【1998/11/01 - 11/30】

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No. 0156 綿貫(3) 1998/11/30 20:19  [TOP]
「対馬」(3)
十時半に志賀島、玄海島を右に、二、三の小島と岩礁を左に見送って外洋へかかる。凪いだ海だが途端にピッチングの波が来る。名にし負う玄界灘である。出てきた港のうしろには小高い稜線が霞み、右手は唐津へ続く浜。四十分で隘路を抜け本当の外海。博多はビルも何も模糊とする。冷房のきいた一等船室へ戻る。デッキへ乗せた円形・窓ガラス張りの部屋である。十人も居られようかとソファと肱掛椅子がある。ガラスは窓枠の一角が2m四方で、その下縁のサッシにクッションを乗せ、肘掛けに収まって足を投げ出すと具合が良い。身を沈める。ガラスのスクリーンは一面の青空になる。片々たる雲が時に横切る。背もたれに頭を乗せて、暫く眠る。瞼の向こうに青空を置いて、雲の夢を見る。良い気持。それはもうずっと昔の晩夏、山合から北の海へ出る道のSLの旅で、ボックスに一人、手すりを枕に足を投げて窓の雲を見た。雲はー日の光を柔らかに包み、形の変わった綿菓子のように軽く、次から次へ飛んで過ぎた。船が通り丘が見え、家が建ち人の顔が行き襟巻きが浮かび、牛の胴が別れ橋が傾き、何か淡いものが広がり、今度は数になって途方に暮れる感じになりー。船のピッチングに揺られて、そこはかとなく浅い眠りを眠る。
海原に点々と白い漁船を見、灯台のある小島を過ぎた。十一時半に近く、行く手に平たい島が現れる。デッキに出る。壱岐である。舷側から見る海は凪ぎ、水は澄んで日の光は底まで透り、小魚の群れが船足を追い、盛んに行き交う。壱岐は東南の郷(ごう)の浦港。十二時半である。日盛りに緑陰濃い島の印象で平らながらなかなか広そうだ。下ろして積んで、すぐに出る。離れると島の上の横長の積雲が淡い影を見せ、午後の顔になる。これから起き上がって入道雲になろうかとも見える。壱岐を離れると波が出て、船ばたに白いシブキが上がる。残り二時間で対馬である。
デッキを右左して見る対馬の近景は、右手北半分は視野の限り切り立った崖で、南側は遠くに二〜三○○mの稜線が折り重なって海岸線が入り組み、波打ち際まで山が迫る。この島も緑豊かである。午後二時半に厳原(いずはら)入港。長く対馬一国の宗家の居城があったところである。止まった船の上から眺めると庇のように山が近い小さな三角州に人家が軒を接し、足元には漁協の作業場、事務所の一つに「国際ターミナル」の名。岸壁に釣り人がいて、右の丘の上にはホテルのような瀟洒な白い建物が二つ並ぶ。左手、町に近く更に入江があるのは古い港だろうか。稜線はどっちへ行っても相当登らされそうである。ぐるりと見渡して、思わず、斎藤茂吉の有名な歌が浮かんだ。

「朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし並みよろふ山」

ターミナルを下りて、玄関口で組むかと思うが、今日はまだ日も高し、ひとまず宿所へ落着いてからの段取りにする。一台残っていたタクシーを頼む。大きな荷物は後ろのシートで良いというので助手席に乗る。「眺めのよい宿屋。ホテルでも良いが畳の部屋」と注文する。中年の話好きの運転手で、ではあの山の上のホテルを聞くからと走り出す。
「今日は良く晴れました。ここまで晴れるのは珍しい。ほう、自転車で、ここを一周。そりゃあ大変だ。地図で見ると小さそうだけど,仲々ありますよ。それも坂だらけで。対馬はこれでも日本で三番目の島(沖縄本島は入っていない)なんですよ。一番は佐渡。次はどこだと思います。そう。奄美の大島です」
目指すホテルには和室は無いというので引き返す。途中でメーターを倒し「うちの会社でやっているホテルでよければ。ちょっと古いけど」という。港近くの町中へ回る。降りきわにーただし、食事はホテルより、この前の、ほら、あの路地を入った先に「志まもと」の看板があるでしょう。あれがよろしい。一杯,呑まれますか?なら、なおよろしい。(続)


No. 0155 藤崎裕之(32) 1998/11/29 22:21  [TOP]
また少々書き込みをしたいと思います。

僕は沢木耕太郎=深夜特急=旅人のバイブル的な図式に抵抗を覚えるのです。僕ぐらいの年齢でも深夜特急のみで評価しているわけではない者がいることを知ってもらいたくて前回書き込みをしました。(すでにご存知のことでしたが)

何でもできるようになったからこそ経験し難くなってしまったこともあるのではないでしょうか。
例えば、僕は行ったことがないのであくまで憶測ですが、深夜特急の香港を今ではなかなか経験できないでしょう。
物質に恵まれた世代だからこそ、人間関係に強い欲求を抱くのかも知れません。強く求めているにもかかわらず、うまく築けないことに歯がゆさを感じてしまったり。

それにしても、放浪へのあこがれと共に安定して安らぎを得たいといった矛盾した願望を人間は持ってしまうのでしょうか。そんな願望に整合性を持たせるためにも、誰かの旅の記録などを読んでしまうのかも知れません。


