【1999/06/01 - 06/30】

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No. 0396 田中豊(26期) 1999/06/30 20:04  [TOP]
ごぶさたしています。26期の田中です。時々WCCのHPを見ておりましたが、初めて書き込みします。
さて、最近クラブの皆さんがランドナーを購入しているショップはどこあたりが多いのでしょうか?我々が学生の頃に通っていた店(王子のS店や池袋のG店等)と同じなのか、はたまた違うのか?
情報をお持ちの方はご連絡いただけるとありがたく、よろしくお願いします。


No. 0395 16期金沢 1999/06/27 16:20  [TOP]
梅雨空のうっとしい毎日が続いています。
今日は四月の交通事故以来二ヶ月ぶりに、
レースに出てきました。TDJ第1戦、立川の昭和
公園周回コースを走るものです。今年は今日を含めて3戦
が実施され、1戦のみの参加も受け付けるそうです。
どなたか出ませんか。

私はB1クラス。雨の中はやはりきつかった。
レースはいつもきついのですが、今日は格別です。
何しろ、外を走るのは二ヶ月ぶりですから。
ここのところ、体調維持のためのローラーしかやっていなかった
のです。また、私は眼鏡を使用しているのでこれも障害でした。
最終回、眼鏡が曇って視界不良。
前の周回には集団落車もあり、とにかく精神的に
疲労しました。唯一の収穫は最後まで先頭集団に
いたことです。春先は調子がよかったのですが、
事故がなければと悔やまれます。


No. 0394 14期柳井愼一(髙田A太郎) 1999/06/25 19:05  [TOP]
皆様、大変ご無沙汰しています。OB会事務局員でありながら、さぼってて申し訳ありません。
久しぶりに私用ノートを読んでいます。
13期の先輩方が活躍しておられるので、驚きました。
6月5日に用事があって大学に行って来ました。久しぶりの部室は相変わらず汚くて安心しました。フォーカスにでていた広末用と言われている14号館横の白い椅子にも座って来ました。
さっき、福岡(と言っても大牟田という、ほとんど熊本との県境なのですが)から帰って来たところです。そこからは島原に渡れるので、時間があれば普賢岳に行って来ようと思っていたのですが、残念ながら余裕がありませんでした。
普賢岳は1991年6月に16期の黒田が取材中に(日経新聞の記者でした)溶岩流に巻き込まれて殉職した所です。大牟田はこれからも何度か出張することになるので、いつか必ず、線香の一本もあげに行きたいと思っています。
15期の佐々木君、酒井先輩に電話してみました。近い内に行ってみようと思っています。


No. 0393 藤瀬学/第4期 1999/06/23 15:44  [TOP]
<自己紹介>
・「うすけぼー」の会の常連のつもりの男
・他の活動には参加していない男
<転任報告>
・7月に米国に転任することになりましたのでノートを借りてご連絡させて頂きます。
・転任先
Mitsui Chemicals America, Inc.
2500 Westchester Avenue, Suite#110
Purchase, NY 10577
U.S.A.
tel:914-253-0777
fax:914-253-0790
・ニューヨークにお越しの折りには是非ご連絡下さい。


No. 0392 16期金沢 1999/06/22 20:39  [TOP]
新車が完成しました。
フレームはカレラT9RC、パーツはDURA。
フォークはタイム、ペダルはルックPP296、
ヘッドパーツはカンパレコードのアヘッド仕様。
ハンドルとステムはデダチャイ。
サドルはサンマルコHDPのチタンレール。
ホイールを新規購入する予算がなくなりました。
古いのを使います。
ちょっとウキウキしています。
大人のおもちゃかな。
早く試走がしたいですね。


