの、ローカルムード漂う無人駅であった。さて、次の電車は?と時刻表を見ると、後10分ちょっと!我々は、バスに乗る時のことを考えて、班を2つに分けてキャンプ場まで行くことにした。杉山、紙浦、河瀬は前班、熱海、古橋と私は後班になった。前班の3人はもう急ぐ急ぐ!なんかテキトーな輪行方法である。

だが、今回は鍋やテントもある。こりや大変だ!まもなく、下り電車が到着した。さあ、乗り込め乗り込め!みんな手伝って、どうやら無事に3人は乗れた。がんばれよ-、っと見送ったら、我々3人はゆっくりと輪行。次の電車まで1時間近くある。かなり暇だったが、その分丁寧に輪行を済ませた。それにしても、荷物が多いつっ!!

私は輪行袋&フロントバッグ&自分のサイドバッグ2個&サブメカ工具のサイドバッグ2個である。ぎゃ—!!重いっっ!!合宿中の輪行は楽しいが、最大のユーウツになる要素が、これである。程なく次の下り電車が到着した。さあ、どんどん積み込め-!むりやり荷物を電車の中に放り込んで、ふ-っ、無事乗り込めた・・・。さあ、ここから30分ほどの電車の旅である。あ-ラクチンラクチン。

線路の側を通る国道は、かなり交通量が多そうだ。ウザい国道走りをカットした上に、快適に先へ進めるのはありがたい。電車はのんびりと信濃路を駆ける。私はがたんごとんと心地よい揺れに身を任せ、電車は小さな駅にいくつか停車していく。

だんだん車内の乗客も少なくなってきた。そして、電車はついに終点・新島々駅に到着。さあ、バスに乗りかえるぞ!改札を出て、バスターミナルへ行くと、乗鞍方面行きのバスが止まっている。そこに、杉山たち3人がいた。

バスにこれ以上乗れないみたいだったので、我々は予定していた1時間後の便に乗ることにした。出発する彼らを再び見送ったら、がらんとしたバスターミナルでまたひたすら暇な時間ができた。ぼ-っとして昼飯を食ったりしているうちに、だんだん観光客が増えてきた。そして、お目当てのバスも来た。なんかいっぱい人が並んでいる。急げ!あの荷物を持ってバスに乗るのはえらい大変だったが、まあ何とか乗り込めた。1番後ろの座席は、我々の荷物やら何やらですっかり占領されている状態だった。

それから、また1時間近くのバスの旅である。あ-、やっぱり快適快適。なんか心地よすぎて、次第に眠気が襲ってくる。うつらうつらしながら車窓の風景を眺めたりしていると、やがて長いトンネルが続きだした。うっ、こりゃうわさに聞いていた通りである。トンネルの中は狭く、漏水が多いうえ、バスなどの大型車がバンバン通っている。こりゃ、バスにして正解だった。しかも、そのトンネルがハンパじゃなく長く、1キロほどのものがいくつも続く。こわいこわい!自転車ではまず通りたくないような道である。さてそうこうしているうちに、バスの旅も終わる。まもなく、バスは「番所」バス停に到着した。ここで降りるのだが、降りるのもまた大変であった。やれやれ。

ここで自転車を組み、近くのAコープで買い出しをする。それからキャンプ場までは、1発ほど、アップだ。前の3人とはキャンプ場で合流するため、我々も3人編成で行く。この道は、車も結構多く、つらかった。でも、がんばってまもなく「一ノ瀬キャンプ場」に着いた!ん?入り口近くに見慣れた人たちが・・・。
それは、35代の熊谷さん、久湊さん、藤田さんの御三方であった。こんにちは-!「元気だったか-?」
なんか先輩たちの声を聞くと、心強くなった。この皆さんは、おととし、私が1年の時の夏合宿でとてもお世話になった。

それが今は、私が夏合宿で班のボスを務めている。なんか不思議な感じがした。さて、みんなで炊事場へ行く。先に来た3人とは合流したが、まだしらびそ班の方は来ていないらしい。とりあえず、食事の準備をしていると・・・、

来た来た!!「お—い!!お疲れ—!」と声をかける。みんな元気そうだ。あれ、勝野は?すると、なんと彼は、途中日焼けのし過ぎで火傷状態になってしまい、やむなく離脱せざるを得なかったとのこと・・・。残念だ。でもまあ、元気でいるらしかったので、大事に至らなくて、よかった。しらびそ班は、途中から29代OBの高橋さん、同志社OBの荒田さんも一緒だったようだ。途中から合流の金もあわせて、久しぶりに大人数の団体になった。やっと夏合宿らしい雰囲気になってきた。みんなで輪になって、晩飯を食う。これこそがWCC!という感じの夜だった。さあ、明日はいよいよ乗鞍大フリーラン!!みんな、がんばろう!!

☆8月9日・6日目
今日は朝から快晴だ!ほんと、フリーラン日和である。みんな緊張気味に朝飯を食っているようだ。今日は同じキャンプ場に連泊なので、荷物を置いて出発。うわ-、軽い軽い!ハンドルが勝手に動くような感じである。特に私は、4個のサイドバッグから解放されたので、まるで天国にいるようなこぎ心地。さあ、キャンプ場から1分ぐらい走って、スタート地点に集合!ここから、どっか-んと、フリーランである。現地点は標高約1,400m、ゴールは日本道路最高地点の2,700mなので、約1,300アップである!!これはもちろん私にとって史上最長のフリーランなので、ほんとにドキドキ緊張していた。高橋さんと久湊さんは、今日ここでお別れとなったが、みんな順番に出発しだし、いよいよボスメカを除いて最後、私の出発時間になった。私と一緒に出発するのは、熊谷さんと荒田さんのお2人である。

2人ともかなりのやり手なので、心配だ。案の定、スタートしていきなりちぎられてしまった。お2人で、かなり前でずっと競り合っておられた。最初のうちは私も視界にとらえていたのだが、まもなくついに消えてしまった。私は、フリーランの走り始めは苦手である。すぐに息が上がってしまい、苦しくなってくる。しかし、これまでの経験からすると、しばらく走り続ければ、次第に力が湧き出てくるのであった。そして実際に、今回もだんだん元気が出てきた。これは行ける!私はどんどん追い上げた。力の限り、走り続けた。やがて、視界に1人、現れては抜き、また1人、現れては抜き、ということを繰り返した。やがて、もうすっかり先に行ってしまったと思っていた、荒田さんを抜き、まもなく熊谷さんも抜いてしまった。

もう何人抜いただろうか。自分でも信じられないぐらい、追い上げた。あと1人、1年の古橋以外はみんな抜いてしまった。果たして全員抜けるのか?だが、まもなくゴールである。本当に長かった。後ろを見ると、果てしなく下に下界の村が見える。彼方には白い雲海の波。すぐそばには万年雪まで残っている。本当にすごい高さまで上がってきたことを知った。

だが、ゴールに近づくにつれて、車が大渋滞。しんどいが、フラフラになって車の間を縫って走る。前に古橋と資料の杉山が立っているのが見えてきた。あともう少しだ!そして・・・、ゴール!!!

な、長かった—、本当に・・・。だが、気持ちよかった!また、自分にこんな力があったことを知って、
驚いた。2年間のWCC生活で培われた自分の力のすごさを実感してしまった。ボーゼンとしながら休んでいると、「お疲れさま-!」と古橋が声をかけてきた。速いっ!あんたは速すぎるっっ!!聞いてみると、
彼はもうかな-り前に着いていたそうである。なんちゅう1年だ!おそらく、前プラで堀江にしごかれたのだろうが、それ以上に筋がいいようだ。彼の一家は自転車一家だそうなので、それもそのはず。彼の今後が本当に楽しみである。

やがて、次々にみんなゴールし始める。みんな本当によくやった!0Bの皆さんも、どうもお疲れさまでした。やがて、最後にアーチを受けたのは・・・、金だった。彼のゴールは本当に感動ものだった。私も涙を誘われた。詳しくは、彼の日記をどうぞ。その後、ものすごいアレを終え、登山する。今回の登山は、そんなにしんどくはないそうだったが、しんどかった。普段使ってない筋肉を使うと、やっぱりしんどい。見ると、熊谷さんと藤田さんは、自転車を担いで登っておられる。スゴイ!!!やがて山頂に着く。360度、息を飲む大パノラマだ。雄大な北アルプスや御嶽などが、すばらしい。本当に、この眺めのすばらしさは言い表せないほどだった。

吹きつける強風の中、コへ弁を食う。その後、全員で写真を撮り、下山。このすばらしい風景を、
胸に焼き付けておいた。自転車に乗っての下りは、車が渋滞してなかなかスピードが出せず、残念。でも、天気がよかったので、本当に気持ちいい下りだった。昨日のAコープまで下り、買い出し。それから、少し上って、温泉に入る。ああ-、温泉はいいなあ。疲れた身体に気持ちよく温かさが染み渡ってゆく。今日も充実した一日だった。

☆8月10日・7日目
今日もいい天気。今日からまた2班に分かれての走りである。だが、こちらには4年の横路さんがいらっしゃることになったので、私はとても心強かった。「がんばれよ-っ!」と声を掛け合って出発。まずは上高地乗鞍林道の白樺峠を越える。

ここは、前プラ中に堀江が熊のようなものを見たというので、ちょっとコワかった。ほんまかいな?
でも、この道は風景がすばらしく、天気もよかったので、気持ちいい走りができたのだった。白樺峠を越え、しばらく行って、今度は野麦峠を越える。ここは、昔女工さんたちが歩いて越えた有名な峠なので、以前から行ってみたかった。だが日が高くなるに連れてだんだん暑くなってきて、上りはきつかった。

峠からはすばらしい乗鞍の雄姿が目の前に見れ、なかなか雰囲気のある峠であった。さて、今度はまたドカーンと下り、奥飛騨の山合の道をたんたんと走る。しばらくは下り気味なので、また気持ちいい走りができた。そして、小さな美女峠を越える。ここを下ると高山市だ。だが、今回は観光なし。でっかいスーパーで買い出しをして、先を急ぐ。飛騨川沿いの県道を、古川町に向けて走る。もうすぐキャンプ場だ。しかし、今日は長かった。

特にきつい所などはなかったが、いかんせん距離が長い。とはいえ、天気には恵まれていたので、地獄日にはならずにすんだのだった。やがて、「古川町森林公園キャンプ場」に到着。思いがけずも、そこには34代OBの相蘇さんの姿があった。「こんにちは-!」相蘇さんは、名副将として有名な方だったので、今回参加してくださって私はうれしかったが、ちょっと緊張もしていたのだった。これから10日目まで、よろしくお願いします。そして、皆で晩飯を食う。食当・葛田のキムチ鍋はうまかった。明日からも、メシは期待できそうである。