秋のOBランの報告の中にあった堀内さんの提案、賛成です。


No. 0154 綿貫(3期) 1998/11/29 09:42  [TOP]
「対馬」(2)
桟橋の外れのレンガ造りと見える望楼の三角屋根の上に、原寸という感じの鴎が風見鶏になっている。夏の終わりの汐風に頬をくすぐられ、眠い目を朝日に細めている。夜明けの下関の町では冷たそうな雨が降っていたが、トンネルを抜けると青空が見えた。寝台から「こだま」を乗り継ぎ、タクシーのトランクに大きな荷物を積み込んで、博多港・博多埠頭へ来た。「壱岐・対馬」と書いた白い鉄筋の建物は、二階の切符売り場のある待合所もガランとして出港には未だしである。片隅の食堂が開いている。とりあえず腹に少し入れる。出て来て、二階の窓から、さっきの望楼の風見鶏を見る。その向こうは湾の奥の港の埠頭・倉庫の風景が広がって、遠くの人数の話し声のようなざわめいた物音が、朝の日和に溶けて聞える。大小の船が往来する。両手を頭の上にのばし、左右に振って、大きく伸びをする。途端に鴎の風見鶏が、小さく首を傾(かし)げ素早く羽づくろいをした。びっくりした。あいつ、本物だった。
船が着き、人が降り、入れ違いに重い荷物を担いででデッキへの渡り廊下を登って行くと旅の風が吹いて来た。ごぶさたの風だった。颯(さ)っと来て、音も止どめず、振り向けば白い海鳥の羽の一片か、古峠の落葉の殘影が舞っていたという風である。人問わぬ藁屋根の炉端で、無口な年寄りから古い南溟(なんめい)の戰(いく)さ話を聞かせようかという風である。雨のそぼ降る石敷きの坂で、忘れ咲きの花に昔の麗人の恋を忍ばせようという風である。それからーああ随分長いこと、俺はささくれた巷(ちまた)の塵に埋もれて、はかない渡世と安い酒に身をやつして来たと、思い出させる風である。ごぶさたで足腰は大丈夫かな。
午前十時、出港。九月二十日。日曜日。九州郵船の小型フェリー。余計なお宝を払って屋上甲板の一等船室を占有する。ドアを抜け、早くも日射しの暑いデッキへ出ると、高いところから港が一望できる。うしろの町並みにあれがあそこ、向こうはどの辺と見当をつけていると、ズック靴の足元に動いて来るものがある。それは黄色い胴の太い、飛んで来たらうるさいと思う大きさの、羽を痛めた瀕死の蜂で、足先を細かく震わせて動かぬ両の羽根でデッキに小さく交互に円を描くように寄ってくる。出港のドラが鳴る。足元を移して外洋に手びさしをする。船体が揺れ、ゆっくり動き出す。見る。瀕死の蜂が再び擦り寄って来る。風が立つ。船足が上がる。汐の香りが強い。再び一歩、足元を移す。蜂はいっとき、と惑った様に動きを止め、それから方向を決して僅かずつ切なくにじり出す。沖つ風立つ海潮音の朝日の下で、今命終わらんとする彼は何を目指すのか。(続)


No. 0153 重松 宏 (27代) 1998/11/28 21:00  [TOP]
安東さん、ご結婚おめでとうございます。
あとは、松井さんと河野さんだけなんですか?
でも、お二人とも「成るほど」という感じで、妙に肯いてしまいました。ごゆっくりして下さい。重松も居ります故。

昨日、父親からファックスを貰う。
「日本の景気はただ事じゃない」とのこと。
ちなみに、父は小さな会社の経営者ですが、「あと2年は悪化傾向だ」と自信(?)ありげです。

外国に疎開中の身としては、我が父を含む日本で奮闘されている皆様のご苦労は頭の中で想像出来るだけで、何か申し訳ないような感覚に囚われてしまうこともしばしばです。

重松は今年31になりましたが、未だ、人生のゴールを見据えることが出来ず、もがいております。
でも、どれだけの人が確固たる目的を持って生きているかとも考えますが、やはり「人は人、自分は自分」ですので、無意味な思索だと思いました。

何も考えずにチャリンコこいでた時間の貴重さ、尊さが今、身に染みます。

のわんちって

もうすぐ12月だというのに、昨日ダイビングに行ってきたしげまつでした


No. 0152 綿貫益弘(3) 1998/11/28 10:47  [TOP]
菅原(1)
綿貫は自転車と結婚したような男である。自転車歴は40年にもなろうという年だが今でも輪行袋を担いで独りで出かけるのである。日本中の峠という峠は知り尽くしており、著作もある。先月、対馬へ行って来たというのでレポートしてもらった。私は入力担当である。少し、長いので区切る。

「対馬」(1) 綿貫益弘(3期)

「このたび、久方振りに失恋をいたしました。なあに、この齢だ、笑って済むさと高を括っていたのは初めだけで、そのうちジワジワと胸のあたりに甘酸っぱいものが広がり始め、これが一向に下りて行かず、さて夜は寝られないわ、飯は食えないわの始末になりました。何だ。これじゃ昔と同じじゃないか。
眠れないので天井を眺めて横になっておりますと、目尻から涙が、あとからあとから流れ、一体どこまで行ったらこの涙の川は枯れるのかと、歌の文句みたいなことを考えました。と同時に、これまで「どっちでも」ぐらいに思っていたつもりの相手に、自分はこれは程執着していたのかと、こうなって初めて思い知りました。齢を取るということは、知らず知らず自分の心を韜晦(とうかい)して行く要素があるのかも知れません。
委細は、聞いてくれるなのお粗末であります。もう会うことはないでありましょう。ーしゃあない。映画の寅さんのように、旅にでも出ますか」 (続)


No. 0151 7期 大堀 聰 1998/11/26 15:22  [TOP]
講演会(9:00-12:30)を終え、今戻りました。
食後の休憩時間です。長いこと喋るのは疲れます。
そのくせ変に気分は高揚します。一休みして明日の講義の
準備をしなくては。明日は5時起きで本庄へ行き、昼に所沢へ
戻り、そのまま理工へ行きます。講義後は所沢へ戻り、
夜は追分に泊まる予定です。土曜の早朝鳥の調査他をして、
夕方には所沢へ戻る予定です。日曜日は朝から教職員生協主催の
講演会と散策。やれやれ。

(以下は、読み間違いならごめんなさい。)
僕は沢木(ペンネームでは、なんだか他人行儀ですが)の作品に
けちをつけるつもりはありませんし、深夜特急だけがよい作品だとも、
代表作だとも思いません。だいたい、僕は彼の作品の愛読者ではありま
せんので、作品の良し悪しはわかりません。それに、なまじ知人だと
客観的評価はできないものです。

おっしゃるように山口音矢(字が違っているかもしれません)という
右翼の少年が当時の浅沼稲次郎社会党委員長(たしか三宅島の星)を
日比谷公会堂の演壇で刺し殺した事件を題材にした「テロルの決算」や
カシアス内藤のことを書いた「一瞬の夏」(朝日新聞連載?)、
「敗れざる者たち」(たとえば鳴り物入りでジャイアンツに入った難波
3塁手のことなど;長嶋の影のまま引退した)、市井の生活者の
何げない側面を描いた「彼らの流儀」(読売新聞連載?)、
檀一雄の奥さんのインタビューをもとに構成された「檀」・・・・
などなど、沢山の作品がたぶん我々より10才くらい下の世代以下に
支持されているのは知っています。藤崎さんがおっしゃるように
「深夜特急」に愛着はあるでしょうが、彼自身も代表作とは思って
いないでしょう(もちろん会ったときに聞いたことはありませんし、
会えば”この間のあれはなんだ”と評論家でもないくせに悪口をいう
くらいです)。
深夜特急の作品を云々したわけではありません。その点は誤解の
ないように。
*そういえば、テレビ化にあたり沢木役をキムタクという話しが
あったそうですが、身長の点で却下したと言っていました(沢木氏は
長身。キムタクは小さい?)。