No. 0391 29期 山里 英毅 1999/06/18 00:40  [TOP]
お久しぶりです。29期の山里です。
少々前の話になりますが、GWに一人で沖縄に行ってきました。
山里家の先祖(ルーツ)は沖縄ということと、沖縄が唯一足を踏み入れていない県だったので、前から行きたいと思っていました。
ダイビングのライセンスを取ったり、マウンテンバイクを借りて
走ったり、観光バスに乗ったりして、のんびり過ごした9日間
でした。
肝心の出会いは、残念ながらありませんでした。

さてさて、話しは変わりますが、ホームページ開設2周年、
おめでとうございます!
参照数も2万人を突破し、今や、OB会、現役とOBとの交流の場として、WCCにとって欠かせないものになってきております。
これも、運営チームの皆様方のおかげだと思います。
僕ももう少し書込するようにしますので、今後ともよろしくお願い
いたします!


No. 0390 野口和紀(15) 1999/06/14 17:59  [TOP]
張替、遠藤、松下、松村君。黒田君の思い出読ませてもらいました。高田C君からの電話で、行方不明の一報を聞いたあの衝撃の瞬間のこと、6月7日、弔問の帰り、みんなと黒田行きつけの馬場の「くろねこ」から大隈講堂に流れて飲んだ一夜のこと...。昨日のことのように覚えています。もちろん、黒田と一緒に走り、飲み明かしたことも。つい先日、松山の岩城君を訪ね、当時を思い出しながら痛飲しました。岩城はいつもの調子で、へろへろになりながらもグラスを離しません。「もう飲めないんですか」。黒田がいたら怒られたろうけど、当方は途中でダウンしました。
きょうは休み。自宅から雲仙普賢岳がよく見えます。松山で飲めなかった分まで、普賢岳を仰ぎながら一杯やろうかと思います。


No. 0389 貝塚 敦(24代) 1999/06/13 01:21  [TOP]
今、私の横では、同期の谷澤氏が高いびきをして寝ています。彼は、日本国土開発(株)を約一ヶ月前に退職し(倒産したため会社に見切りをつけ)、現在浪人中の身。わざわざ私に会いに新潟まで来てくれて、つい先ほどまで、酒を酌み交わしていました。
先月は、タンザニア大使館勤務の浜野氏が、長期休暇で一時帰国の折に、夫人同伴で新潟まで会いに来てくれるなど、サイクリングクラブのすばらしい友人を持てたことを、今更ながらありがたく受け止めています。
さて、私ことながら、去る6月7日、第二子が誕生しました。念願の女の子です。
我が貝塚家では,私の兄弟が男三人。私の次兄の子供が男三人。私の第一子も男。実に女の子は私の母以来65年ぶりのことで,上へ下への大騒ぎです。(私は男の子が良かったのですが。)
また,こどもの名前は、漢字で一文字・読んで三文字というのがこれまた貝塚家では暗黙の了解(実際に私たち男どもの名は聡・理・敦・穣・秀・厳・航といった具合)で、今回もその掟に従い、「穂」(みのり)と名づけました。
米どころ新潟・早稲田と言えば、やはり「稲穂」でしょう。われながら気に入っています。
新潟では、私が市内に転勤になったこと,明治生命の福田君が新潟に来たことを契機に、「WCC新潟会」でも発足しようかと、今月中に飲み会を開く予定でいます。私の身辺も何かと慌ただしくなってきましたが、どれもこれもうれしいかぎりです。
さて、遅れ馳せながら、堀内君、ご結婚・ご栄転おめでとう。今後の益々の活躍を心から祈っています。
重松君,帰朝予定とのこと、再会を楽しみにしています。
高橋君、7月に必ず寄ってください。待っています。


No. 0388 28期 奥田 一仁 1999/06/12 14:51  [TOP]
久々に書き込みします。28期の奥田です。
先日、堀内さん宅での鍋に参加した時に次回のOBランが話題になりました。
私の個人的な考えでは、NETで行われているオフ会のように、このHPを見ているより多くの人が自然に集まれる場、というのも一つのあり方だと思っています。
具体的には伊豆あたりの温泉旅館を宿にして、舗装の峠越えを一つするくらいのコースがいいのではないかと思っているのですが、この件に関しての前向きなご意見の書き込みで、ランの具体化の作業が掲示板でなされることを願い、今回、書き込みます。


