【1999/07/01 - 07/31】

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No. 0442 高橋(29) 1999/07/31 18:22  [TOP]
菅原さん、綿貫さんの本、できたら欲しいです。
どうぞ、よろしくお願いします。

さて、一昨日、当地OB会結成の気運が高まる新潟にて、
貝塚さん、田巻、福田と4人で飲みました。
皆、それぞれパワフルで、楽しかったし刺激になりました。
ありがとうございました。

田巻とは、実に3年ぶりの再会でしたが、
変わらぬまっすぐなパワーに、さらに磨きがかかった感じかな。
福田は、なんだかクラブ時代とはひと味違う
面白みがあって、貝塚さんもたいへん楽しんでいました。

貝塚さんは、学会の宿まで迎えに来て下さった上、
数日後に夏合宿の始まる佐渡を見渡す「弥彦山」山頂の
素晴らしい景色を見せて下さったり、
市内の宿に泊めて下さったり、たいへんお世話になりました。
毎日、野球部の顧問以外に、4時間トレとのこと。
見るからに力がみなぎっていました。

↓写真です。後日ニュースのページにも掲載しましょう。

(左から、福田くん、高橋、貝塚さん、田巻くん)


No. 0439 菅原(1) 1999/07/29 14:49  [TOP]
久方振りの書き込みです。私用ノートは時々覗いています。
「対馬IV」を載せました。長い文章お付き合い頂き、恐縮です。
お礼にと言っては何ですが、高橋君も書き込んでいる綿貫君の自費出版書「工人聞き書き」手元にwcc会員用に預かっています。部数に限りがありますが、ご希望の方は私用ノート又はsugawara@jihoken.co.jp迄mailください。お送りします。陶芸、木工、金工、染めなど人間国宝を初め、我国を代表する工人50人以上に長年、彼自身が面談し、纏めたものです。


No. 0438 綿貫(3) 1999/07/29 14:17  [TOP]
対馬 IV
筋肉・関節が張ってピリピリする両手両足を、右手―左手―右足―左足の順に一本ずつ立て、汗みずくの寝床を抜け出す。競輪のA級白線入りの短パンに、デローザの赤いハートのマークを小さく抜いた濃紺のTシャツ。生乾きで気持ちが悪い。朝飯中の同宿人の一群を右手座敷に、頼んでおいた弁当を受取り玄関に立つ。ボトルに半分の飲み水。女将(おかみ)に見送られ、打ち跨った勢いで外に出る。7時40分。朝網の漁舟が出払ったあとの尾崎の小港が突き当たりで、その向こうの海には表情の無い曇天の下、遠く近く、厚い緑を被った半島、三崎が入り組み、水路の広がった正面に霞むのが上県(かみあがた)の陸だろうか。海は対馬の中海―浅茅(あそう)湾である。
この浅茅湾は溺谷(おぼれだに)と海食崖(かいしょくがい)の錯綜(さくそう)とした、地図で見ても複雑な汀(てい)線を延々と持つ、いわゆるリアス海岸で、三陸などと並んで国内有数だそうである。対馬はもともと上島―下島が陸続きだったものを、明治33年に、竹敷(たかしき)を根拠地とした海軍が軍船の出入りのため湾の東の最奥部を開削して二島とした。名高い日本海海戦はその5年後、日露戦争中の明治38年5月で、対馬海峡の沖ノ島付近が舞台である。
尾崎出口の切通しを越え、凪(な)いだ湾を左に昨夕の半分の距離感で街道へ戻る。途中、美津島(みつしま)へ行く路線バスが一台、追い越して行ったきりで車には会わない。街道の信号を左へ。その左側に、真新しい建物の小中学校があり、立派な体育館が見える。元気に登校のランドセルへ、これも元気一杯の母さん連が5、6人、立派な体格で緑の旗を振り、大きな声で子供たちに呼びかけ、豪快に笑い合っている。その意気たるや端倪(たんげい)すべからざるものである。信号待ちでちょっと止まっている間にも、弾かれ呑まれ圧倒される気分になる。これは口答えはおろか、物を問うのもはばかられる。失礼ながらさぞや宿の亭主連はーと、余計なことを考える。その陽気、ダイナミズム、仮借なさ。所詮、女に勝てる理屈など無い。ここはすべからく三舎(さんしゃ)を避くべし。そう観念して、本日最初の坂を登り出す。海食崖の後背の山半分の道であろうから、手厳しい登り下りが、それも小刻み、波状攻撃で見舞ってくるだろう。こういう時浮いた気分で始めると、直(じ)きに冷めて、あとが長く詰まらない。左様、浮世は辛く果敢(はか)ないのだと諦念し、心して踏み出せば砂を噛む長途にも容易に不平は出ない。そのうち腹が減って風が変り、良い目も見える。
9時5分。「左、竹敷」の大きな丸太組みの道標に会う。ここはもう美津島町の入口だが、竹敷には用事がある。杉桧の小山を下りて水端へ出、あと1時間弱のシーサイドコースを行く。このあたり行く手へかけて入江も仲々に広く、明治の艦隊なら基地にもなったかも知れない。相変わらず曇り空だが、幾らか明るくなって来たようでもある。竹敷は入口の切通しの右側の出崎の上に小さな神社があり、その段々下に一基、自然石の歌碑が立っている。