私たちの時代には小田実(まこと;のちにベ平連代表=反戦運動)の
「なんでもみてやろう」が若者の外国旅行のバイブルだったのと同様に、
「深夜特急」は現代の若者のバイブルの一つであり(マニュアルと
バイブルとではなんとニュアンスの違うことでしょう!)、それを読み触発され、
藤崎さんがお書きになっているように
”マニュアルだろうが、旅行記だろうが本を読むことで背中を押され、
異国へのあこがれを行動に移すことができたら、それは素晴らしいことだ
と僕は単純に思います。それらは、あくまでもヒントにしかならないわけ
ですし。”というのはその通りだと思います。
表現は違いますが、同様の主旨のことを私も書いていると思います。

たとえば「深夜特急」に触発され、思いを形にすることに問題は
ないが、外国へ出かけることが容易になった現在、果たしてマニュアル
(バイブル)が本当に必要なのかと”ボール”を投げて見ただけです。
”ぬけ忍”さんが、バイクを”チャリ”に替え、世界を股に
かけ走りまわることになんら異論はありません。思い立ったら
吉日、早速実行にうつすべきでしょう。繰り返しますが、
外国へ出かけることに何の障害もない時代ですから。
また、自転車は根性養成ギプスでもなければ、単なる
交通手段ではないと書きましたが、それは元自転車乗りの
思い込みの勝手な美学でしかありません。一周屋だろうと
自分を鍛え直すためだろうと、何でも思いつくままの
ことをやってみればよいと思います。ただ、中には
へそ曲がりのおやじがいて。。。というだけです。

飛行機でまわるよりは車で、車よりは自転車、自転車より歩き、
歩くよりは暮らすというのが、結局のところ旅の極意なのかもし
れません。
移動手段はどんどんスピードアップしたけれど、それは
戦争や産業、ビジネスのためです。皮肉なことですか、真の
パッセンジャーになるためには、異国の地にセトルすること
であると。。。。。訳のわからないことを書いてしまいました。

時間の関係でまた尻切れトンボ腰砕けになってしまいました。
長いだけで中身がない文章ですみません。


No. 0150 7期 大堀 聰 1998/11/25 07:24  [TOP]
しばらく留守にしました(11/20-24)。
北九州へ行っていました。帰り際に別府の
明礬温泉へ寄って仕事の垢を落し、昨晩
戻りました。今日はまた5時起きで出勤です。
所沢で早朝の鳥の調査をします。

これから調査に出るので皆さんの書き込みを
ゆっくり読む時間がありません。鳥の調査から
戻ると、植物の調査に来ている数名の学生に
仕事の指示をしなければなりません。それに、
しばらく留守にして溜まった仕事を処理しなければ
なりません。明日は講演会、明後日は講義もあります。
金曜日は講義の前に本庄、講義の後は追分泊の予定。
綱渡りの毎日です。というわけで、いつご返事が
出せるかわかりません。あらかじめお断りしておきます。

友人はご推察の通りです。年1回会うかどうかですが。
先日(といっても去年?)は、所沢での講演会で久し振りに
会いました。同じ講演会で前に僕が話しをしたことがあり、
偶然にもその担当の方が昔彼の事務所で原稿の清書など(?)
をしていた縁でです。

友人といっても対外的には”格”が違います。同じスタート
ラインにいたはずなのに。。。
彼のエッセイ(?)には時々同級生たちが登場します。
まあ、友人達の間ではまたあんなこと書いてという感じでしょうか。

先日の講演会では自分の旅、猿岩石の欺瞞、大沢某などに
ついて語りながら、「青年は荒野をめざせ」(これでは五木寛之)
というような話しをしていました。すっかり大先生ですが、
同級生としては面映ゆい。あちらも話しにくそうでした。

マニュアル云々については、軽いボールを投げただけのつもりです。
深い意味はありません。どんな方法であろうと、何でもやればよい。
マニュアルはしょせんマニュアルです。機械ならともかく、
生き方ややり方に決まった方法なんかあるはずがありません。

冒険ではなく探検ならば慎重な準備をするのは当たり前でしょう。
しかし、前人未踏のことをやるならそれらのことは当然でしょうが、
そんな大それたことをするわけではありません。
そのようなイベントでは、失敗が多くのことを教えてくれるのも事実です。

焦って書いていると支離滅裂になるのでこのへんでやめておきます。
何書いているのか訳わからなくなりました。
たぶん気がつかぬうち偏差値や、センター試験の毒が身体中にまわっている
世の中について。。。。。


No. 0149 高橋(29期) 1998/11/25 03:25  [TOP]
OBランの写真(とりあえず版)を、今回は個人サーバーの方にアップしました。
今回はランの写真のみです。宿編も含め、後日アップデートします。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~ryu-t/9811/obrun.htm

大堀さんのお話、いつも楽しく読ませていただいています。
いろいろ力になっています。(現在修論作成中です・・・)
ご友人とは、藤崎君の言うとおり沢木さんですよね?
一冊読んでみようと早稲田の図書館に行ったところ、
多くの蔵書の殆どが貸し出し中でした。今の学生にも人気があるんですね。

おっしゃるように、マニュアル頼りの旅はしたくないですね。
ただ一方、私も本のおかげでいろいろ楽をしたのも確かですが・・・。
のぐちさんの本など、ここまで書いたら面白くないだろう・・・
と思うようなところもずいぶんある気がしますが、
もし自分が書き手だったら、同じようなスタンスで書くのかな、
とも思います。要は読み手がどうするかなのかもしれません。
旅は先行研究にしばられずにすむ世界。
自分の感性を大切に、いつもそこからスタートしたいと思います。


No. 0148 藤崎裕之(32) 1998/11/24 20:59  [TOP]
大堀さんのメールにあったニュージャーナリズムの旗手というのはおそらく僕の大好きな作家の一人である沢木耕太郎のことだと思われるので、生意気かも知れませんがちょっと書き込みたいと思います。因みに僕は25才で、高校時代から沢木耕太郎を読んでいます。