☆8月11日・8日目
今日はまた薄曇り。今日から班員が8人になったため、これまで1班だったのを2つに分けることにした。奥飛騨の谷間の朝は、さすがに空気が澄みきって、ひんやりとしている。まだ寝ぼけている頭がしゃっきりとする感じである。

我々は、朝靄に煙る道を、さらに山奥へと走る。いくつか小さな集落を通り過ぎると、まもなく天生(あもう)峠に差し掛かり、勾配がきつくなってくる。うっ、これはなかなかしんどい!部分的にかなりの勾配がある。4個サイドの私は、8日目になってもまだきつかった。そのうち、霧雨も降ってきた。断崖絶壁の道を、ただ峠を目指して黙々とこぎつづけた。

何時間走っただろうか。ようやく、天生峠に着いた。別に眺めがいいわけでも、何があるでもない、普通の峠であった。泉鏡花『高野聖』縁の地ではあるらしいが。記念写真を撮り、早速下る。ほどなく霧雨も止んで、気持ちよくなってきた。

これを下りきると、白川郷フリータイムである。白川郷は、合掌造りの集落が趣深い、世界遺産。それほど俗化されておらず、いい雰囲気である。私は、昔ながらの合掌造りの家々がそのまま残されているのを見て、いたく感動してしまった。解散したら、私は、杉山と横路さんとでその辺をぶらぶらし、合掌造りの食堂で山菜そばを食した。

久々に食う洗練された食事は、やっぱりおいしい。その後、Aコープで買い食いをし、ボーッとして、つかの間の、至福の時を味わった。出発直前に、みんなで記念撮影。合掌造りの家をバックにすると、やはり絵になるものだ。

これからキャンプ場までは、ほとんどず–っと庄川沿いに国道走り。途中、御母衣湖までは上り中心、車も多く、トンネルもいくつかあって、走りづらかった。しかし、御母衣湖を抜けると、キャンプ場までもうすぐ。

だが、キャンプ場のほんの少し手前で、夕立のような大雨に遭ってしまう。ああ、今回は、こういうのが多いなあ、と思いつつも、スーパーで買い出しを済ませ、「ひるがの高原キャンプ場」へ。結構早く着いてしまった。まあいいか。今日のメシは麻婆茄子。うまかったです。

食後、くつろいでいると、なんと、34代主将の谷口さんが御登場。車で高山の実家からいらっしゃったそうだ。すいませーん、今日はもう御飯食べてしまったんですよ-、とお詫びをすると、ちょっと残念そうであったが、でも私たちの元気そうなのを見て、安心しておられたようだ。私は、合宿出発前に実家のある大阪でお会いしていたのだが、やはりOBの方がいらっしゃると心強いものだ。谷口さんと相蘇さんは、同期の主将・副将だったので、さすがに話も弾んでおられた。谷口さんは、今夜はテントで寝て、明日の朝に帰られるとのこと。

私と一緒のテントで寝ることになった。夜になっても、雨は激しく降り続いた。明日はいよいよ郡上八幡フリー。晴れてくれることを祈りつつ・・・。

☆8月12日・9日目
祈りが通じたのか、雨は止みかけであった。朝飯を作り、谷口さんも含め、9人で頂く。今日の御飯の友は、ザーサイだそうだ。葛田の好みらしい。私は、これまでザーサイなどあまり食べたことがなかったのだが、結構おいしいと思った。ま、それはいいとして、出発の時間。「がんばれよ—っ!!」と谷口さんに声援を送ってもらって、元気に出発!

しばらくは、国道を走る。1発目は、雨上がりの山々が煙る中、爽快に下り。長良川鉄道の終点・北濃駅で休憩。ひなびた駅舎がいい感じだ。さらに、長良川沿いに走る。だんだん車が多くなってきたが、後2発で郡上八幡だ。途中、県道に入ってからは、のんびりとしたペースを保ちながらも、はやる気持ちを押さえられない。そしてついに、郡上八幡に到着!私は下見で1度来ていたのだが、本当にしっとりと落ち着いたいい街である。

長良川の清流に臨む、まさに水と緑の小京都だ。名水・宗祇水そばの、朱い欄干の橋の上で集合。1枚記念写真を撮ったら、フリータイム。今日はあと1発でキャンプ場なので、時間の余裕があるのだ。久々の命の洗濯である。私は、杉山、横路さんと街をぶらぶらすることにした。街は郡上踊りを前に華やかに飾り付けされていたが、それでも昼間の商店街は静かな雰囲気だ。そして、アヤシイほどレトロな喫茶店を発見。暗い店内で、私はみつまめを食べた。なかなか素朴で量も多く、おいしかった。もうちょっと店員のにーちゃんの応対がよければいいのに、と思ったが。(笑)

さて、さらに街を歩いていると、ずぶぬれになった相藤さんと葛田を発見。「ど、どーしたんですかっ?」聞いてみると、近々行われる飛び込み大会の予行演習みたいなのを川でやっていて、飛び込み参加して1発飛び込んできたのだそうだ。飛び込み現場を見てみると、す、すごい!橋から下の川までは10m以上ありそうな上、川も流れが速く、深そうでもある。「む、むっちゃコワいことやるな-、すげ-!」と思いましたよ、その時は。

だって、僕は泳げないんですから。ところが、それを聞いた杉山は、「おもしろそうですね-!」と一言。
「おいおい、こんなコワいことやるんかい、すげ-!」と思い、橋の下で見学。まわりには、いっぱいギャラリーがいて、盛り上がっている。杉山、パンツ1丁になって、さっそうと橋の上に登場。
そして、1、2、3!!どっぱ—ん!!「すげ—!!」サマになってるよ。さすが杉山。みんなの拍手喝采の中、悠々と川の流れの中を泳いでいる。「気持ちよかった-!」とは言っているが、すごかったぞ。
そのうち、2年の3人も来た。案の定、紙浦は「やってこよ-っと!」と言って、いきなり裸になり、どっぱ—ん!!う—む、さすがだ・・・。そして、次は河瀬がやると言う。彼は裸になっ橋の欄干を乗り越えたところまではよかったのだが、

その後は飛び込み・秒読みが始まっても、何回かパス。みんな大騒ぎである。やっぱり欄干乗り越えて下を見た時点で腰が引けるらしい。「いーち、にーい、さん!!」とギャラリーから掛け声がかかっても・・・、やっぱりパス。

それさ見ながら、さすがの私も「何やっとんねん!!さっさと飛び込まんかいな—っ!!」と業を煮やして思わず叫びたくなってしまった。まあ見てるだけ-、っていう立場では、気楽なことが言えるもんである。
だが、そんなこんなあったが、河瀬も立派に飛び込み成功!よくやったね-!その後、熱海も潔く、どっぱ—ん!!やるねっ!!ところで、その後誰かが、「ん?錺さんは??」おいおい、誰や、そんなことを言うのはっ!!と思ったが・・・。実は、私も河瀬が飛び込もうとして飛び込まない・・・を繰り返していたのを見て、「俺やったら、もっとスパッと飛んだるでえ—っ!」と密かに思っていたのであった。かと言って、実際に自分が飛び込むことになると・・・、話は違う。しかし、WCCの副将、御嶽班のボスともあろう人間が、飛び込みさえできないのでは話にならないではないか。さすがに、「よっしゃ、やったるでえ—っ!!」と、腹を決めた。

その前に、ちょっとトイレ・・・、ね。やっぱり実際にやるのは、恐いもんである。なんかかなり緊張してきてしまった。さて、ついに橋の上へ。私はパンツ1丁になった。実は、そのパンツは単なるトランクスだったのだが、デザイン的にはそんなに遜色なかったはず・・・、である。そして、恐る恐る欄干を乗り越える。ちょびっとだけ橋の下を覗き込んだが・・・・、コツ、コエ—–ッ!!!!!実は私は、泳げない上に高所恐怖気があるときた。うっ、やっぱりやめときゃよかったか-な—・・・、などと思い始めていたかもしれないが、ここまで来ればもう後の祭り。やるっきゃないでしょ!!ってことで、腹を据えた。

そんな私の気を知らず、橋の上で見学していたコギャル風の女の子が、「頭の上で手叩きながら飛び込んで下さい–♪」とご注文。おいおい、何言い出すんや-、とは思ったが、「え、手、ですか・・・?」とその気になるのが私らしい。

まあ、1発気合入れて・・・!!よっしゃ!!!行くで—っっ!!!と、その瞬間、私の足が橋から離れた。2、3回は手を叩いただろうか。あとはもう何も覚えていない。ただ、ぐんぐんと川の水面が私に近づいてくるだけであった。

地球の引力に引かれて、私はひたすら宙を落下する。この間何秒ぐらいだっただろうか。少なくとも、
私には10秒ほどはあっ1たような気がした。その間、頭の中で、これまで22年間の私の人生が、走馬灯のように駆け巡ったような・・・、そんな感覚にとらわれたのは気のせいだろうか。そして・・・、どっっっぱ—–ん!!!!体中、激しく水面に叩き付けられたように激痛が走り、後はもう碧い水中の世界。何がなんだかわからない。ただ、激しい川の流れに押し流されながら、無我夢中で手足をむちゃくちゃに動かしてもがき続けた。や、やばい、息がでけへん、俺はこのまま死ぬんちゃうか-・・・、

などと思ったかもしれない。だが、本当に奇跡的に、私はかろうじて川辺の大きな石にしがみつくことができ、九死に一生を得たのだった。「む、むっちゃ疲れた—–・・・。」命が助かったことが本当にうれしかった。マジで、死ぬかと思った。これまでも私は何度か溺れかけたことがあったのだが、ここまで深刻にやばいと思ったのも、そうそうない。「お疲れさま—!」ありがとう・・・。

杉山が言う。「マジで、お前溺れてるみたいだったよ-。」そーですか・・・。私は溺れてました、確かに・・・。2年生たちも言った。「錺さん、犬掻きしてるみたいでしたよ!」・・・。俺は一応自分ではちゃんと泳ごうとしたつもりやってんけど・・・。まあ、自分でも飛び込みをやってみて最後に思ったは・・・、「あ—、疲れた—–・・・。」でした。ホント、生死の境をさまよったんですからね・・・。
(この段落には、1部完全に自分だけの世界に入っているところがありますが、それは許して下さいね!)

さて、パンツ1丁、ワイセツ甚だしい格好のまま、私は街の一角でしばらく魂が抜けたように、ぼ—っとしていたが、ここで重大な現実に向き合う。杉山が、ゼミ合宿の準備のため、今日ここで帰ってしまうのだった。私たちは、サブメカ工具と、横路さんに持ってもらっていた余りのテント1個を杉山の家に宅急便で送りつけることにした。

おおっ!なんて軽いんや!!!まるで、天国に行ってしまったように、チャリの後ろが軽い。これから先、どうにかやっていけそうだ。そして、杉山はバスに乗り、東京へと向かっていった。私は、バスの車内に向けて、大きく手を振った。

「おつかれ—!!」これから先、合流日までは、私1人でこの班を支えていかなければならない。よしっ、がんばるぞ!!まもなく、フリータイムも終わり、集合。買い出しを済ませて、田舎な県道を北東へ向かい、走る。1発後、「大谷森林キャンプ場」に着く。まだ早いが、明日は超地獄日なので、さっさと飯を済ませて、寝る。おやすみなさーい!