「竹敷のうへかた山はくれなひのやしほ(八入)の色になりにけるかも」

ここも万葉の故地である。奈良・聖武帝の天平八年(736)、朝鮮へ使いした遣新羅使(けんしらぎし)の船が、国内最後に「舟泊り(寄港)」したのがこの地とされる。明治の艦隊が来たのは百年前だが、こちらは千二百六十何年の大昔である。総勢200人の使節団は出発から都で何ヶ月も待たされ、出れば瀬戸内海の台風で早くも遭難、壱岐で人死にを出し、帰路には大使・阿部継麿(あべのつぎまろ)まで対馬で病死する。石碑の歌(万葉集巻十五・三七○三)も、この辺の山は良く紅葉している、という何の変哲も無いものだが、裏には、最初の話ではもう今頃は都へ帰っている筈なのにと、嘆き恨む気持ちがあるようだ。実際当時の船では、その大きさも形も具体的な資料がないので分からないが、大陸への海を越える旅がどんなに心細く、命がけだったかは察しられるところで、その上行先の新羅(しらぎ)との関係は決してうまく行っておらず、せっかく持参した「国書」の受取りも拒否された上、彼地ではやっていた「鬼病」-天然痘と言われているーを因果にも持ち帰り、大使は客死、奈良にもこれが蔓延(まんえん)して、時の権力の頂点にいた藤原四兄弟(鎌足の孫-武智麿(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)も相次いで急死している。因(ちな)みに聖武帝の皇后・光明子(こうみょうし)はこの四兄弟の妹で、この事件が天平勝宝四年(752)の東大寺大仏の開眼(かいげん)につながって行く。いわば中央政界を大きく動かすことになる旅の途上に、この一行は居たわけである。
今の竹敷(たかしき)は、崖下に片流れの軒並みがいくばくかあり、看板が目に付くのは小さな郵便局と、一軒の民宿ぐらい。表の漁舟の堤防へ出て、沖風に吹かれながら誂(あつら)えの弁当を立ち食いする。玉子焼に鮭の切身に昆布の佃煮に漬物の幕の内スタイルだが、手作りで実に美味である。東京で飽食していてはこういう舌つづみは打てないと、ボトルの水であっさり空となる。波間に繋(つな)いだ20隻ほどの発動機船が揺れるのを打ち眺め、誰ぞ向う岸へ渡す船頭(かこ)が現れぬかと暫し待つが、生憎さっぱり人は出ない。腹を撫(な)でて戻る。
美津島町へ入り、上県(かみあがた)への連絡船が出るという「樽ヶ浜」を探すが、町中は立て込んでいる上に道が狭く、車の通りの多い割には道標もなく、グルグル迷う。細い路地のようなのを抜けてやっと出て行くと、港には外国籍らしい貨物船も横付けして突き当たりにはドックもあり、大小の船に人数も往来して仲々のものである。ドック近く、足場組みの上で舷側の塗装をやっていた中年の親父に大声で聞くと、
「渡海(とかい)船は港の奥の、消防の事務所の前から」
だという。行ってみるとそれらしいのが浮桟橋に繋(つな)いである。船には人が居ないが、まず後ろデッキに自家用車を積込み、船室の時刻表を見る。11時半の出とある。30分ある。前の待合所へトイレを借りに行く。戻ると泡を食った年寄り夫婦がタクシーで駆けつけて来たところである。11時と思っていた、やれやれと息をつく。聞けば彼岸の墓参りに飛行機で来た。
「なんせ、この船は日に2便しかないから、あんた」