No. 0387 高橋(29) 1999/06/11 00:41  [TOP]
赤堀君、結婚おめでとう。
早々に、タケオ君、藤崎君から写真&報告が届きました。
いやーー、同期って素晴らしいね。
皆さま、ぜひご覧下さい。

---
私も、小国君と同様、堀内さん宅にてナベを楽しみました。
当日は、宮部さん、谷野さん、奥田さん、込山さん、
牧野、篠田(30)、小国、と役者がそろい、賑やかに過ごしました。
ありがとうございました。

堀内さんとは、「フクちゃんコンパ」で、またお会い出来るかな?
すでに定着した感のあるこの年二回の楽しい飲み会、
今回は、6月25日(金)、19:30~22:30 となりました。
草野さんの結婚前夜祭、重松さんの帰国祝いも兼ねて、
今回も楽しくやりましょう。
フクちゃんOBを自認する方、ぜひご参加下さい。


No. 0386 藤崎裕之(32) 1999/06/07 22:47  [TOP]
赤堀の結婚式に参列してきました。笑いあり、涙ありの素晴らしい結婚式でした(燕尾服の赤堀がとっても格好良かった)。校歌も歌い、エールも切りました。たけおー、お疲れでした!

ところで、今週の土曜日に行われるMTBフェスティバルin仙台に参加します。初レースです。カテゴリーはXCのオープン男子(30歳未満)です。どなたか参加する方はいらっしゃいませんか。


No. 0385 17期 松村 1999/06/07 02:02  [TOP]
遠藤君(No.0383)が触れている鳥取までのランは,(走ったメンバーにとっては?)伝説となっている,いわゆる「松の上」ランと呼ばれるものです。
夏休みの直前,黒田さんが私用ノートに,参加者募集の広告を出しました。そこにはいくつかコースが並んでおり,中でも一番デラックスな,最強のコースがこれでした。松竹梅の一番で「松,しかも,上」。こんなランキングを冗談で付けたのは私だった気がしますが,まさか自分の脚でこれを全部走るとは,その時は思いませんでした。

・出発の前日に黒田さんらが飲みすぎ,スーパー早稲田タイムを実践し,相模湖集合組を6時間も待たせるという,初日のズッコケ。
・バッテリーランプのかぼそい光を頼りに,野麦峠のお助け小屋になんとか辿り付いた夜中,小屋前の排水溝にラジウスを三個落とし,その上で8人分のメシが美味く炊けたこと。
・日本海側へ出てからの強烈な日差しとアップダウン。

あのランは密度が濃くて,いろいろありすぎて,一言では言えません。



左奥から:久光・水野(以上18)・黒田(16)・磯谷・薄葉・桑谷・遠藤・松村(以上17)


サイクルスポーツの方(17期神保氏を追跡取材中)に遭遇。撮ってもらう。


- さて,今日私は休日出勤で,黒田さんがカメラマンをしていた新聞社で仕事していたのです。夜,帰宅してテレビをつけると,中島みゆきの『時代』を,3人の歌手が歌い継ぐのが耳に入ってきました。長く続いている日曜夜の音楽番組です。

- 黒田さんは中島みゆきが好きだったのを,思い出しました...。
よく彼の下宿のオンボロステレオで,『時代』を聴いたものです。
天国の黒田さんと,ここでまた聴きたいと思います。

『時代』

今はこんなに悲しくて 涙も 枯れ果てて
もう二度と 笑顔には なれそうも ないけど

そんな時代も あったねと いつか話せる 日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って 話せるわ
だから今日は くよくよしないで 今日の風に 吹かれましょう