☆8月13日・10日目
まだ暗いうちに起床。今日は超地獄日である。90キロ2,000アップはあろうか?朝の涼しい風に吹かれながら、まだ明けやらぬ中ただ走る。なかなかでかい峠を2つ越えて、飛騨川沿いに出た。そのあたりで、7日目の夜から御一緒した相蘇さんとはついにお別れ。「がんばれよ—!」の声を背に受けて、再出発!しばらくは川沿いを進む。

しかし、今日は晴れて暑い!ここしばらく曇りがちだったが、やっぱり天気がいいとなんとなく気分がいい。でも、晴れすぎて暑い。そのうち、誰かさんがふと口走った。「あ—っ、雨降んねえかな—!」
おいおい、そーいうことを言ってホントーに雨が降ったらどーすんねんっ!とは思ったが、この時はただ、「あほやなー、ははは。」と笑い飛ばした。その後、どういうことが起きるのかはつゆ知らず・・・。

さて、小坂町のAコープで買い出しを済ませ、激アップへとアプローチ。小坂町からは延々と上りなのだ。まあ1発目はそれほどきつくもなかったが。そして、本日濁河温泉までの道のりにおいてなんと最後の人家である(!)、ドライブインで昼飯休憩。これから濁河温泉までは5発かかるとゆーのに、人家は最後、なのである!

まったく、濁河温泉の秘境のほどがわかるでしょう!?と、ただでさえユーウツになる状況なのに、
さっきまでの晴天はどこへやら、次第に空が掻き曇って、生暖かい風が吹いてきた。そう、ポツポツと大粒の雨が降ってきたかと思うと、程なく、ゴオ—ッ!!と暴風雨が降り出したのである!!

ちょ、ちょっとちょっと、待ってえやあ—!!今日ただでさえしんどいのに、なんで雨降んの—!!っと、私はキレかけた。マジで、誰かさんの言った通りになってしまった。でも、しばらく待ってると、少しは小降りになってきたので、出発することに。がんばろう!!

ううう、それにしてもキツイ上りだ–。御嶽に向かってがんがん上るが、雨は降り続いている。2発上ると、とりあえず1回目のピークに。そこには「濁河温泉20キロ」の看板・・・。わはははは・・・、
もう笑うしかないっ!まあ、次の1発だけはほとんど平坦なので、ちょっと距離が稼げるのだが。でも、この1発は、天気がよかったら、御嶽が真横にドン!っと聳え立ってて、すごいきれいなのにな-。ここを下見した私は、下見時の御嶽の雄姿を皆にも見せてあげたかったのだが、残念!霧で何にも見えない。
まあ、がんばろう!あと残りは2発!しかし、皆さすがに疲れを隠せない。なんつっても、今日のコースは長すぎる、過酷すぎる。しかも、1時小止みになっていた雨がまた激しく降り始めてきた。そして、雷までもどこかからか鳴り響いてくる・・・。「何でSさんはこんな企画を立てておきながら、先に帰っちゃったんだ・・・、鬼だ–!!」
と誰かがとんでもなく恐ろしいことをふと口走ったが、それも致し方ない・・・。この日、この状況を味わった者としては、そんなことを考えるのも当然だと言えるからだ。Sさん、許してやってね。(おーコワ。)

さあ、あと2発だ!しかし、もう皆完全に壊れている。ボーゼンとしながらペダルをこぎ続けている。こんな悲惨な状況を見ながら、私はボスとして何をするべきか、考えた。やっぱり、皆を勇気づけて、班のムードを盛り上げないといけない!そこで、私は歌を歌うことにした。このような極限状態において、何よりも薬になるのは歌を歌うことだと、去年の台湾合宿で、私は身をもって実感したからだ。
(詳しくは峠・前号を参照してください。)私は、その経験を生かして、今回の合宿には歌詞カードのコピーを持参した。歌いたくても、歌詞がわからない時ほど、歯がゆい思いをすることはないからだ。

今回の歌詞カードのコピーは、私の敬愛する今井美樹さんのベスト版『IMAI,MIKIfrom1986』のもの。雨ですっかりびしょびしょになってはいるが。その中から、まずは私の18番、『PRIDE』をチョイス。「♪わたしはいま-、みなみのひと-つぼ-しを-♪」と、山奥に私の歌声が響き渡る。みんな(?)「いいですね—」と誉めてくれました。ありがとう♪続いて、隠れた名曲、『Bluebird』。

ほんまに、ええ曲や—!この曲は、落ち込んだ時、元気をくれる。「青い鳥はきっとそばにいる・・・」ホント、その通り!みんな、がんばろう!最後に、『PIECEOFMYWISH』で締める。なんか、勇気が出て、元気になってきた。多分みんなもほんとに。やっぱり歌はいい!皆さんも1曲、(とは言わず、2曲でも3曲でも(笑))いかがでしょう!?

さて、みんなもう無我夢中でがんばって、日も暮れかけてきた頃、やっと「胡桃島キャンプ場」に到着—!!さすが標高1,800mだけあって激寒く、しかも大雨、強風で、みんな意識は本当にモーローとしていた。焚き付けをしながら、みんなもう震えていた。しかも今日の晩飯は闇鍋。しかし、この日のナベは食べられるものにする、というお触れがあったので、みんなまともな物を入れてくれた。おかげで、私は全部平らげた。なぜかその夜の闇鍋はうまかったのだった。そしてみんな震えながら今にもふっ飛ばされそーなテントに入った。だが、私はほんとに疲れ切っていたためか、ぐっすりと眠ることができた。おやすみ-・・・。

☆8月14日・11日目
朝起きるといい天気。今日は晴れることを祈りつつ、昨日来た道を少し戻って濁河温泉へ。私は下見の時にも入っていたが、まさに秘湯と言うべき濁河温泉はとても気持ちよかった。ただ、ここは露天風呂なので、雨のせいでお湯の温度が下がっており、寒かった。体を洗おーとしても、ひい-、さぶいっ!!!でもまあ、いいリフレッシュになった。しかし、その後また雨が降り出し、またみんなユーウツになる。しかも、来た道をしばらく戻ったら、ドカーンと下るので、シューだけでなく神経も擦り減った。

ずんずんずんと、記憶に残らないような道を、ただ黙々と進む。途中、昼飯休憩をした開田高原観光案内所では、おばちゃんたちがとてもいい方々で、あったかいお茶をごちそうになり、心もホットになった。どうもありがとうございました。その後地蔵峠を上り、また下るが、雨は降りまくり。ちなみに、葛田は合宿前半において、しらびそ班として、地蔵峠を逆から上って下ったそうだ。ははは、それもまあいい経験。さて、ちっちゃい商店とコンビニで買い出しをして、木曽福島からはキャンプアップ。

ただでさえの急勾配に追い討ちをかける大雨で、みんなしっかり激死にしていた今日は楽勝日のはずだったのに・・・?しかも、この日の夜から私はなんとなく熱っぽく、体中が痛み始めた。もしかしたらこれは、雨の寒さとたまった疲れによる風邪の前兆か?とりあえず、1晩ぐっすり寝たら直るだろうと思い、おとなしくシュラフに入ったのだったが・・・。一晩中雨は降り続いたのだった。

☆8月15日・12日目
朝起きたら雨はやみかけだった。だが、まだ体がちょっとだるい。風邪っぽさは直っていない。でも、行くしかない!!ここで私までリタイアしたら、大変だ!がんばろう!と、今日こそは晴れることを祈りつつ出発!

ドカーンと下り、中山道の宿場町の面影を残す木曽福島の町を通過。国道19号を走り、寝覚の床で10分休憩、そしてまたひたすら国道を南下。途中で、CLも見落としそーなほど怪しげな道に入る。このあたりからまた雨が降り出した。いったいどーなっとんねん!と思いながら、谷間の田舎道を走り、都合により結果的に我が班では本合宿中唯一のダートの峠となった、与川峠に差し掛かる。道が砂地で走りづらく、みんなヤられる。タイヤがめりめりと砂にめり込み、コケるのだ。砂ダート、タイヤとられて、もらいコケ。

(しょーもなー。)まあ、なんとか2発そこそこで何にもないピークにたどり着き、下り始めた頃、雨が本格的などしゃ降りになった。きゃ—、シュ-が—!!すぐに舗装の道には入ったが、地獄の下りであった。
そして、下り終え、ボーゼンとしながら昼飯を食い、大平峠を上り始めても、雨は激しく降り続く。滝のように道の上を濁流が流れていく。私も体中がだるく、本当につらかったことを思い出す。そして、ピークから少し下り。あと、飯田峠を越えるとキャンプ場はもうすぐ。キャンプ場まで、また雨の激下りで、今日もみんなの疲れはピークに。しかし、何とか「妙琴公園キャンプ場」にたどり着き、先に着いていたしらびそ班のみんなと会うと、疲れも吹っ飛んだような気がした。「お疲れ–!」みんな久しぶり!!元気そうで何よりだ。やっぱり人数が多いのはいい。私もほっと一息、といった感じだ。さあ、明日は晴れるという噂。この夏最後のフリーラン、がんばろーぜっ!!

☆8月16日・13日目
今日はついに晴れそうな気配だ。2発後、神坂峠フリーランのスタート地点に到着。そこで、35代の熊谷さんと合流した。今回のフリーランも、10キロ800アップというところで、なかなか手強いのである。私は今回はボスとして1番最後に出発する。

ボスメカ走りは初めての経験だ。だが、今日も私はまだ身体の調子が悪く、だるさが取れない。疲れがどんどんとたまっていくような感じだ。なんだか寒気もする。しかも、風邪のウイルスが腹に来たらしく、腹の調子が特に悪い。腹に力が入らないのだ。だが、そんなことにはお構いなく、みんな次々とスタート。

最後に私と金が残り、ついに出発することになった。だが、いきなりちぎられてしまう。不甲斐なくも、途中で足をつきまくり。金は「大丈夫?」と本当に心配してくれたが、とりあえず先に行ってもらうことにした。

それから先はしばらく私1人。ただ、本当にきつかったことを覚えている。あんなにきつかったのは、2、3年になってはじめてかもしれない。もう、何も考えずに、ただペダルをこぎ続けた。この道は、私は下見で来ていたのだったが、本当に長かった。だが、私は絶対にあきらめたくはなかった。そして、あと1キロというところまで来た。すると、金が上から下ってきてくれたではよいか。「がんばれ!もうちょっと!」私はもう持てる力をすべて振り絞って、ゆっくりゆっくり進んだ。みんなの声が聞こえる。「がんばれ—!!」「ゴールだぞ—!!」みんな私に声援を送ってくれている。

私はただもう、うれしかった。自分がみんなに支えられていることを改めし実感したのだ。そしてついに、私にとって初めてのアーチ!「おつかれ—!!!」みんなに背中をたたかれながら、私は感極まって涙が出た。やっぱりつらくても、がんばってよかった。倒れこみながら、本当に、そり思った。WCCは、すばらしい!みんな、ありがとう!!