深夜特急。この1作で沢木耕太郎はメジャーになったと思いますが(ドラマにもなったし)、決して彼の代表作であるとは僕は思いません。もし沢木耕太郎を読みたいという人に作品を紹介することになっても、そういう旅が好きそうな人にしか勧めないでしょう。
1つの事件を加害者、被害者双方の立場から描き出していくテロルの決算。紛れもなくノンフィクションなのだろうが、フィクションの色彩濃い短編の数々。そして、取材対象になりきって書かれた壇。
彼に旅人のイメージが強いのは、新しいスタイルを模索し続けているからなのではないかなと思います。


マニュアルだろうが、旅行記だろうが本を読むことで背中を押され、異国へのあこがれを行動に移すことができたら、それは素晴らしいことだと僕は単純に思います。それらは、あくまでもヒントにしかならないわけですし。





No. 0147 堀内俊彦(26) 1998/11/24 13:00  [TOP]
追いだし行って来ました。楽しかったです。時の流れを感じるのは仕方ないですが。
長船くん、まさに貴兄ご指摘の集落です。また行きたいです。本当に星がきれいでした。
菅原さん、OBランの宿ご贔屓にしてくださり、幹事をつとめさせていただいた者としてもうれしく思っております。あの宿からは、あのあと丁寧にFAXでお礼のメッセージもいただき、とても良心的な宿だと思いました。
小生は、ただ楽しいから自転車に乗っています。大堀さんが、ご指摘されていたようなカテゴリー分けは考えてみたことはありませんでした。でも確かにそういうのもありかなと思いました。いろいろな多様性を許容してくれるのもまた自転車の良さでもありますが(ちなみに、野口さんの漂流講座は、9月に改訂反がでたらしいです)。
ぬけ忍さん、その後何か進展ありましたか(そういえば高橋くん、以前、hpスタッフのアドレスに書き込みされていた方からその後何か連絡ありますか。いい自転車みつかったのかなーと少し気になります)
そろその、来年の企画局行事の日程等詰めなければと思っています。
明日から、来週いっぱい研修のため、hpの閲覧ができません(e-mailも)。残念です。
それではまた。
12月16日(水)のフクちゃんコンパの方もよろしくお願い致します(19か19:30めどにスタート予定です)。


No. 0146 菅原(1) 1998/11/23 11:14  [TOP]
土、日は先日OBランで行った下仁田の福わ家へ又行って来ました。
今回は山登りで家内と土曜は荒船山、日曜は稲含山(途中まで)に登りました。
登山というより山麓散歩という感じでしたが途中、大根を掘り出している老夫婦がいて
「良い大根だね!」「持っていくかい?」「いいの?」「いいさ、持って行きな」
家内と二人で5本の大根をザックの後ろにくくりつけて宿まで歩いて帰りました。
宿のおやじさんからOBランの時の忘れ物だとの事で預かって来ました。
水色の水泳パンツ風、横に白の線あり、心当たりの方はsuga@pop12.odn.ne.jpまで
御連絡下さい。



No. 0145 堀内俊彦(26) 1998/11/20 21:59  [TOP]
22日の追い出しは、宮部も誘ってでようと思っています。
それから、12月16日(水)にフクちゃんコンパやります(おじさん、ありがとうございます)。御関心のある方は、小生までご連絡ください。ご参加お待ちしています。


No. 0144 7期 大堀 聰 1998/11/19 12:26  [TOP]
本当に水をさしてしまったかな。

世代の違いでしょう。新たな旅立ちにあたり、
先人の書いたマニュアルを参考にするという
発想が今風なのでしょうか。マニュアル化されて
いるなら、違うことを見つけるけれど。
でも、やはり先行研究には目を通すか。

そうは言っても旅はいつも新しい感激を与えて
くれます。そういう意味では出かけることから何か
が始まるのだから、たとえマニュアル通りでも
出ないよりは出た方がずっとましというのも確かですね。

それに、先人のマニュアル通りだとしても
出会いや経験は当然個人的なものだし、
感性もみな違うのだから、山ほどの新たな
経験と感激を得られる。それはすでに手あかの
ついたものだったとしても、個人にとっては
新鮮だし財産にもなる。

友人が旅を書き、人気作家(たしかニュージャーナリズム
の旗手とかいわれていましたっけ)なのは、
そのような若者達に支えられているわけですね。

なれと言われても絶対有名人にはなれない
おじさんのたわごとでした。
昼食に行ってきます。


No. 0143 7期 大堀 聰 1998/11/18 11:04  [TOP]
折角の盛り上がりに水をさすようですが、
昔は自転車乗りと一周屋は別物として
一線を画したような気がします。

自転車に乗ることと自転車を手段として
日本一周をしたり、世界をまわることは
別の物とされました。

私の友人(高校の同級生)は、卒業後勤めた
会社を辞め、ふらりと自分を見つける旅に
出ました。たぶん25年前くらいのことです。
その顛末記は出版され、今でも若い人には
読まれています。結構人気作家らしい。
当時は外国へ行くのも大変な時代でした。
1ドル360円だったし、持ち出しは500ドルまで。
日本の地位も低かった。

なんでもありの時代だから、なにをやっても
よい時代です。外国に行くのに、パックだろうと、
一人で行こうと、バイクでも、自転車でもなんでも
よい。歩いてもよいし、ヒッチハイクでも。

世界を肌で感じ、日本を外から見つめることは、
ともすると視野が狭くなりがちで、枠の中の規範に
こだわり、その中だけでうまく立ち回ろうとする
人が多い日本社会の中では、異質だろうけれど
大切なことだと思います。

でも、自転車でなければという必然性みたいな物も
大切にしてほしいような気がします。根性養成ギプス
ではないし、ただの交通手段でもないし。。。。。
なんて、やはり老人の戯言か。

獅子座流星群の寝不足症候群の濁った頭で書いている
ので気にしないでください。


No. 0142 高橋(29期) 1998/11/18 05:47  [TOP]
さっきまで箱根山公園にて、「しし座流星群」を見てました。
思ったほどたくさんは見れませんでしたが、
かなり明るいのもあって、まあ満足です。
それにしても文キャン裏のこの公園に、この時間帯に
200〜300人も集まっていることの方に、むしろびっくり。

「フクちゃん」か、「ふくちゃん」か、はたまた「フクチャン」か。
今日おじさんに聞いてみたら、
「フクちゃん」が正解で、出来るだけ間違えないで欲しいと言ってました。
ちょうどNHK「首都圏ネットワーク」の取材が来てたので、
近々放送されると思います。

その「フクちゃん」にて、年末のWCCコンパを開こうとおじさんから
提案がありました。現在のところ16日(水)が濃厚です。
多数参加の見込みですので、皆さんもぜひ。
(私は残念ながら、今回は不参加の見込みですが・・・)