まわるまわるよ 時代は回る 喜び悲しみ 繰り返し
今日は別れた 恋人たちも 生まれ変わって めぐり逢うよ

旅を続ける 人々は いつか故郷に出逢う日を
たとえ今夜は 倒れても きっと信じて ドアを出る
たとえ今日は 果てしもなく 冷たい雨が 降っていても

めぐるめぐるよ 時代は巡る 別れと出逢いを くり返し
今日は倒れた 旅人たちも 生まれ変わって 歩きだすよ

まわるまわるよ 時代は回る 別れと出逢いを くり返し
今日は倒れた 旅人たちも 生まれ変わって 歩きだすよ

(作詞:中島みゆき)



No. 0384 31期 小国 弘 1999/06/06 22:29  [TOP]
久しぶりの書き込みです。
大変御無沙汰しております。

昨夜は堀内さんのカンボジア赴任壮行会兼
無料のフリーマーケット(?)にご招待頂く光
栄にあずかり,31期の中でただひとりいい思
いをして帰ってきました。堀内さんの変わるこ
とのない自転車への情熱や立派になられて
も全く驕られなくて後輩への気遣いを惜しまれ
ないお人柄に接し,私もこんな偉大な先輩を
持ったことを改めて誇りに思いました。
私はランニング専門になりましたが,何らかの
形でまたOB会行事に参加させていただきたい
と思います。
堀内さん本当に有り難うございました。またご
結婚おめでとうございます。お体に気をつけて
カンボジアでご活躍されることを祈っておりま
す。また私をお誘い下さった高橋さん,参加さ
れた皆々様ありがとうございました。

今日は赤堀君の結婚式だったようですが,
まずはおめでとうございます。
仕事で頬がこけたという噂も聞いております
が,奥様の愛妻料理で是非あのほっぺのふ
くらんだ赤堀君に戻って下さい。
金子君も出席したとか。元気にしてますか?
たまには私用ノートに登場してくれ!!

我が31期の野口毅君も5月30日に大宮で
結婚し,同期10名中9名が祝福に駆けつけ
ました。このカップルはとにかく面白いという
のが特徴です。ほんと羨ましいくらい仲が良
いです。自分のことは棚に上げて今世紀中
にあと何人結婚するか楽しみです。


No. 0383 17期 遠藤 1999/06/06 03:09  [TOP]
17代の遠藤です。ランの記録は同期の松村君のお陰でアップロードしてもらいましたが、書き込みは初めてします。

今日(土曜日)は道志、御坂を走ってきました。実はこのコースは1978年夏に当時3年生の黒田氏をチーフとして私を含む7人ほどの1,2年生を従えてを山陰合宿の集合地である鳥取まで走ったルートの二日目と重なります。

初日は前夜の酒盛りの影響で何時間も遅れて大隈講堂を走り出し、さらに私のコースミスもあり初日は道志の神奈川山梨県境あたりのキャンプ場までとなり(事前の計画では河口湖あたりまで走るつもりだったと思いますが)、鳥取が遥か遠くに思われたものでしたが、二日目は、当時ダートも残る山伏峠への登りに苦しめられ、甲府盆地に下ると暑さに疲れを蓄積させながらも夜叉神峠への登り口まで走り、少し先が見えたという日でした。その後、南、中央、北アルプスを越え、奥美濃から日本海へ抜け無事鳥取に着いたのですが、我々1,2年生にとっては強烈な印象を残したランになったと思います。

実は私にはこのランで黒田氏のリーダーらしい姿の記憶は余りありません。むしろ氏はグループで走る時もずっと一人のサイクリストでした。走ることの歓びを身をもって示していたように思います(そして十分に我々を楽しませてくれました。時には昼寝のために深夜のランになってしまったり、信じがたい味付けの料理を作っていたこともありましたが)。我々はそのような氏の姿から走ることについての多くを学んだように思います。

今日のルート、特に道志は当時と大きく変わってしまいましたが、私の走りについて氏が合格点をつけてくれるかとふと考えました。氏の年齢は34歳で止まりましたが、私にとっては今でも先輩です。