さてさて、その後記念写真を澄ませ、昼飯を食っていると、またまた雨が—!!しかも大雨だー!!もうみんな完全にイッちゃってました。ただでさえ激下りなのに、この上雨まで降ってはかなりきつい!みんなおそるおそる下り始めた。途中、うちの班のCL・熱海が溝に思いっきり乗り上げてパンクしたので、後班CLの平井と入れ替わり、われわれは先に下る。

しかし、しばらく下りつづけて、シュー交換のために立ち止まった時、私の前輪のリムがきれ-いに割れていることが発覚!去年の夏後に変えたのに、なんで??やはり、異常に雨が多かったこと、サブメカ工具が重すぎたこと(サブメカ工具は10日目に送り返したので、その時はなかったのだが。)、その過剰な負担にもかかわらずLXのブレーキシューだったこと、などが理由ではないだろうか。前メカの横路さんも、「こんなのは見たことがないよ。」とのこと。かなりやばかった。だが、歪みはなかったので、とりあえず私はそのまま走ることにした。

下りきると、ようやく雨も止んでいい天気だ。だが、後の班が来ない。大丈夫だろうか。交通量激多の国道19号をひやひやしながら通過、恵那市街のスーパーで買い出しだ。だが、そこで後から来た金と平井と古橋が来た。あれ、堀江と熱海は?な、なんと、熱海は溝に乗り上げた時に、既に割れていた前輪のリム(その時まで気付かなかった)が歪んでしまったそうだ!それでは下るのは無理、ということで、ボスの堀江と2人、自転車を押して1時離脱することになったとのこと。2人の無事を祈りつつ、我々は先を急ぐことにした。ちょっと下って、木曽川沿いのさわやかな道をちょっと走る。

だが、気持ちいいのはここまで。実は、この先木曽川沿いの国道を行けば、キャンプ場まで上りなし、のはずだったのだが、ここ何年かの間、土砂崩れで通行止めになっている。最後の分岐の青い案内板には、御丁寧に×印が。それでも、下見の時点で私が無理に進むと、本当に土砂崩れで通行不能だったので、仕方なしに迂回路をとることになったのだ。しばらくは、ネチネチと延々アップダウンの続くいやらし—-い道を走る。

しかも、1部激急勾配の上りもあり。みんな、ただでさえフリーラン&国道走りで疲れているのに、追い討ちをかけるこの迂回路のいやらしさに、「なんじゃ—、これはあ—っっ!!!」と、ぶち切れ状態であった。

俺を恨まんといてくれっ!とは思ったが、みんな恨んでました。だって、ねえ・・・。これは国道を全然直そうとしないのに責任があるのではないか??まあ、それはともかく、みんなほんとに今日もよくがんばった!夕暮れも近くなったころ、ようやく「蘇水峡キャンプ場」に着いた。やっぱり今日も地獄日だったね。とりあえず、先に到着したみんなで晩飯を作り、テント設営。私などは、動かないといけないと頭ではわかっているのだが、体がいうことを聞かないような状態だった。

さて、食事の準備ができて、もうあたりがすっかり暗くなっても、堀江と熱海はまだ来ない。堀江の携帯に連絡しても、つながらない。そこで、私の携帯の留守電を確認すると、どうやら今日合流するのは無理とのメッセージ。明日の昼、JR土岐市駅で合流することになった。それでは、ということで、みんな飯食って寝ることにした。本当に、今日も色々なことがあったが、いよいよ明日で最終日だ!!がんばろう—!!

☆8月17日・最終日
今日はとてもいい天気である。さすがに4日連続の大雨の後だけに、気分も上々。しかし、私の前輪のリムがきれいに割れてしまっている状態で、そのまま走るのは危険過ぎたため、4年の横路さんの前輪と交換、横路さんは別に名古屋まで行ってもらうことにした。横路さん、ありがとうございます。さて、またもやいやらしいアップダウンの道、そして、大型ががんがん飛ばす国道をちょっと走り、JR土岐市駅へ向かう。だが、私の身体の調子はまだ悪く、だるさがとれない。これは本当にきつい・・・。

その内にも、我々は土岐市街に入り、駅前へ。おお!いたいた!堀江と熱海だ!本当に無事でよかった-。しばし再会を喜び合う。しかし、この近辺の自転車屋さんではぴったり合う新しいリムを手に入れることができなかったらしい。熱海を輪行させて、先に名古屋まで行かそう、と堀江は言う。しかし、よく考えた結果、私はまだどうにも体調が悪かったので、熱海に私の前輪を託し、私に代わって名古屋まで走っていってもらうことにした。

完走できないのは残念だが、ここは熱海に最後まで走ってもらった方がいい、と思ったからである。熱海、後は頼んだぞ!私は、夏らしく照りつける太陽の光の中、元気に出発するみんなの後ろ姿に向かって、大きく手を振りながら見送った。「がんばれよ—っ!!」私の、この夏合宿での走りはここで終わった。なんか、寂しいような、少しほっとしたような、そんな不思議な気分である。

さあ、名古屋駅へ行って、みんなの到着を待ち受けなくては!私は駅前で輪行、電車で名古屋へ向かった。久しぶりに乗る電車は快適だった。みんな、暑い中がんばっているのに、少し悪い気がしたが・・・。

でも、私はくっさいワセジャーのままであった。多分、私の周りにいた人々は、「なんや、くっさ-!」と思っていたかもしれません。(笑)ごめんなさいね。さて、程なく名古屋駅に到着。ゴールとなる桜通口の松坂屋前へ行くと・・・、

そこには横路さんが!「あれっ、なんでっ?」と横路さんは驚いておられましたが。御無事で何より。そして、しばらくそこでぼ-っとしていると、杉山も到着!彼はみんなを出迎えるために、わざわざ東京から
来てくれたのである。さて、3人でどのぐらい待っただろう。到着予定時間を1時間以上過ぎている。
みんな大丈夫か?と、少し心配しながらも、無事来てくれることを信じながら待っていると・・・、
き、来たっ!!黄色い集団が!「おつかれ—–っ!!!」大分西に傾き始めた太陽の光の中、元気に全員無事到着!
よかったよかった!途中、河瀬が三国山直前で激死にしてしまったらしく、1班はラストアップの三国山をカットしたそうだが、みんな本当によくがんばったよ!!お疲れさま!!

さて、その後、機材送りを済ませてホテルへ行き、勝野、森山、そして4年の江川さんとも合流した。
勝野も森山も元気そうで何より。その後、久々のお風呂に入り、楽しい宴会とエールを済ませ、みんなそれぞれの溜まりに溜まった欲望を胸に、夜の名古屋の街へと繰り出したのでありました!名古屋の熱—い夜は、まだまだ続くのです!!

耐久ラン (9月25 – 26日)

耐久ラン – 古橋

今年の耐久ランの舞台は、日本人の心の故郷富士山である。海抜0mから富士山頂3,776mまで2日間の道のり、まさに耐久である。

前日、『台風が日本列島に最接近』というニュースが走り、耐人ランは血行(決行)か、欠航か?騒動勃発!WCC分裂の危機だった。しかし当日は私の日頃の行いがよいのか?台風一過の快晴だった。3年生の方々も全員いらっしゃり、私は集合地吉原駅前で、しょぼい商店で購入した牛乳1リットルパックを飲み干し、悦に浸っていた。

いきなりアップが続く。私もアップアップになる。そう、私は死んだのだ。激死に。夏合宿なら1リットルの牛乳なんて平気なはずなのに、私はあの1リットルの牛乳で気分が悪くなったのだ。飲みすぎてしまったのだ。牛の亡霊に悩まされつつ、何とか50分走り休憩地までたどり着いた。この炎天下の休憩地で、私は耐久ラン棄権を幾度も考えた。しかし、私は走った。その後は調子も少しずつ上がり始めることとなる。

ナイトランをして富士新5合目に到着したのは7時過ぎだったのか?空気も薄いし、気温も低い。翌日のことを夢見ながらシュラフイン。

2日目、登山だ。私は自転車を担いでいこうと決心した。だが、これがなかなか重いし、肩が痛い。
故に新6合目で自転車を捨てていった。ああ、杉山さん、ごめんなさい。裏切っちゃいました。

山頂に着いたときは、とにかく日本でイチバン高い所に行くことを目指した。私は日本で自称、本当に高い所で自分の世界に入った。写真の中の僕は、百万ドルの笑顔だった。

そして下山。私は画期的な下り方を開発した。名付けて「ボーゲン下り」。内股にして足を滑らせてゆく。これが速い、速い!おかげで両足親指にマメができてしまった。

私はこの耐久ラン中、つらい時は、「これが耐久ランなんだ。」と1人で納得してがんばった。皆さんもお試しあれ。

耐久ラン – 堀江

耐久ランはおととし復活した行事で、直江津-大隈講堂間300キロを走破するものである。去年もその形式で行われた。今年は復活3年目、さすがに同じコースでは能がないと思った。横300キロに対抗しうるものとして頭に浮かんだのが縦3,776mであった。よし、富士にしよう!