松村さんの壁紙、早速うちのパソコンのデスクトップに飾りました。
ワッペンの布の感じが特にいいですね。
まだの方、ぜひ試してみて下さい。

ぬけ忍さん、海外ツーリングについては、
のぐちやすお という人の書いた本を、一度読んでみるといいと思います。
今私の手元にあるのは「自転車地球放浪塾」(山海堂 1995)ですが、
ビザのこととか、求めている情報が結構入ると思いますよ。
大きな本屋ならまだ売ってると思います。


No. 0141 川野(35) 1998/11/18 03:54  [TOP]
皆様、こんばんは。4年の川野です。
追い出しランの日程、コースが決まったのでお知らせいたします。

とき・ところ・・・11月22日(日)9:00AMJR中央本線
甲斐大和駅集合
10:00 同 出発
フリーラン後、湯ノ沢峠にて昼食
大善寺泊(一部、未舗装部分ありのた め、ロードレーサーでは難しいとのこ と)
です。皆様のご参加を、お待ちしております。


No. 0140 ぬけ忍 1998/11/17 21:28  [TOP]
あの〜 お世話なってるぬけ忍です(^^)。
あの、なんかあつかましいんですけど、
海外ツーリングに詳しい人おりませんでしょうか?

あまりにも聞きたい事がありまして・・・^_^;
いろいろな事を聞きたいのです。
誰か、相手してくれる人いましたら、メールもらえないでしょうか?
また、紹介でもしてもらいたいんですけど。
よろしくお願いしますm(__)m



No. 0139 長船(27) 1998/11/17 18:56  [TOP]
久々の書き込みです。皆さん活発に活動されてますね。特に堀内さんの走り報告はスゴイですね。下栗って、あの、壁にはりついたような集落ですよね。谷の奥に聖岳(だったかな)が見える。私も3年前に行きましたけど、秘境という言葉がぴったりのとこで、とにかくすごいとこだったという印象があります。それに、ムーンライトながらって、旧”大垣行き”ですよね。きれいな電車になって、今は良く眠れるんでしょうか。
私はとうとう今年は自転車に乗った日数が1日きりでおわりそうです。9月に奈良の柳生街道に自転車を引き摺りにいっただけです。山にはけっこうのぼってるんですが。すっかり歩き人になってしまいました。またそのうちサイクリストとして復活します。
今週末(11/21)は同期の茂木の結婚式なので、久々に東京にいきます。


No. 0138 25代 松井 克氏 1998/11/17 11:25  [TOP]
12月23日夜、「きなりや」にて一時帰国する片山をかこんで飲み会をやります。参加は自由。お暇なら来てね。


No. 0137 30 Shibata"MICK"Kaku 1998/11/17 01:33  [TOP]
どうも、こんにちは。管理者とは名ばかりのシバタです。
松村さん、高橋さん、ごめんなさい。
この掲示板に書き込むのもご無沙汰ですが、毎日見ています。

先週までずっと会社に寝泊りしておりましたが、
ついに明日あたりで一段落しそうです。
懸案の(というか、時機を逸した)
自転車組み立て講座制作に着手します。
みなさん、お楽しみに。
↑と書いておけば、自分でも作らざるをえないだろう。

泉君が結婚するようで、おめでとうございます。
ジャパンカップのとき、ノンだ金でご祝儀に代えさせてもらおう。


No. 0136 堀内俊彦26 1998/11/16 19:44  [TOP]
安東さん、ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。
ぬけ忍さん、東京にお住まいなら、一度、高田馬場駅そばの「モンキー」にでもいかれ実際に自転車を見られたらどうでしょうか。ビザは国毎に違っていて、ケースバイケースです。
この週末、宮部と走ってきました。金曜のムーンライトながら、土曜青崩峠、長野県上村下栗集落の民宿、日曜しらびそ峠というコースでした。天気もよく、絶景で、下栗の集落、民宿も特筆ものでした。これだから自転車はやめられません。


No. 0135 名倉治彦(30期) 1998/11/16 12:13  [TOP]
同志社の泉覚士君(WCC30代同期)が下記の日程でめでたく結婚式を挙
げることとなりましたのでご報告まで。
日時:11月21日(土)午後3時
場所:ホテルグランヴィア京都
京都市下京区烏丸通塩小路下る 東塩小路町657番地
TEL 075−344−8888
披露宴:同日午後4時30分 同ホテル内「古今の間」にて開宴
お相手は会社の同僚の 鬼頭園子さん


No. 0134 17期 松村 1998/11/16 01:00  [TOP]
WEBチーム/アート担当松村です。
拙作を出品しました。よろしければ見てください。

- WCCのフリーギフトショップを開店したいと思っています。クラブのキャラクタ商品を揃えて、フリーショッピングです。とは言っても、今はペナント一枚だけですが・・・。

サイクリングクラブなので本来は「走り盛り上がりの音頭取り」が私の役目かも。でも、こういうの楽しいでしょ・・・と、勝手にお許しいただきましょう。


No. 0133 寺田徹(25代) 1998/11/15 16:50  [TOP]
続きを書きます。

唯一変っていなかったのは、相変わらず汚い部室。ここへくると、まるでタイムスリップしたかのように、昔のことを思い出します。今にも浜梶さんが声をかけて入ってくるんじゃないだろうかと。そんな部室も後2年。11号館は取り壊されるそうです。
その後長野へ帰る大吾、神戸へ帰る森本をみおくり、われわれは池尻の寺原の店の近くで飲み、ディープな世界へ。気がつけば昼から飲み始め10時間以上、結局は大繁盛の寺原の店で1日を締めくくりました。
思えば、今まではWCCを振り返る余裕などなかったのですが、やはり人生の4年間を共にした仲間と自転車というものはいいものですね。
そうそう、実家から輪行状態のトーエイをとりに行かなきゃ。