No. 0382 29th 高橋 1999/06/05 10:20  [TOP]
赤堀君、結婚おめでとう。

どこか時の止まったような雰囲気、
それに頑固さは、まぎれもない静岡人のもの。
(私は富士市、彼は富士川町育ち)
これを誇りに、いつまでもそのままでいて欲しいな。
健雄君、彼によろしく。

# 実は、32代の結婚は第二号らしいね。びっくり。


今日は、堀内さん家のナベに参加します。
けっこう盛り上がりそうですよ。


No. 0381 29 高橋 1999/06/05 10:12  [TOP]
黒田さんの件、面識あるわけでもないのに申し訳ないのですが、
私も少し・・・。

あれは、私たちが執行部の年でした。
当日、同期のOBの方が、私用ノートに
「黒田が天国へのランに旅立ったよ」
と書かれたのには、一同ジーンと来ました。

あの年の春、「弁慶」が、バブルの影響で閉店に追い込まれました。
「やめたくない・・・」おばさんが泣いてた卒業飲み会を
忘れられません。

それから2ヶ月あまりの後、社葬の場で
またおばさんの涙を見てしまいました。
でも、黒田さんが前年?誕生の息子さんに、店の名前を名乗らせたことを、
あの時、おじさん、おばさんが誇りにしていたのを、はっきりと思い出しますし、
クラブの先輩方にも報告したい気がします。
「弁慶」君、すでに小学校も半ばなのでしょうか。

同じクラブOBでも、黒田さんの人となりについて聞く機会は
ありませんでしたが、かなり後になって、
黒田さんや当日のことを詳述した本(江川紹子・著)を見つけました。
そこには、まぎれもないクラブの先輩である黒田さんの像が
はっきりと浮かんでいました。

昨日部室に久々に行った時、この話を一年生にしてみたところ、
「雲仙の記者のことは知っているが、クラブOBとは思わなかった」
遠い世界の話のようでした。
そういえば、彼らはまだ小学生だったのですね。
時の流れの、おそろしいほど早いこと。

職に立派に殉じた黒田さんにひきかえ、
自分もその年齢に近づいてしまったことを知り、
身が引き締まります。

松村さん、いつか黒田さん特集を組みましょうね。


No. 0380 17期 松村 1999/06/04 01:24  [TOP]
黒田さんのTOEIには,迫力がありました。

レイノルズのエビ茶のフレームは専用サイドキャリアのダボ付きで,フォークはカーボンブラシ内臓でした。-これは,リアダイナモからの電装ケーブルを露出せずフォークへ引き込む細工です。当時のクラブに,あのクラスの自転車はおそらくなかったと思います。

でも,良い自転車だから迫力があったのではありません。

走り込んで磨り減った赤いウォルバーの42Bバルーンタイヤと,くすんであちこち傷が入った,レフォールの極太亀甲ガード。そして,鉄の塊のような変速機ユーレイ・アルビーも,全て激しく使い込まれ,何か言いようのないスゴ味を持っていました。77年の東北合宿。集合日の前日,青森に現れた彼の姿に,私は圧倒されました。



部室でダラダラやっているとき,黒田さんは生協コーヒーを飲みながらタバコをふかし,我々後輩をコキ使い,呆れるような駄洒落を飛ばしていたものです。「いやー,マイッタなあ。」が口癖の黒田さんには,妙に突っ込みやすいところもあり,我々後輩も彼をチャカし,いじめてみたり。同レベルでダラダラやるのが,実に愉快でした。

しかし,こと黒田さんの「走り」に対しては,我々後輩はみな,確実に一目置いていました。それは,クラブのサイクリングという範疇を越えて,ソロサイクリストとして「自転車で旅をする」ということを,この人は深いところで判っているらしい...という事を,漠然と感じていたからだと思います。