下見時は、夜自転車で標高0mより出発し、朝5合目に着き、そこから登山し、昼山頂、夕方ゴールの強行軍だった。これではさすがに全滅するのではないかと考え、行程を2日にわけ、途中5合目テント泊とした。

そして、9月25日朝10時、決死隊が吉原に集結した。といっても、富士のおひざ元の吉原である。天気は快晴。富士を真正面に見据え、ガンガン登って行くかに思えたが甘くはない。序盤にして、エースの古橋とアシストの金がやられた。中盤ようやく復活し、いいペースになる。同じ様なカーブをいやという程、繰り返し上ってゆくと、いつの間にか森林限界を超え、周囲は灌木と砂地の荒涼とした風景に変わっていた。前半の遅れのため、日もとっぷりと暮れてしまったが、月明かりのおかげで安心して登れた。月明かりは富士を黒々と照らしていた。我々はそれを仰ぎ見つつ、無言で登っていった。

ようやく5合目。そこからはふもとの街の明かり(あれは沼津であろうか)が、大変美しかった。テントを張り就寝。皆かなり疲れた様子ですぐ眠ったようだ。どんな夢を見たのだろうか。初日2,500アップ。

2日目、天気は快晴。山頂が指呼の間にある。我々のテンションは最高潮に達した。内2人が思いあまって自転車を肩にかけた。3年の杉山と1年の古橋である。A.M.8:00出発。だが、今日も昨日と同様、順調にはいかない。

1年の古橋が自転車の重さに自滅したのだった。結局、奴は6合目の小屋に自転車を置かせてもらうことにした。小屋のお姉さんが呆れ気味に笑っていた。まだ青いな、古橋よ!来年はリベンジだ。それ以降は順調であった。1合ごとに休憩を入れ、小気味よいペースで登っていった。さすがに標高が高いだけあって酸素が薄く、呼吸が難儀である。多少頭がクラクラする。また、太陽も近く、肌を刺す紫外線は、夏合宿のそれ以上だ。

ようやく山頂の鳥居が近づいてきた。一ふんばりで、それをくぐると、そこが、神社・みやげ物屋
(と言ってもとっくに閉まっている)がある山頂である。5合目から約4時間、ひとまずやれやれである。
そこでランチだ。私はこの時のためにわざわざ下界から持ってきたものがあった。そう、ガソリンコンロである。おもむろに取り出し、それで湯を沸かし、ラーメンと珈琲をつくった。ラーメンは函館・塩だ。登山で疲労した体に塩分とカフェインを補給し、気合を回復する。

さぁ、最後のひとふんばりで、測候所のある3,776mだ!最後の急坂を登りきる。すると、360度のパノラマが開けた。日本でここより高いところはどこにもないのだ。遠くは、南・中央・北アルプス、8ヶ岳をはじめ2,000米超級の山並が、近くは、箱根や天城山系が足下に見える。それらを眺めていると時の経つのを忘れる。まさに深田久弥的心境である。

山の醍醐味を満喫し、2時間ほどで下る。自転車を担ぎ上げた杉山は、ブルトーザー道を、砂煙を上げながら下っていった。よし、来年はあれだな。5合目からは高度2,000m差を一気に、夕闇迫る御殿場の街まで下り、快適なエピローグであった。最高に美味いビールを引っかけ、充実した気分で帰途についた。

この企画では、自力で日本最高所・3,776mまで登ったわけであり、なかなかやれないことである。耐久ランは、それを可能とする。ハイリスク・ハイリターンとはまさにこれだ。来年からも、この耐久ランが行われることを願うばかりである。

三年企画 (10月中旬)

3年企画 (箱根~河口湖) – 河瀬

この3年企画は、箱根から富士の麓を走り、河口湖へという杉山さん企画である。集合は箱根湯本に午後11時、そうナイトラン企画なのである。僕は当初、ロマンスカーで行く予定であったが、結局小田原まで新幹線で行ってしまった。この時点で僕はブッ壊れていました。メンバーは杉山さん、堀江さん、紙浦、古橋、葛田の6名である。23時に出発し、夏以来、2ヶ月振りに自転車に乗った僕がCL。この日はかなり調子よくどんどん進んで、やってきたのは芦ノ湖スカイライン。

ここは自転車通行止めで、以前来たときに車に誘導されて下ったところである。しかし、今日は登る、登る。そして着いた湖尻峠。ここがまたスゴい。ドリフトっていうあれをやるために数10台の車が集っちゃっているんですよ。

もお、僕と紙浦は笑いが止まりません。そして今度は、しばらく走って、裾野市内のコンビニで休憩していた時。目の前の国道を暴走族が疾走しており、何と金属バットを持った兄ちゃんがバイクから降りてきたのである。一瞬こっちに来るのかと凍りつきましたが、どうやら座り直しただけだったようで事なきを得ましたが、本当に怖かったというか、久々に恐怖を感じました。その後も暗闇に向かって走りながら、休憩の時には道路に寝転がって星空を見上げたりといった日中ではできないことをしつつ、どんどん進んでいくと、ようやく夜明けがおとずれた。それからしばらくして、僕は寒気に襲われ、それでも下り、僕は睡魔に襲われ、それでも走り、情けないことにハンガーノックになり、それで河口湖に着いたのは13時頃だった。いつもならそそくさと輪行して、帰る僕だがこの日は違っていた。ほとんど下りということで、大月までもう一頑張り。結局、トータルで130キロくらい走りました。さすがに疲れましたが、めちゃ面白かったです。

3年企画2 (大月-大峠-猿橋) – 金

えーまず、なぜ3年企画というものを行うことになったか話そう。9月の最終日曜日に耐久ランがあったのだが、1、2年生がほとんど参加しなかった。まぁ、自由参加とはいったものの、あまりにも参加者が少ない。

つまり、耐久ランを走ってない1、2年の怠慢を正すためのものである。このコースを企画したのは私(金)であるが、実を言うと、このコースは我々現執行部が1年の時の1年企画である。3年になって行くとどうであろうか、あのウブだった頃のなつかしい思い出、もう1度、掘り起こしてみたいという感覚がふつふつとわき上がったのである。当初、勝野も来るはずだったのだが、当日大月に着くと、奴が現れない。電話すると「明日じゃないんですか?」――ザケんなー

気を取りなおして、3人で出発。快晴、和気あいあいとしたサイクリング、それで終始。猿橋に着くと駅が改装されており、ビックリクリクリクリックリッ。ありがとう。カザリ、ヒライこんなショボい企画に来てくれて!頑張れ。38代!

一年企画 (10月17日)

1年企画レクイエム – 古橋

夏合宿の直後から1年企画の下見を始め、2度の失敗の後、緑満天の気持ちの良い爽やかコースが出来た。きっとみんな、楽しんでくれるだろう。そんな自負を抱いていた。

だが、当日の参加者は7人。ややショックを受けてしまった。しかも本日のボスが遅刻してきた。非常にやきもきする。波瀾万丈とはこのことである。

そんな精神的混乱をよそに、予定時刻よりやや遅れてスタートした。国道140号沿いを走る。夏合宿の高山-下呂間以来、CLをやっていなかった私は、CLペースというものがどんなものなのか忘れていた。どうも私のCLペースは速かったらしい。

140号から外れて、いよいよ本格的なコースに突入する。浦山ダム湖右岸を走る。そのためには無駄アップをしなくてはならない。私はそれをフリーラン前のウォーミングアップととらえた。だが他の人間はそう感じてはくれないだろうと思い、私はこの事実をひた隠した。そんな努力も報われず、この事実がスクープされ、前夜一睡もしていない2年生からは殺気がうかがえる。クーデター勃発か?身の危険を感じる。そんなこんなで予定通り浦山ダムに到着し一安心。

ここからは湖沿いを爽やかサイクリングのはずが、1人ヤラれている方がいた。2年K瀬さんだ。遠くの方で彼の最期のうめき声がする。なんておもしろい人なのだろう。

フリーランスタート地点で本日のボスと主将様に合流。いわくのフリーランがスタート。パンフには私はこのフリーランを「8・5キロ600アップ」と記したが、実際は「10キロ800アップ」ほどあったらしいことがゴール後判明。

私はさらし首にされてしまう。それにしてもゴール地点は寒かった。あまりの寒さで相撲を1番とったほどだ。下って、名栗湖沿いを走り、林道へ。このアップダウンを繰り返す道に至り、さすがに皆様には疲労の色が見え始める。

そして、いよいよ本日のメインの子の権現へのアプローチが始まる。何故、メインなのか?それはいままで走ってきた疲労、しかもフリーラン後のためその疲れは倍増しているところに、目の前にそびえる激坂。つまり、心身共にヤバい時に急勾配を上っていくという最大・最高の演出を配したのだ。憎い!
私は名演出家に酔いしれてしまった。まあ、そんな策略の甲斐もなく、約1名を除き、結構平気にこなしてしまった。拍子抜け。

ゴールして思ったことは、やはり、もっと厳しいコースを企画すべきであったということ。何か、まとまり過ぎで自分としては納得がいかない。こんなはずじゃなかったのに、と思った。

世間ではSPEEDの解散が騒がれていたが、この企画をもって、本日のボス・K田がWCCを去った。私は彼にお別れの亥の子で送って締めくくることを欲したが、私の「それ行け!」ではダメだった。そして私はこれより1ヶ月間、1年生1人状態を味わうことになった。

一年企画 – 紙浦

10月16日。この日は大妻女子大で学祭があった。河瀬君と遊びに行く計画を立てていたが、彼の寝坊により未遂に終わる。アーア、女の子サヨナラ、合コンサヨナラ。1年生、恨むなら彼を恨んでくれ。俺は誰になぐさめてもらおう?そーだ、彼ん家へ行こう。そー思い、河瀬と2人で某先輩宅へ。さんま、ベーコン、トマト、ウィスキー、ポン酒、ビール。櫻井さんも加わり、うたげは夜通し続く。お世話になりました。

朝の5時。今日は古橋の1年企画だ。朝から爽やかな日だ。俺は2日酔いをこらえつつ河瀬をリアシートに乗せ、エストレヤでぶっ飛ばす。30分後、無事紙浦宅に到着。ささやかな睡眠をとり、西武線へ。4回に上る乗り換えにブチ切れつつ、西武秩父へ。葛田以外全員そろっている。

さぁ、行くか!みんな体調がいいよーだ。(俺と他1名を除いて)そーいうわけで、1発目から超いいペース。河瀬君、半分ぐらい魂抜けてたよ、ホント…。そーこーしているうちに、フリーランスタート地点へ。参加者が少ないこともあり、全員同時スタート。「8・5キロ・600アップ」というのを信じ、地道にチャリをこぐ。カザリ氏、金氏両先輩を抜きつつ、前の古橋を狙う。時計とにらめっこしながら、そろそろゴールだと思いスパートする。が、古橋は見えない、ゴールは来ない…。実は、11キロ・800アップあったらしい。「多く見積もる分にはいいんだけどね・・・。」と彼は20分遅れで到着した。

この後、子の権現へ。例によって河瀬君がブッちぎれ状態に。彼はすごかった。すごい頑張りだった。もう彼の目にはバッヂしか見えていなかった。しかし、寝不足の彼には16パーセントの勾配は、ちときつかったようだ。50mらい遅れて、全員到着。久しぶりにここに登ったが、たいしたことなかった。しばし休憩した後、西吾野に到着。お疲れさま、河瀬。お疲れさま、葛田。

早稲田大学・同志社大学交歓会 (10月30日 – 11月2日)

初日 – 河瀬

早同は僕の大好きな行事である。今年は同早だったが。特に今年はアフターで京都に行き、京都競馬場に菊花賞を見に行くことを計画しており、楽しみで仕方なかったのである。結果からいうと、家を出たときよりも、帰ってきたときの方が財布の中身がはるかに増えていました。しかし、初日は試練でしたよ。

去年と同様、急行アルプスの車内では隣の紙浦に眠らせてもらえず、ほとんど一睡もできないまま、集合地の塩尻へ。1年振りに同志社の連中にあったのだが、どうも連中は僕が金髪にしたことで、僕のことをはじめ新入部員だと勘違いしたらしい。そして出発。初日からいきなり2,000アップである。行く前から、WCCでささやかれていた。「同志社ペース」という言葉をいきなり実感することになる。速いのなんのってはやいんですよ。