ではまた。寺田


No. 0132 寺田徹 (25代) 1998/11/15 16:34  [TOP]
先日のOBラン、大変楽しませて頂きました。堀内君、高橋君、OBの皆さん、本当にお疲れさまでした。久しぶりにツーリングの楽しさを思いだしました。翌日は天気もよく、足慣らしに内山峠に上り、宿に戻り並木君と車で東京に戻りました。
最近はロードが多いのですが、今回走ってみて、ランドナーも組み立てようかなと思うようになりました。今までは楽しめるレースを中心に、東京−糸魚川、乗鞍、東京−蔵王など年に数回くらいレースに出て、そのトレーニングとして、ロードで走ってきましたが、走りそのものを楽しむツーリングもいいですね。次回のOBランもぜひ参加したいと思います。
さて、昨日14日に、同期の安東君が結婚しました。25代の、山口、松井、寺原、浅田、山根、DCCの森本も出席して、久々の同期会といったなごやかな雰囲気の披露宴でした。式はフォーシーズンズホテルで行われ、今日から安東君は、カリブ会のリゾートカンクンへハネムーンに出かけました。5歳下の美人の奥さんをゲットした安東君、本当におめでとう!! 後は、松井と河野だけかな!?
その後われわれは早稲田のフクちゃんへ行き、突然訪れた並木を巻き込み、飲み会となり、ほろ酔いでキャンパスへ。真新しいエスカレーターのある巨大なビルの校舎を目の当たりにして、時代の流れを痛切に感じずにはいられませんでした。





No. 0131 重松 宏 (27代) 1998/11/14 22:29  [TOP]
津島君、「ふくちゃん」は「フクちゃん」だと思う。下宿させてもらってて、間違えたら、オジサンに怒られそうだが、重松はそう信じてます。

ぬけ忍さん、輪コウの「コウ」は淫行の「行」です。内容は全く違って、至って健全な行為ですが。
世の中には、悪い奴が沢山居るから、気をつけて言ってきて下さいね。いくら旅慣れても、騙されるときは騙されますから。

失礼致しました。


No. 0130 ぬけ忍 1998/11/14 02:25  [TOP]
堀内さん、高橋さん、返事ありがとうございました。
堀内さん非常に参考になりました。
「マウンテンバイクツーリング術」ですね。
ぜひ読んで見るっす。
チャリは、むううう。
チャリに乗って旅したことがないので
自分の走りのスタイルはまったくわかりません^_^;。
とりあえず、輪コウ出来るちゃりを手に入れればいいんでしょうか?
なんとかなりますかね・・・((^^;))ぶるぶる

あと、海外ツーリングの注意点などあるでしょうか?
護身用のでっかいランボーナイフを持てとか(笑)。

あと、ビザとかってどーなるんでしょうか?
何ヶ国も行く時は、あらかじめ日本でとっていくんすか?
どーなんでしょう?



No. 0129 堀内俊彦(26期) 1998/11/13 20:11  [TOP]
今、職場のコンピューターの強い人の指導のもと書き込みができるかテスト中です。


No. 0128 高橋(29)@WEBチーム 1998/11/13 01:30  [TOP]
久々に管理人モードでの発言です。
一つ連絡から。
以前タクト君などから質問のあった、住所変更の際の連絡先として、
専用のアドレスができました。
wcc-mbr@dp.u-netsurf.ne.jp

松村さんのハイテク作業により、ここに送信すると、
OB名簿作成・会報送付に関係している人全員に転送されます。
住所・電話番号などの個人情報は、あまり当ノートに書かないで、
メールにて送信してくださいね。
その他いろいろな転送アドレスを、ポストオフィス
記してありますので、活用していただければと思います。

さて、久しぶりのクラブ外からの書き込み、うれしく読みました!
なんか、このノートがクラブ内ばかりだと、
どうも、作る内容がどんどん内輪っぽい方向に向かっちゃうんですよね。
このページ、クラブ外の人もたくさん見てると思うんですが、
遠慮しないでどんどん書き込んでください。

#私もライダーと語りあったりしました。最近ご無沙汰だなー。
カッコイイと言われたのは初めてなような・・・。ぜひチャリの旅を楽しんでください。


No. 0127 堀内俊彦(26) 1998/11/12 23:11  [TOP]
ぬけ忍さん、私用ノートへの書き込みありがとうございます。堀内と申します。
自転車でアジアを走られるご予定のとのことですが、おそらくバイクとも風景の
見え方など違うと思われますので、少し違った世界が開けるのではないかと思いま
す。
どのような自転車で行ったらいいかという点については、期間、走りのスタイル
等によっていちがいには言えませんが、ランドナータイプ(少々乱暴にいうとドロ
ップハンドルだけれどもタイヤのそんなに細くないもの)か、今はやりのMTB(
マウンテンバイク)が汎用性が高くいいのではないかと思います。
九徳さんという方の書かれた確か「マウンテンバイクツーリング術」とかいう本
には、ことこまかに自転車による世界ツーリングのノウハウが書かれていて参考に
なると思いますが、あまり参考にしすぎると「マニュアル世代」っぽい旅になって
しまうかもしれません(中国に実際に行ってから、人民永遠号(って言うんでした
っけ、中国の人が広く乗っている例の自転車)を買って、それで2000m級の峠
を越えてツーリングをした人もいると聞いたことがありますから、やろうと思った
ら何とかなるのかもしれません。)。ただ、まずはどこでもいいので、輪行を含む
ツーリングの予行演習のようなものはやられたらいいのではないかと思います。
あまりお役に立てずすいません。御不明な点等ありましたら、また御連絡くださ
い。


No. 0126 ぬけ忍。 1998/11/12 11:21  [TOP]
こんにちは〜 はじめまして。
ぬけ忍といいます(^^)。
クラブ外のものです。
はじめて投稿します。 僕はライダーっす。
旅が好きでいろいろと走っています。
よく旅先でチャリダーの人と知り合いになって、
話す事があるんですが、なんか羨ましいっす。
チャリダーはカッコいいっす。
いつもチャリダーと話すと「ライダーは負けてる」、
なんて思っちゃいます(笑)。

そんな感じでいつも、チャリダーの影が
付きまとっている訳なんですが、
この度ついに僕も
チャリダーになることを決心したっす\(^O^)/ 。

それで、いきなりなんですが、
アジアでチャリデビューしようと思ってます(←むぼー?^_^;)。
しっかあああし、チャリがありません(i_i) 。
僕の命を乗せるチャリがありません(笑)。
いま、一生懸命探しています。
輪コウ(コウってどんな字?)できるマシンを探してます。
まだ、チャリで旅したこともないので、
どんなものでもいいんですが...。

もし使わないチャリがどこかに眠っていることがあれば、
大事に使いますので、売っていただけないでしょうか?
よろしくお願いしまっす。
もし、チャリがあるなら、
またアドバイスなどあれば、
僕の方へメールもらえると嬉いっす。
またちょくちょく来たいと思います。
それではー。


No. 0125 31代・津島拓人(&麻紀) 1998/11/10 19:18  [TOP]
重松先輩もロンドンにいらしたんですね。。。お礼の手紙を出すのに店の
名前を間違えては失礼だ、と小国が悩んでいたのですが「フクチャン」
なんでしょうか?「フクちゃん」なんでしょうかねぇ?