私は黒田さんの後を継いでメカ局をやりました。

黒田局長の年,メカロッカーを入れ,工具を2セットフルで揃えました。(部室には今も万力があるでしょうか。あれは当時,どんな状態のフリーホイルも外せるようにと二人で相談して,私が中古をエッチラ運んできたものです。) 黒田さんの指示のもと,私は毎日遅くまで,興奮しながら仕事をしていたものです。

夜中まで二人でメカ談義になったこともあります。しかし,機械いじりが好きでメカを始めた私とは異なり,走って,使ってみて,なぜ高級品が良いかを判っている。黒田さんのメカは,真に「走り」に裏付けられたメカでした。黒田さんには説得力があり,メカも,走りも,そして写真も,私は確実に彼の影響を受けています。



黒田さんが亡くなって8年と思うと,年月の速さを感じます。
黒田さんが今も生きていたらと,たまに思います。


No. 0379 松下博宣(17) 1999/06/03 22:45  [TOP]
張替(17)が書き込んだように6月3日は普賢岳の火砕流で亡くなられた黒田さんの命日です。小生も酔いにまかせて大隈講堂のまえに集ったひとりです。その後、熊本の方へ仕事でいくたびに野口さんと飲んだりするたびに氏の思いで話しになります。そんな夜の翌日あおぎ見る雲仙はなんともの悲しく見えることでしょう。太く短く生き切った黒田先輩があたかも普賢岳の空にいるような感覚を覚えたものでした。

黒田さんの思いでのいくつかを紹介します。当時埼玉県の大宮に住んでいたころ日光方面へ走りに行ったあと、黒田さんが我が家に泊まりにきました。一晩中、小生がとった下手な写真を酒を飲みながらあの調子でさんざんに品評してくれ、突然、中島みゆきをめちゃくちゃな音程で歌い始めるという氏でした。翌日にはすべて忘れていた模様でしたが。

黒田さんが下落合の下宿にいたころ、バイトの帰りがなにかの拍子で黒田さんのアパートにとめさせてもらいました。氏はがらにもなくESSにいたことがあるということで、ESSにイイ女がいるぞ、ということで、酒を飲んだ勢いもあり、その女学生の下宿にいっしょに遊びにいったのです。そこで黒田さんとその女学生は突如、英語で話しをはじめ面くらいました。「先輩、すごいですね、そのエーゴ」とおだてると、うれしそうに「おい、松下、エーゴはハートだぞ」とわけのわからぬことをのたまっておりました。その女学生のアパートから氏のアパートに帰ってからなんと黒田流英語の個人レッスンがはじまり、これまた面くらいました。私のヘタな発音を酔っぱらいながら親身の指導で徹底的に矯正してくれたのでした。あーあ、疲れた。あの夜の疲労感はまだ覚えています。いやいや、氏の指導のおかげで、後年アメリカの大学院でマスターもとれたので、感謝しなければなりません。

記憶の風化は確実に進行しますが、せめてこのサイトのうえでは黒田さんの存在を確かめ、刻印しようではありませんか。自転車、走り、そして英語への取り組みに、私は黒田さんからある種のインスピレーションと動機づけを得ておりました。他のかたがたの書き込みに期待します。


No. 0378 堀内俊彦(26) 1999/06/03 19:33  [TOP]
堀内です。突然ですが、今度の土曜日5日の夜に拙宅にて鍋をやります。今回は、小生の海外赴任に伴い不要品一掃バザーもやりますので、あまりたいしたものはありませんが、是非どうぞ。御関心のある方はご連絡ください。なお、従来使っていましたe-mailドレスは今月9日頃までしか使えません。それ以降何かありましたら拙宅のFAXか留守電までお願い致します。7月からはカンボディアです。現地でプロバイダーを見つけe-mailアドレスを取得したらご連絡致します。それでは鍋へのご参加お待ちしてます。