(後で、京都でマウンテンをかりて、三千院に行ったときにあまりの軽さに驚き、“同志社ベース”にも納得しましたが。)まさにさくさくと登り、高ボッチへ。そして小さな峠を2つ越えて、本日のもう1つのメイン・権兵衛峠へ。ここへ行く途中のR19での同志社のスピードはもう圧巻。ちょいアップの道を27キロくらいで走るんですよ。ちぎれはじめました、僕は。

そして峠へのアプローチ。もう僕はメロメロ。前に進まないんですよ。でも意地で峠までは行きました。アップはすべてやりました。でも、そこでギブアップ。もうトリップしているんですよ、意識があっち行ったり、こっち行ったり。夕闇の中での、曲がりくねった下りはちょっと無理でした。あえなく、サポートカーのお世話になってしまいました。何とか、宿へ。峠で1緒にサポートカーを待っていてくれて、そして1人で暗闇の中を下っている北村さんが宿に着くまでは、気が気ではありませんでした。無事、北村さんが宿について僕は「本当にありがとうございました。」と繰り返すことしかできませんでしたが、あの時は胸いっぱいでした。また、あの時に来年の早同実行委員長は自分がと決心したのです。

2日目 – 錺

今日もいい天気!この季節ともなると、伊那盆地の朝はさすがに冷えるが、太陽の光が眩しいくらいなので、とてもいい気分である。朝飯をたらふく食ったら、伊那の街を臨む高台にあるホテルを出発。冷たい空気の中を爽快に下り、程なく伊那市街へ。ここで、何人かの人が帰ったり、新たに加わったりした。うちの班は、昨日はたった4人で、「さびしー!」ってな感じだったのだが、ここからは一気に2倍に増えて、8人に!!

これは多い!!いきなり班に活気が出たみたいだ。DCCの副将、赤崎君とも1年ぶりに再会し、話も弾んだ。そんなこんなしてるうちに、小さい火山峠を越え、折草峠の班別フリーランスタート地点へ到着。うっ、なんかキンチョーしてきたなあ。

去年の班別フリーでは、DCCの皆さんに遅れを取ってしまったが、今回はがんばらないと!ってことで本気で走ったのだったが、まあ、結果は8人中2位ぐらいだったような気がする。これでちょっとは名誉挽回?とにかく、よかったよかった。

さて、峠で全員集合したら、ガーッと下り、小渋湖畔をさわやかに走る。紅葉が鮮やかだ。遠くには南アルプス?のうっすらと雪化粧した山々を臨む。空は青く澄みきっており、もうサイコーな気分!ほどなく、1行は大鹿村のとある道の駅のようなものがある広場へ到着。そこで昼飯休憩だ。あ~弁当がおいしい!そこでは、道の駅の管理人?のおばさんがたくさんのりんごを我々にごちそうして下さった。どうもありがとうございました。とってもおいしかったです。

だが、そこですごいことが発覚!そのおばさんは早稲田の関係者らしかったので、りんごを頂いたお礼に、早稲田と同志社の校歌を歌おう!ということになったのだった。どひぇー、こんな白昼堂々、一般の人たちの前で歌うのは恥ずかしいなあ!と思いつつも、まあ「紺碧の空」はやらなくていいそうなので、思わずホッ!早速主将の堀江が前へ進み出て、踊る。なんか照れくさそうだった。

そりゃそうか。でも、みんなしっかり歌ってましたよ。続いて、同志社の校歌も歌う。おばさんは、とっても嬉しそうだった。おばさんの笑顔を見たら、なんかちょっといいことをした気分。出発の際には、「気をつけてね〜!」と温かいお言葉を送って下さった。おばさん、どうもありがとうございました!

さて、これからは「地蔵峠+しらびそ峠」の恐怖の激アップ!!1,000アップ以上はありそうだ。ただただひたすら、しらびそ峠のてっぺんにあるという、とんでもない宿を目指す。ああ、でも天気がよくてよかった。黄色や赤に美しく色づく木の葉を見ながら、さわやかに走るが・・・、やっぱりしんどい。どこまでもアップが続く。

それでも、同志社の皆さんとも楽しく話しながら上ったので、そんなにつらくはなかった気がする。
何発上ったか知らないが、まもなく地蔵峠に到着。ここで、何人かの人間が抜ける。ここからはるか下界の飯田まで車で送ってもらうのだそうだ。お疲れさま!しかし、我々はまだまだ上を目指さなければならない。そろそろ日暮れも近い。

太陽がすっかり山の端に隠れてしまい、空の色もだんだんと暗さを増していくようだ。さすがに、日が落ちると冷えてくる。止まっていると冷えきってしまうので、我々はまたひたすらペダルをこぎ続ける。どれぐらい走っただろうか。辺りはすっかり闇に包まれた。人家が1軒もない、とんでもない山奥である。1人だったら、絶対に恐いシチュエーションだが、まあ周りにいっぱい人がいてしゃべりながら上ってるので、ちょっと楽しくもある。だが、やっぱり疲れた~~。

今日もほんとに盛り盛りだくさんのコースだったなあ。って、まだ終わってないけど。いつしか、何も考えずに、みんなぼーぜんとしながらペダルをこいでいたのだった。さて、どれぐらい時間が経っただろうか。日が暮れてから1時間は走ったような気が。「おおっ!しらびそ峠だ!!」そう。この峠は、WCCの半分の人間が、夏合宿でしらびそ班として来ていたのであった。私は初めてだったのだが。堀江などは、みんな懐かしそうにしていた・・・、ようだ。(って、真っ暗でよくわからなかったんです。)

本来なら、ここから南アルプスの山々が眼前にどんっ!と聳え立っているのが見えて、もう圧巻なのだそうだが、残念ながら、今は真っ暗で何も見えない。とりあえず、記念写真を撮って、先へ進む。後は、5分ほどで宿だそうだ。本日最後の力を振り絞って上っていくと、み、見えたっ!宿の明かりだ〜〜!!

ほんとに、とんでもない所にぽつんと1軒だけ建っている。おそるべし、「ハイランドしらびそ」!!うお〜〜〜っ!!と、みんな走りに走って、なんとか到着!!やっぱり今日も、長かったで早速大浴場で汗を流して、たっぷり温まったら、晩飯はジンギスカン!!やった〜〜〜!!めちゃくちゃうまかったです。がんばってここまで来た甲斐がありました!極楽極楽……!明日は雨だそうだが、まあいいか。たらふく食った後は、ごろごろしてテレビを見ながら、あったかい布団で寝る。これぞ、早同の醍醐味!今日もいい一日であった。

3日目 – 平井

さて、いきなり総括になるが、今回の早同もとっても楽しかった!特にコースはすばらしかったです!同志社の皆さん、どうもありがとう!特に、実行委員長の北村君、お疲れさま〜!いい思い出をありがとうございました!さて、あと後半の2日、いったいどうなるのでしょう?まだまだ続きます。お楽しみに!

早同3日目、この日はしらびそ山荘からのスタートでした。標高1,700mくらいのところです。朝から大雨なので、ショートカットになりました。おかげで超キツキツの日程が少しゆるみました。まぁ、それでもキツかった。

下りは急で道もワルく、おまけに嵐のような風で、ストイックだった。夏に来た時もくもっていて、きれいなアルプスは見れなかった。でも、さすがに3度目はないかなぁ。しらびそ峠はキツいから。下りきって昼飯をドライブインみたいなところでとって、ガンガン進み、昼の2時には宿についた。朝10時に出発したので、実際走ったのは4時間。でも同志社のペースはゴッツ速いから、それでも疲れた。

宿でゆっくりした。同早は走りはキツいけど、宿でマッタリできるからいい。明日はいよいよTTだ。目標は去年を上回ることです。キツいけど、最終日だから燃え尽きるか。

最終日 – 森山

4日目、最終日、この日の最大のイベントは何といってもT・Tであろう。昨年T・Tをやっていない自分としては、T・Tがどのようなものかという具体的なイメージがなかったので、何だか朝から緊張していた。

そんな緊張感を持ったまま、宿から出発すると、緊張が不安へと変わった。CLをやっている同志社1年の安谷君のペースがメチャクチャ速いのである。1発目からちぎれてしまった。何とか1回目の休憩になった。とにかくこの息切れをしずめようとした。これからの不安をのみ込むためにとにかく笑うしかなかった。

オレは勝野と笑いまくっていた。T・Tやる前にこんなに苦しんでいいのかっちゅうくらい苦しんで、やっとT・Tスタート地点に着いた。今回T・Tをやった神坂峠は、WCCの夏の中部合宿でフリーランをやった場所であるが、夏合宿に出ていない僕としては、皆と同じように全力でこの峠にアタックできてよかった。

結果は18人中、11位(12位だったかな?)とけっしてよろしいとは言えないが、久々に走って勝野にも勝てたし、自分的には満足だった。(しかし、来年はもっと精進しなければ…)

T・Tという大イベントは終わったが、僕達WCC2年と錺さんには、宿に着いたら「スタンツ」というさらなる大イベントが待ちかまえているのであった…。

アフター – 勝野

「死ぬ、マジで、」の一言で頭がみるみるうちに一杯になった早同一日目。同班のK2の声が次第にうざったくなり、峠に着くや否や道端に倒れこんだ、この時の自分の頭の中で「帰宅」という考えと激闘を繰り広げ、見事これを打ち負かしたのは「菊花賞」の3文字であったということは言うまでもない。

そうこうする内に早同も無事終了。いよいよ自分の念願だった京都市内をチャリで観光する事となった。菊竹の話によれば今(11月上旬)は特別拝観期間で、日本3大山門の1つで、かの石川五右衛門が「絶景かな」のせりふを吐いた南禅寺の山門に上れ、京都御所などにも入れるとのこと。

「ついてる!」2週間前の秋華賞以来つきまくってる自分の運に自信を持ちつつ三千院、南禅寺へと向かう。賽銭をしたりお守りを買ったりしている河瀬を尻目に最早アドマイアベガの勝利を信じて疑わない自分は、南禅寺の山門に「気分は羅生門」などと言って京都を満喫していた。

さてついにやってきた菊花賞、僕は雑誌の星占いのラッキーカラー「黒」に影響を受けベガから2枠(黒の帽子)の2頭やブラックタキシードなどに流し、単勝は自信のベガ2・4倍1万!!