渡海船は19トンの30人乗り。二畳半の座敷と3人掛け8列のベンチ。料金は上県・豊玉町の仁位港まで940円、自転車は400円である。成程日に2便しかなく、次は15時50分。こちらも運が良かった。そのうち乗合いが5人、年配の船長も来て出港前の世間話である。彼岸らしく、どこそこの次男坊は「あの世」へ行った。まだ「お迎え」の年でもないに、という話題に行く。さっきタクシーで来た70格好の奥さんは先年脳梗塞で倒れ、博多の病院で生き死にの手術をしたが、幸いすっかり元気になって、この春、はるばる佐渡ヶ島へ出かけ、タライの舟に乗ってきたと話す。ぼつぼつ時間で動き出す。6分でさっきの竹敷の沖へかかる。リアスの崖のずっと上、遠くひときわ高い岩山が迫り上がって見える。あれが白(しろ)岳か。石英斑岩という稜線の右―西側にピークがある。この島で500mを超える山である。千二百年前の旅の一行もあの山は見ただろう。入り組んだ水路にはブイで浮かした仕掛け網が岸近く点々とあり、その岸はいずれも水面までびっしり緑である。15分で左手に外海を見、それから豊玉町へ細く切れ込んだ小湾へ入る。とある淋しい入江の桟橋で、相客の5人がそっくり、それじゃあご機嫌よろしうと降りてしまうと、客室に一人になる。樽ヶ浜―仁位間45分、あとはノンストップである。
豊玉町は素通りして、今度は上県(かみあがた)の東海岸へ一坂越す。下りたところが「曽」、次が「櫛」、それから「佐賀」。いずれも入江の小港で、その間には必ずチェーンをギリギリ言わせる急坂があるが、空はすっかり晴れて暑くなる。佐賀の港の隅の荷置き場のかげで、4、5人の「皆の衆」を相手に処世訓をやっている爺さんがいる。いや、その為に集まったのではない所へ、説教爺さんがやって来て講釈を始めたので、皆迷惑しているという図である。白シャツに腹巻き、カーキ色の半ズボンに手拭いの鉢巻きが見える。「そこだ。人間は・・・」などと聞こえるのを尻目に、何食わぬ顔で通り過ぎる。今日ももう昼下がり、今宵の宿りの気掛かりになり始める刻限であるし、それにこの稿も大分長くなって来たが、旅程はまだ半分。残りは急ぎ足でやらないと、お付き合い頂いている諸兄には退屈ではないかとの心配もある。眩しい海を右に、国定公園の断崖絶壁を攀じ登り駆け下りる。佐賀から地蔵峠越えで「志多賀」、この先は海岸線が不通で、熟(う)れた稲の里景色の中、林道幅の山中道を奥へ入る。この峠一つでも小一時間かかる。杉桧の木もれ日の下をロー&ローで上がって、峠近く「梶木山の名水」という湧清水を備えの柄杓で馳走になる。実に、甘露である。
この峠、「茶屋隈峠」・274m。本日一番の標高からブレーキを泣かして下り、着いたのが「小鹿(おしか)」・14時35分。それから「重」「琴」。ゆくりなく通り過ぎる小村の軒端の影が少しずつ伸びて、海も山も振(ふ)り放(さ)け見れば早や夕景の色を帯びる。「琴」から再び山へ入り、「横坂」「舟志」「念仏坂」と越えて西海岸・上県(かみあがた)町へ抜けることにする。町なら「公(おおや)け」に泊まるところがあるだろう、という腹である。この道には珍しく里程の道標があり、琴―舟志が9.6Km、さらに上県まで6Kmである。もう街道には夕日も射さないが、背の高い尾花の原の中、山へ向かって真っすぐな道を上がって行く。地元の高校の体育の課業だろう。2―300mの間隔で路傍に一人ずつ、トレーナーの男子、女子が見張りよろしく立ち、そのうち向こうから、三々五々という人数で、マラソンの生徒諸君がやって来る。見張りの生徒達からは、通り過ぎるたび「今日は」の声が掛かるが、走っている連中はそんな余裕はない。大分奥へ入り、先頭からは決定的に遅れたと思われる殿(しんが)りの男子が一人、これが役目と呑(のん)気な顔で駆け通って行くと、あとは何も来ない。どこの田舎(いなか)にでもあるような尾花の原にサワサワと夕べの風が立ち、暮れる山際の空には金星か木星か、明るいのが光り出す。