No. 0377 17期 張替 1999/06/03 00:41  [TOP]
6月3日は黒田さん(16期)の命日だ。普賢岳の火砕流に巻き込まれ、
無念の死を遂げてから丸八年経つ。氏の年齢は34歳で止まったままだ。
八年前、訃報を聞いた氏を知る前後の代、十数名が告別式の後、酔いにま
かせて大隈講堂前に集合。車座で夜中二時まで氏を偲んだのが、昨日の
ようだ。氏のお骨は生まれ故郷の札幌と奥さんの故郷佐賀に分けて納骨
されていると聞く。埼玉在住の身としては、墓参りにも行けない。せめて
この日ばかりは、WCC私用ノートに黒田さんの思い出を語ることで供養
のひとつとしたいと思う。
私個人は黒田さんには随分、世話になった。とにかくサイクリングのサ
の字も知らなかった私に、一人旅のやり方や非常食の必要性、写真の撮り
方まで実によく指導していただいた。しかも酒をおごってもらいながら、
である。ただし、いったん店を出るとその恩に労働で返せとばかりに、
「張替、オンブな。」といって、私の背中に飛びつき、そのまま、下宿
まで何度か運ばされたが・・・。氏もまた、あまり酒癖のいいほうでは
なかった。
そんな氏との旅の思い出は私が2年の時、中国合宿の解散を広島で
終えた夏のこと。プライベートラン(一人で走ることを当時はこう
呼んだ。)で九州は国道265号、高森峠を下ってしばらくすると、YHの
前に非常に汚いイエロージャージを着た黒田さんがいた。淋しがりやの
氏は「張替、いっしょに走ろうヤ。一泊おごるから。」と私を誘う。その
夏は埼玉の大宮の家を出てから、すでに1ヶ月。広島での打ち上げ旅館以外
は野宿か友人知人の家しか泊まっていなかった私は、すぐOKした。その日
は椎葉の「すずかけ」という、若くてきれいな奥さんの居る民宿に泊まった。
非常に親切な奥さんで我々の汚れた衣服も洗濯してくれた。次の日は悪
天候。ついに国道265の山中で野宿。林業用の無人小屋の南京錠をこじ
あけて入り込む。予備食料一切なしの私は黒田さんの非常食で飢えを
しのぐ。氏はめちゃくちゃなところもあったが、サイクリングに対しては
非常に慎重で、用意周到の感があり、危険区域に居て火砕流に巻き込まれた
ことは今でも信じがたい。

以上、取り留めない話で恐縮ですが、年に1度は黒田さんにもこのノート
に登場してもらいたく、書き込みしました。生きていれば、恐らく頻繁に
登場して「ごめんねからの逃避行」かなんか言っていたでしょうから。


No. 0376 栗原 秀司 S43.3卒 4期 1999/06/02 17:57  [TOP]
5月のOBランは、参加できなくて残念!
もし秋に再度OBランの計画があるようでしたら、早めに日程を決めてください。次回は参加の予定です。

最近は、カヤック、サイクリング、アーチェリー、釣に山登りといろいろやっています。季節がらカヤックが
多くなってゆきそうです。アーチェリーも手軽にできるので、毎週末たのしんでいます。
7月には、カヤックで羽田空港一周を考えています。現役でも誰でもやりたいひとがいたら連絡を下さい。
連絡先 ノースカロライナ州政府 日本事務所 03-3435-9301 または tradenc@gol.com
まで。一回にたくさんの人数は無理ですが、2‐3人でしたらOKです。




No. 0375 荒田生 1999/06/01 01:37  [TOP]
篠田君へ僕のところへメール下さい。今週末に来る藤崎君、金子君が来る時間もよければ教えて下さい。


No. 0374 荒田楠生(DCC ) 1999/06/01 01:34  [TOP]
赤堀君へ結婚おめでとう。去年の12月にあった同窓会での電撃発言から結婚まであっと言う間でしたね。HPでオープンにされたのでこのことはDCCの同期にも連絡をしておくね。