そしてスタート、淀の直線、ゴール、目の前が真っ暗になる。耳には遥か彼方に狂気の歓声。どこかで見たことのあるシチュエーションだった、ただ声の主は今回K2ではなくTKなのだが、

今度こそ直ぐに帰ろうとする自分にその声は言う、「同志社に結果報告に行こうぜ」何にせよ今回は同志社の面々にはお世話になった、来年こそは1発儲けて気合を入れて接待しようとこの時強く思った。

プレ新歓〈後期〉(11月中旬)

プレ新歓 – ペダルをこいで – 長谷川

2文に入ってしまうと朝の7時に起きるという事は奇蹟に近い。しかも、何故か自転車をバラしている。
普段なら1眼レフを持って歩くだけでも疲れるのにさらに自転車をかつぐ。そして高・大とチャリ通の僕にとっての宿敵(ライバル)、電車に乗る。なんだこの生活は!!俺は気が狂ったかのような行動をしているじゃないか。

大学に入ってからというもの電車に無事に乗れた試しがない。1人で乗ると必ず何らかの失敗をする。その日もあんの定、和光市方面に乗る筈が、池袋方面に乗ってしまった。急いで降りて乗り換える。こうして、僕の長い一日が始まった。

寄居まで着いた。すると、ドラゴンボールのサイヤ人系の顔の先輩と変態古橋が待っていた。早速、自転車を組み立てる。組み立て終わった頃にサイクリング部とは縁遠い感じの人が来た。この人が井上さんらしい。食料を買って出発する。

出発してからすぐは平地で良かった。こういう道をだらっと行けば着くと思っていたが甘かった。古橋はいきなり道を間違えやがった。おいおいこいつに道を任せていいのかよという不信感が、後4年間に置いて残るとはこの時点で気付きもしなかった。道を修正すると、いきなり登り坂。

「どひゃーっ!!この坂を登るんかいなーっ!!」っと錺さん風に考える。サイヤ人の先輩は、向こうに見えるちっこい山を越えればいいだけだ。楽勝だな。と言っているが、確かに山はちっこかったが、僕は肺が痛いよ。しまったな。マイルド7のスーパーライトは良いけど実験でBOXを買っちまったよ。これ、ソフトパックと比べて雲泥の差だよ。まずいよ。体に悪いよ。いつも通り、フィリップONEにしときゃ良かった。

みかん狩りの旗があるあたりに着く頃には呼吸が喘息状態になっていた。喘息の時のお約束、鼻から吸って口ではく、を行ったがサイヤ人の先輩は独特の呼吸法だと言っていた。腹式呼吸を知らないのか?なんて幸せな人なんだ。でも気を付けた方がいいぞ。サイヤ人はその気になれば1人で星ひとつ壊すからな。でも俺は弱点を知ってるぜ。

しっぽさ!!一方、古橋はラマーズ呼吸がいいよ。子供が産まれる感じがいい!とほざいていた。やっぱり変態だと再認する。呼吸さえまともなら、楽勝なのにと、負けおしみとしか考えられない事を考えていた。そしてすべての責任はマイルド7スーパーライトのBOXのせいだと考えはじめたところで休憩になった。けっ10分ぐらいで呼吸が直れば苦労しねえよ。こういうときは、もっと休まねえと。

再出発、やはり登り続けるのはきつい。下校時に学習院の坂を登っただけでひいひい言っている私にとって、その坂は、偏差値的に東大の坂でした。受験勉強が足りませんでした。学習院は早稲田よりランク低い学校だけど、さすがに東大には入れません。勘弁してください。

道の先にはなんとこの先行き止まりの看板が。やった、もう登らなくてもいい、という思いと、じゃあ今まで登ってきたのはなんなんだ?という私の秘めた想いはサイヤ人の先輩の「進むぞ」という声に打ち消されました。
流石、戦闘民族サイヤ人、と感心している余裕はなかった。登り続けるとダートがあるじゃないか。それでも更に登る登る。ペダルをこぐという単調な作業をしているとどうしてもペダルをこぐ速度と同じリズムの歌が頭の中に流れてきます。その日は金八先生の主題歌でした。

♪ペダルをこいでぇー
♪ペダルをこいでぇー
♪ペダルをこいでぇー
♪ペダルをこいでぇー

しまった。この部分しか知らねえよ。これじゃ同じフレーズの繰り返しだ。やってくれるぜ海援隊!!その時、先輩及び古橋がさずけたアドバイスは次のようなものです。

頭の中で歌をうたったりするといいよ。
答、既に行っています

ギアを1番軽くしてるか?
答、既に行っています

クリップを使った方がいいぞ。
答、それは行っていませんでした。

僕は偽善者ぶって全ての質問に「ハイ」「ハイ」と答えていたが、先輩のアドバイスなんてそんなもんさ。ここで重要なのは、自分の根性だという事に気付かされていた。根性でペダルを踏め。ペダルを踏まなければ自転車は進まない。それどころか、直立する事も難しい。走り続けなければ倒れてしまう。それはまさに今の自分自身と重ねて考える事ができる。だからこそサイクリング部を選んだのかも知れない。今、倒れない為にも走り続けたい。そういう思いが僕を走らせていた。

やったー、到着!!あれっここは頂上じゃないぞ。行き止まりじゃねえか。ここで僕は、文キャンで見たWCCのポスターの標語を思い出す。

「どこまで行くの?
この道の尽きる所まで」

そういう意味だったのか、今更わかったよ。この後は引き返し、無事に(嘘)小川町までたどり着いたのでした。僕は帰宅後、何故か池袋に行き、某アイドルのイベントをやっていたので参加し、たまたま会った友達とお茶して帰るという、よくわからない展開に巻き込まれました。

追い出しラン – 紙浦

11月20日、今日は老い出しランだ。行程は、笹子駅から甲州街道を経由し、笹子峠、大善寺へ抜ける伝統のコースである。参加者は、古橋、紙浦、森山、河瀬、勝野、平井、堀江さん、錺さん、杉山さん、及び4年生5人であった。熱海、金さん、江川さんは宿参加だ。

スタートし、1発でフリーランスタート地点着。この後時間をとり、矢立の杉を見に行く。かつて、この地の武将たちが戦勝祈願のためにこの杉に矢を突き立てたという。俺はここで願った。フリーラン、改選、WCCの未来のことを。

この時点で、主将に立候補する決意は固まっていた。思えば、俺の中で第38代は、この老い出しランから始まっていたのである。フリーランが始まる。4年生にとっては最後のランだ。みな、それぞれの思いを胸に燃えつきるまでペダルを回したようだ。1着・大野さん、2着・横路さん。後輩に抜かれることなく完走していた。俺も、追い出されるまでああありたい。

宿に着き、風呂に入る。一日の疲れをいやし、カレーを喰う。大善寺は、なにか独特の雰囲気があり、
とても好きだ。4年生の一人一言。それぞれのWCCへの思い、サイクリングへの思い、確かに受けとりました。いつまでも頭の片隅においておきます。だから、いつでも部室に来て下さい。いつでも走りに来て下さい。そして、願わくば、いつまでも自転車と共にありますように。4年間、お疲れ様でした。

特別寄稿

「真暗の草子」- 第23期・井上

この世の辛酸を嘗め尽くした若者が切々と語る青春の苦悩「真暗の草子」

春はできもの。やうやう白くなりゆく虫さされのあと少しかゆみて、天竺のわらはやみ蚊ぞげに恐ろしき。

夏は下痢。天竺はいと暑き国にて、かの国のひとも飲まぬ水飲みて赤痢わづらいけるはいとをかし。あらましき下痢におそはれやんごとなきパンツ失いたるはさらなり。にはかにもよおし、野辺にうんこたれるをあらはに見えて、天竺の人に笑われたるはいと人悪し。

じゃずはどるふぃ。あるれるふれえずいとおかし。えりんとんもんくなどとつとつたるりずむ。むっしゅ笠松(20期)『君が代ぶぎ』千代に八千代にぶぎうぎなどいひつつ、日ごと天竺の鼓打ち鳴らし暮らしたるに、科目登録うち忘れたるはあるべうもなし。こころづきなしと思へど、いたづらごとにのーぷろつぶれむなどいひつつ涙こらへたるさまはげにいとほし。

ぜみはぼろぼろ。いかでかぜみのみぞ入らむとて、難からざるところを撰りいだしたるが、あなあさましきことにて、あだとなりつる。獲物に群れだつかたはらいたきはいえななどもあまたなりて、最高倍率となりつるはにがにがしきことこの上なし。少し学ばんとて書をひもときたるに、子の刻すぎて、目のいとほそきをのこの、いと酔ひておどろおどろしきさましたる

がにはかに訪れきたるはあり得べきことかは。かくして朝はさだめの時なり。もーわしどーなっても知らんけんね。ゆく春や鳥鳴きやくざの目に泪

(この作品は、第24期・松本誠氏の推薦により、過去の「FRONTBAG」から転載したものです。)

『道祖神』 – 第24期・貝塚

『道祖神』 第24期・貝塚

月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへ老をむかふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ去年(こそ)の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸するより、松島の月先ず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

草の戸も住み替わる代ぞ雛の家
面八句を庵の柱に懸け置く。

ご存知、芭蕉の「奥の細道」の序章である。今夏(注1)、東北に旅立とうとする私の心境を奥の細道風にアレンジすると、

新車は破格の価格にして、また買う金もあるはずなし。サドルの上に生涯を浮かべ、三田馬(注2)の口とらへ老をむかふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅にキセルあり。予も、いずれの年よりか、変人の友にさそはれて、漂白の思ひやまず、
海浜にテン張り今年の夏、西早稲田の安下宿に鼠の古糞をはらひて、やや夜も暮れ、チンポ立てるマス紙に、東北の峠越えんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、チューブの破れをつづり、ブレーキシュー付け替えて、坂本の九ちゃん後に死ぬとは知らず(注3)、
青森の駅先ず心にかかりて、住める方は大家に頼み、
すみません2ヶ月ちょっと留守にする 置手紙をドアのすきまにはさむ。

私はこうして東北への旅についた。

そぞろ神とは、人を旅に誘う神、人を旅に出たい気持ちにしてしまう神のことであり、芭蕉の造語であると言われている。

道祖神とは、道に潜む悪霊を追い払い、道行く者を守護する神だと伝えられている。

この道祖神なる神を私が初めて知ったのは、中学の国語の授業でまさしくこの奥の細道を学んだときだった。それから間もなく、ある発見をした。

私の家の近くに住む、80は越えているだろうと思われるある老婆は、自分の家の前の道路沿いにある石像に、毎朝欠かさず決まった時間にお供え物をし、長い間手を合わせるのだった。寝巻き姿の、腰が90度にも曲がった、肌がしわくちゃの老婆のその姿を目にしない日は一日たりともなかった。

石像は、コケが全身に生え、その歴史を語るに十分なほどの重厚さを秘めてはいるが、なぜか寂しく立っていた。立っていたと言うほどしっかりしているものではなく、ぽつんととり残されているとでも言ったほうがいいような、どちらかと言えばみすぼらしいとさえ言える石の像であった。