10月24日に結婚式を挙げた後、早稲田通りの亀鶴庵で我々31代の
田巻と一緒に3次会を(山口さんの壮行会も併せて)開いていただき、
その後、大隈講堂前でイノコされたため10日程ヨーロッパ/ロンドン・
パリ・ローマへ逃亡しておりました。昨日から職場復帰です。
(山口さんのお陰で田巻と私はソフトイノコで済みました。ありがたや)

亀鶴庵のメンバーでうちのかみさんがお気に入りだったのが柴田さんで、
今も写真を見てはしきりに「うん、やっぱりかっこいいよ!」を連発して
います。(ミックジャガーに似てる、という話をしたら「(嫌いだけど)
真田広之に似ている」と申しておりました。
篠田さんには「古着を着こなしてますね」と言ったところ「これはほんまに
古着なだけだでぇ〜」と返されて唖然としていましたが・・(でも受けてた)
でも何と言っても「質問タ〜イム」と可愛い掛け声をかけてくれた小国が
一番のファンらしいです。(^o^)

谷野さん、村上さんや伊藤さん、山口さんをはじめ30代の先輩方、
マイコーや藤崎、福ちゃん、二次会から来てくれた川野くんや、はるばる
京都から来てくれた同志社の皆さん、そしてもちろん同期の皆もありがとう
ございました。
久しぶりに懐かしい顔ぶれでとても楽しいひとときを過ごすことができ、
本当に感謝しております。
しばらくは水戸近辺に居る事と思いますので、お近くにいらした際はぜひ
たかりにいらして下さい。精一杯がんばりますので。

最後になりましたが、OBランの成功おめでとうございます。堀内さんを
はじめ幹事の方々お疲れ様でした。旅行と重なったこともありますが
怠けて錆びつつある自転車を磨いて、次回こそ同期と一緒に参加したいと
思いますのでこれからもよろしくお願いします。それでは失礼します。


No. 0124 川野俊(35期) 1998/11/10 17:21  [TOP]
上野と同じく、感謝しております川野です。
OBラン宿から参加の影響から、近頃のだらけきった生活に渇を入れるべく、今週末、走りに行きます。
そして、来週日曜は(11月22日)追い出しランです。コース等
詳細は、決定次第、このホームページ上やOB通信などでお知らせいたしますが、日曜夜に大善寺に泊まることは間違いありませんので、皆様のご参加を
お待ちしております。



No. 0123 35代 上野 達也 1998/11/10 15:43  [TOP]
初めてこの私用ノートに参加させて頂きます。先日のOBランに現役代表と
して参加させて頂いた上野です。
家を出る前は集合地が遠くはあったのですが、私など比べものにならないく
らい遠方からお見えになられた方や、日々お忙しい中、参加された先輩方と
御いっしょさせて頂き、WCCパワーを見せ付けられたり、吸収すべきものも
数多くあり、大変私にとって貴重な一日となりました。これからも機会がある
毎に参加していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。老け込むの
は、歳を重ねたことによるのではなく、各人の気持ちの持ちようだなと、諸先
輩方を見ておもいました。
このような日をもてたことを企画を立てられた幹事の方々に厚く御礼申し上
げます。また、学生割引き(100%引き)で参加できたことも重ねて感謝
いたします。お疲れ様でした。
追伸 私は、朝宿をでた後、一代上の相蘇さんと共に妙義山を登り(一時間程
登山)帰宅しました。いろいろとありがとうございました。また、よろしくお
願いいたします。


No. 0122 27代 重松 宏 1998/11/09 23:45  [TOP]
お久しぶりです。重松です。

OBラン、お疲れ様でした。堀内さん、八面六臂の大活躍ですね。長らくご無沙汰しておりますが、お元気な様子がよく分かります。
高橋先輩、お久しぶりです。私たちの東北合宿(89年)以来、お会いしてないのでは?
寺田さん、自転車乗ってらっしゃるんですね。レースもやってるのですか?

さて、重松は昨日、休暇先のロンドンより戻ってまいりました。今年は85日間も休んだので、しばらくは腰を落ち着けて、お仕事します。
大堀先輩のお言葉に、妙に共感を覚えてしまうこの頃です。

「一度だけの、自分しか面倒見てくれない、俺の人生」ですので、せいぜい好きな事やってサバイヴしたいと思います。
松井さん、一緒に酒、飲みたいですね。フクチャン二階で。



No. 0121 菅原(その2) 1998/11/09 12:35  [TOP]
盛り上がる宴会の席で隣にいた4期の鈴村君の呟いた一言に同感であった。「OB会の運営を若い連中に任せて良かった」組織の中ではともすれば年長者が取り仕切るという事に落ち着いてしまうケースが多い。その結果老害とまで行かないにせよ新しい展開が阻害されてしまう事が多い。WCCのような集まりは若い連中がリーダーシップを取るに限る。


No.   [TOP]


No. 0120 菅原(1) 1998/11/09 09:15  [TOP]
足と腰に快い疲れを感じながら月曜の出勤です。皆さんご苦労さん。なかなか渋い峠で、宿も気に入ったので今月末女房を連れて又訪ねてみようと思っています。宿でも、年代と業界の広がりでいろんな話が聞けて興味深かった。では又次回を楽しみにしている。幹事ご苦労さん。


No. 0119 高橋(29) 1998/11/08 22:47  [TOP]
先月、調べものでちょっと某国へ行ったり、
本業の方が追いこみに入ったりで、書き込みが少々ご無沙汰の高橋です。

OBラン、遠い&なじみの少ないコースにもかかわらず、
前回に負けず劣らずの25名が参加され、大盛況&無事に終わりました。
お疲れさまでした。

前回の「御坂峠&大善寺」という、最大にジェネラルなものも良かったですが、
今回はコース、宿など幹事の堀内さんの個性が強く出ており、それだけに
走りも宴会も味わいがあり、参加した人の心に残るものとなった気がします。

次回以降も、たくさんの方が順繰りで幹事をして、
それぞれの思い入れを表現されると楽しいのではないでしょうか。(募集中です!)