ある日、その石像の腹部に、コケに埋もれてはいるが、幾つかの文字が刻まれていることにふと気がついた。その時、かすかに読み取れることができたその文字こそ「道祖神」だったのだ。

たまたま足を止めて注意して見ずにいたら決して気づくことはなかったであろうが、特別の感慨をもって今振り返る。

何年前からそこにあるのかも知らず、何のためにあるのかさえも知ろうとせずに、20年近くもそこを数え切れないくらい行き来していた自分が恥ずかしいとさえ思える。あの老婆は誰のために祈りを捧げ続けてていたのだろうか。今また旅に出る。そして、我が愛すべき数多くの友も、旅を求める。

サイクリングを通して、走る量(距離)をこなす者、旅の質を追及する者、人との出会いを見出そうとする者、豊かな自然との触れ合いを求める者、数多くいれど、「だれがすごい」「どれがすごい」と言えはしない。

我々が、最後に追求すべきことは唯一つ。「安全」だけなのだ。

注1: 1985年(昭和60年)東北合宿の年。
注2: 24期のアイドル、三田村氏のこと。
注3: 合宿中に御巣鷹山日航機墜落事故発生。坂本9死亡をキャンプ場でラジオ放送により知る。

(これは、第24期・松本誠氏の推薦を受けた、過去の「FRONTBAG」の作品を、貝塚氏自らによる加筆・修正の上、掲載したものです。)

「WCC・夏合宿の歌」 – 第24期・松本

汗と埃にまみれたイエロー・ジャージを着て、全身から滝のように汗を流しながら、うだるような暑さの中、ゴリゴリの地道を這うように上ってゆく軍団。かすんだ目は峠を探り、荒い息遣いでペダルを踏む–WCCの夏合宿。これから紹介する歌は、1985年夏・WCC東北合宿B班々員によって作られ、歌われた。

1、米研ぎの歌♪
米を研ぐ人よ 米を研ぐ人よ 研ぎ汁だけが通り過ぎてゆく 米を研ぐ人よ
美味い飯を炊く為には それ、水替えて それ、よく研いで美味い飯作ろう
米研ぎは青春のひととき
(「雪の降る町を」のメロディーで)

疲れ果ててキャンプ場に着くと、休む暇もなくテント設営と飯作りが始まる。夏の西日が山の端に隠れる頃、しんどい体にムチ打って米研ぎをしている。その傍らでは、カマドの火付け係が、疲れているはずなのにはしゃぎながら、誰が1番早く火を熾せるか競っている。人間は火を恐れないばかりか、火の存在に元気づけられるものらしい。火は薪とウチワで熾す。食当がススけた顔で「コッヘル準備」を叫ぶ頃、星がきらめき出す。

2、鍋洗いの歌♪
鍋洗いは重労働
洗剤かけて泡たてた
(「コガネムシ」のメロディーで、発声練習の様に、1音ずつ上げ、下げして歌いつづける)

夕食が終わると、余った食物は1年のワンコになる。そして鍋洗いを始める。鍋は焦げつきやススで汚れていて、これを洗うのは結構骨が折れるのである。次の歌も鍋洗いの歌だが、鍋洗いの要領をよく解説している。ただ、これだけ明るい歌を歌えるのは、頭の中がトロロイモと化した者だけだ。山奥のキャンプ場で、バッテリーライトの明かりを頼りに鍋を洗う。蚊の攻撃には閉口する。

3、鍋洗いの歌(2)♪
鍋を洗いましょうお兄さん
汁鍋は早く取れ 米鍋取った人達は 泣きながら粒拾い

内側洗ったお兄さん その次は外側よ
ススをきれいに落としましょう 力(リキ)入れて洗いましょう
ランララランランラララン・::::

鍋を洗ったお兄さん フタを取り 洗いましょう フタはきれいに洗いましょう
マナ板になるからよ

大鍋終わったお兄さん お仕事はまだまだよ 小鍋にシャモジにお玉など 洗うものまだまだよ
(「森へ行きましょうお嬢さん」のメロディーで)

汁鍋は焦げつく事もないし、米粒をこそぎ取る必要もない。要領を得た者は、「ごちそうさまでした。」の声が終わらぬうちに汁鍋をキープする。あわてて鍋に飛びつく先輩の姿は、傍らで見ていると微笑ましい。クレンザーを振りかけて、金ダワシで外側のススを落とすと終わり――ではない。他にもまだ洗う物はあるし、明朝の米を研いで、味噌汁の具を切っておかねばならない。個人のコッヘルは洗われずに放置されて夜を明かす。

4、峠巡り♪
あなたがいつか教えてくれた
峠を僕は訪ねてきた

越えてみせると、約束したが
今ではそれも叶わぬ事

フリーホイールのフタがはずれて
道に散らばるフリーの玉よ

自転車深く袋に包んだら
電車に乗せて街に帰ろう
(「岬めぐり」のメロディーで)

走りをテーマにしたこの歌は、合宿にゲスト参加された4年(当時)の筒井氏が、退屈な国道走り中に、「で~きた」と言って歌われた替え歌である。走りの歌は精神的に余裕のある先輩方でないと作れないだろうな。だいたい、歌になってしまうほど辛い道では誰も歌を作ってはいられないだろうに。このフリーホイール編の他にも、ハンガーノック編やら何やらあった気がするが、忘れてしまった。

と、まあ、こんな感じで我々の合宿の色気が少しでも解っていただけたら幸いである。他にも2~3曲あるのだが、夕方の曲が多いのは、朝は忙しく昼は走るのが精一杯でとても創作的思考などしていられないからなのだろうな。
WCCの合宿は、過激な走りを遂行するとともに、生活の充実を追及している。だからこそ、テントと薪の前近代的キャンピングをして、そこに歌が生まれた。擬似的な生活難の中で、我々は自分自信を見つめ直し、より一層人間らしく、また早稲田人らしく生きる道を再認識している――んだかどうか、私は知らないヨ。

1986年夏合宿(山陰)B班(貝塚1家)の合宿テーマングってのも作られてたのを思い出しました。

(365歩のマーチのメロディーで)
♪広島は歩いてこない だから走っていくんだよ 一日100km1100up 3日走って休養日

ジャリ道はギンギンガンガン 汗かきベソかき上ろうよ 
あなたの作った轍には きれいな花が咲く訳ゃない
ペダル締めてバーを握り ワンツーワンツー休まないで走れ

(これは、松本氏がかつて「ESCA NEWS 1985」に寄稿した作品を、ここに転載したものです。(最後の部分は、今回のための書き下ろしです。))

編集後記

☆今年も、無事に「峠」を出版することができました。昨年は、出版局長として、私が「峠」の作成に関する一切の責任を委ねられたのですが、新執行部になったばかり、かつ、春合宿前の準備なども重なって、スケジュール的にはきつかったです。それで、できれば今年も、私は「峠」の編集に携わりたいと思っていました。

やはり、自分たちが執行部となり、WCCの部員たちを引っ張ってきたこの1年の軌跡を、自分の手で、1冊の本に仕立て上げたいと思ったのです。昨年度の出版局長であった河瀬君は、私が編集責任者になりたい、という申し出を快諾してくれました。そういう訳で、今回、再び私が編集した「峠」が世に出ることになったのです。

はっきり言って、今回はほとんどの原稿の回収や打ち込みなどは、河瀬君が率先してやってくれました。そのおかげで、私はしばらくの間あまりやることがなくて、これでいいのかな~、と思ったりもしました。でも、実際に編集作業に取り掛かると、やはり今年もなかなか難航しました。自分の理想とする本を作り上げる、ということの難しさを充分実感することになりました。でも、今、こうやって「峠」を皆さんに読んで頂けて、本当にうれしく思います。昨年も、「峠」を作ることにより、特にOBの皆さんからは身に余るおほめの言葉を頂くことができて、光栄でした。かつて、自分たちの青春時代そのものだったWCC――。私たちの、現在の活動を知ることを通して、OBの皆さんの心にしまい込まれた、WCC現役時代の様々なシーンが、今また色鮮やかによみがえることになれば、とてもうれしく思います。

さて、来年の「峠」ですが、OBの皆さんにももっと原稿をお寄せ頂きたいと思います。自薦・他薦問わず、もう、どんなものでもOKですので、Eメール、もしくは郵便で、私どものところへお送り下さい。
心より、お待ち申し上げております。最後になりましたが、今年も原稿を寄せて下さった皆さん、どうもありがとうございました。そして、編集作業を手伝ってくれた河瀬君、お疲れ様。次号は、君が編集責任者。自分なりの「峠」作り、しっかりがんばって下さい。期待していますよ。
「峠」第19号・編集長 錺

☆今回、復刊3号目の「峠」を製作するにあたって、私が最も意図したことはどれだけ合宿のリアリティ、つまり合宿の空気そのものを伝えることができるかということです。そのため、春合宿では全員に日記帳を配布し、毎日日記をつけることを義務づけ、また夏合宿では合宿後、一定期間を経た後に記憶に最も鮮明に残っていることのみを書いてもらうという対照的な方法をとりました。OBの方々に「峠」を読んでいただき、「第37代の軌跡」並びに「WCCの現状」をお伝えできれば幸いです。最後に、今回「峠」の製作にあたって原稿を寄せてくれたクラブ員と、多大なる協力をして下さった前編集長・錺さんに心から感謝いたします。

(表紙・錺)
峠第19号
発行日2000年4月1日
「峠」第19号・副編集長 河瀬

発行所
編集責任者 錺
早稲田大学サイクリングクラブ出版局

Editor’s Note

1999年の出来事。平成11年。

3月。日産とルノーが資本提携。
5月。スターウォーズエピソード1 ファンタムメナス。
9月。台湾大地震。
12月。ロシアのエリツイン大統領が辞任。後任はプーチン。

第41回日本レコード大賞 1999年 Winter,again GLAY

WCC夏合宿は、「中部山岳: 直江津から – 名古屋まで」でした。

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こんにちは。WCC OB IT局藤原です。

第37期に錺(かざり)くんが在籍しています。会ったことはないのですが、現在、鹿児島県の「志學館大学」の准教授をされている方でしょう。彼が九州と初めて邂逅する話が収録されていて、人と人の出会いが運命を決めるものなのだと実感しました。

それと、20世紀の最後にあたっても、WCCの「旅」に対する伝統的なスタイルは、全く変わっていないことに感銘を受けました。ランドナー、日東キャンピー、サイドバッグ、テント、マキでご飯炊いて生活。

当時の文章をWEB化するにあたり、できるだけ当時の「雰囲気」を尊重するよう心掛けたつもりです。
文章と挿絵はPDF版より抜粋しました。レイアウト変更の都合で、半角英数字、漢数字表記等を変換していますが、全ての誤字脱字の責任は、編集担当の当方にあります。もし誤りありましたら、ご指摘をお願いします。

2025年新春、藤原

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