昨年以来、こんな形で集まる機会を持つようになったOB会の、
年代を超えた気軽な仲間として接していける今の雰囲気、大切にしていきたいですね。
また、OB会ではなくてOB「ラン」であることも大切にしたいなー、という気がします。
別にランから参加するのが好ましい、とかいうのではなくて、
また自転車に乗ろうかな、という意欲を、たくさんの人に掻き立てるような存在であると素敵ですね。

ホームページも今まで通り、いろんな人のそんな思いを伝えられる存在でありたいと思います。
後日報告することになると思います。その際はぜひご覧下さい。


No. 0118 16期金沢信之 1998/11/08 21:47  [TOP]
OBランお疲れさまでした。
私は、例年、西湖のレースに仲間と参加するので、
この時期は日程が合わず、とても残念です。
とにかく次回こその気持ちです。

今日のレースは予想以上の結果でした。
C1クラスで優勝しました。
ゴール前200Mぐらいで集団から抜けだし、
3秒の差をつけてゴールしました。


No. 0117 鍵本(22) 1998/11/08 20:53  [TOP]
OBラン参加の皆さんお疲れさまでした。先ほど無事広島に帰宅しました。

さて,今回の企画は50km400mアップの700mダウンという現役時代なら超楽勝のコースでしたが,ここ数年まともに走っていなかった私にとってはついていけるかどうか本当に不安でした。さらに不安に追い討ちをかけるように列車事故のため集合時間に間に合わず,後から追いかけなければならないというハプニングにも見舞われましたが,田口峠のアプローチで合流して遅れること無く峠に着く事ができました。峠付近の紅葉はすばらしく参加して本当によかったと思います。久しぶりにWCCの走りを味わえたような気がします。
疲れて冷えきった体を温泉で暖めるラン+温泉という企画もナイスでした。温泉の後のビールは格別でした。一人一言で今回の企画を担当した堀内君が「卒業して自転車を辞めている人が多いのですが,OBランが再び自転車に乗るきっかけになればと思います。」と言っていましたが,まさに私にとって大きなきっかけとなりました。
堀内君,高橋君をはじめこのOBランのお世話をしてくれた皆さん,本当にありがとう。



No. 0116 鍵本22期 1998/11/07 22:54  [TOP]
無事完走できました。
これをきっかけに、自転車を再開しようと思います。
自転車をやめてる皆さん、次回のOBラン、ぜひぜひ参加してください。


No. 0115 堀内俊彦(26) 1998/11/07 22:36  [TOP]
おかげさまで、大勢の方の参加を得て、秋のOBランの開催に
至りました。
参加頂いた皆さま、参加されなかったもののメッセージを
お寄せくださった皆さま、開催にご協力頂いた皆さま、
ありがとうございました。
来年以降のOBランにもご期待ください。


No. 0114 菅原(1) 1998/11/07 22:22  [TOP]
下仁田のひなびた温泉宿でぐっと盛り上がっているWCC OBランです。
堀内君のコース選定を得て、渋い田口峠を越えてきました。
ここ下仁田温泉は、お湯良し、こんにゃく良し、
WCCにばっちりの宿です。
今回都合つかず不参加の諸君も、次回はぜひ参加してください。


No. 0113 24才 間違い24代のどん太 です 1998/11/06 22:18  [TOP]
堀内君へ
幹事ご苦労さまです。
いけなくて、大変残念です。
鍵本さんにもよろしくお伝えください。
宴会用メッセージいれておきましたので
そちらも見てね、、。
気をつけていってらっしゃい〜。


No. 0112 18期 藤原 1998/11/06 16:14  [TOP]
皆さんOBラン頑張ってください。ところでスピナジーホイールを買った
ので報告します。初めてインターネットで買い物をしてみました。

場所は:
http://www.bikeworld.com/index.html

これがインターネット自転車屋です。現実の場所は米国テキサス。送料
にUSD200かかりましたが、日本で買うよりはるかに安い。まだスプロ
ケットが無いので試走してませんが、果たして脚力の衰えをカバーできる
ものやらどうやら。

日曜の大井埠頭で練習してますので、見かけたらお声を掛けてください。


No. 0111 菅原(1) 1998/11/06 13:41  [TOP]
OBラン参加の皆さん、明日はよろしくお願いします。
体調十分とはいきませんが参加する事に意味ありです。
快い疲れを温泉で癒し、夜の歓談が又楽しみです。では。


No. 0110 田巻雄治 1998/11/06 00:01  [TOP]
最近ようやく我がパソコンの周辺が整ってきました。
いまポストペットまで飼っています。
皆さん、メールください。


No. 0109 藤崎裕之(32) 1998/11/04 22:05  [TOP]
幹事をやってくださっている堀内さんの後に書き込むのは気が引けるのですが、仕事の関係でOBランに参加できなくなってしまいました。申し訳ありません。楽しみにしていたのですが、...。キャンセル料などがかかるようでしたら、お支払いします。
次回はぜひ!!


No. 0108 堀内俊彦 26 1998/11/04 15:33  [TOP]
いよいよ、今週末11月7日、8日はOBランです。至らないところは多々あるかもしれませんが、多くの方の御参加お待ちしております。
関戸くん、是非参加してください。お待ちしてます(宿の予約の関係もあるので、全参加か部分参加か等につき、本私用ノート上あるいは小生まで直接御連絡いただけますか。お願いします)。
関戸くんに限らず、OBランへの御参加まだ受け付けておりますので、ハガキを出しそびれた方も、本私用ノートに直接書き込んでいただくか、あるいは、堀内まで直接御連絡いただければ幸いです。
それでは、当日多くの方にお会いできるのを楽しみにしております。


No. 0107 28代 関戸 1998/11/03 21:29  [TOP]
一年ぶりくらいに書き込みます。高橋龍太郎様、OBランのページに私の写真を載せて
下さってありがとうございます。堀内先輩、7日の企画ご苦労さまです。はがき出し
てませんけど、参加してもよろしいでしょうか?今度、仕事でホームページを出す予
定です。来年の1月頃から稼動する計画で進めています。詳細が決まったら、またこ
の場所をお借りして、お知らせしたいと思います。業務は委託してしまうので、自分
で作成する訳ではないけど、後のメンテは自分でやりたいので、高橋龍太郎様、是非
その節はよろしくノウハウを伝授下されませ。


No. 0106 17期松村 1998/11/01 20:54  [TOP]
●17期遠藤さんの海外レポート「分水嶺を越える」

好評の17期遠藤悟さん/海外ランシリーズが拡充しました。
これまでの「エピソード」に加え3点、さらに一歩深い旅のレポートです。
・93年のモロッコ
・96年の米国コロラド
・98年の南米エクアドル
「作品集」の1コーナーとして独立しています。
ぜひご覧ください。



●WCC私用ノート v1.0 (98/08/21)
このメッセージボードは次のフリーウェアをもとに制作しました。
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