No. 0437 堀内俊彦(26) 1999/07/27 20:51  [TOP]
皆さんお久しぶりです。堀内です。ホームページも閲覧できるようになったのでカンボディアからはじめて書き込んでいます。
すでに高橋くんが書き込みをしてくれていますが、e-mailが使えるようになりました。
horiuchi.eojc@bigpond.com.kh
です。
それでは時々、プノンペンから書き込みをさせていただきます。


No. 0436 野口和紀(15) 1999/07/26 15:04  [TOP]
新名、中山両先輩へ。8/7の件ですが、福岡から本原信道君(15)、神塚仁史君(16)が参加するとのことです。


No. 0435 中山 進(13) 1999/07/26 12:52  [TOP]
新名先輩、野口君へ

新名先輩お忙しい中、私の都合に合わせていただきありがとうございます。
8/718:00了解しました。
野口君、「可能な限り両先輩にふさわしい豪華な?店」を宜しくお願いします。

この機会に、在九州OBへの声掛け賛成です。沢山メンバーが集まるのを期待しています。


No. 0434 重松 宏(27) 1999/07/26 11:03  [TOP]
飲み会のお知らせ。
27代の「ウッシー」こと臼井君がKLから一時帰国します。
つきましては、8月3日に都内のどこかで飲み会やります。同期以外の方々も、ぜひご参加下さい。
臼井の帰国をダシに集まって酒でも飲みましょう。
詳細は近日中に、この私用ノートに掲示します。
よろしくどうぞ。


No. 0433 野口和紀(15) 1999/07/25 23:36  [TOP]
新名先輩へ。8/7の件は了解しました。熊本駅周辺は寂れていますが、可能な限り両先輩にふさわしい豪華な?店を探しておきます。また、九州在住組にも連絡を取ってみます。


No. 0432 高橋(29) 1999/07/25 08:54  [TOP]
昨日、二年ぶりに中野の原サイクルに行きました。
私は現在、原サイクルで作った最後のWCC部員だと思いますが、
ご主人とも、しっかりWCCの話になりました。

今回は、最近送ってもらったばかりという綿貫さんの新刊
「工人聞き書」を見せていただきました。
渾身の一冊という感じですね。
ご主人も、「とても素晴らしい本で感動した」とのことでした。

今年に入って眠っていたランドナーですが、
8月はじめにはリストアされるので、
とりあえず、この夏はちょっと走ることになりそうです。

ところで今週、新潟にて当地在住の方々に会う予定です。
貝塚さん、お世話になります。


No. 0431 名和博(DCC12?) 1999/07/24 23:04  [TOP]
新名君、元気?
鹿児島では走ってますか?

私は卒業の翌年にDCC同期の原口に会いに九州へ行ったきりです。
勿論阿蘇と国東を走りました。
彼は大牟田にいてると思いますが・・・

そりゃそうとJCAの全国ラリーは今の時期に鹿児島でやっているのでは
ないですか?今日ニューサイを買いに行きつけの自転車屋さんに行ったら
「店主サイクリング行事のため休みます」になってました。
孫がいるような祖父さまになっているのに鹿児島まで出かける
根性には脱帽しました。


No. 0430 (12)新名 順二 1999/07/24 19:24  [TOP]
中山君。野口君へ、
*8月7日 の件
翌日の仕事の都合で 21:30頃のJR特急に乗りたいので
18:00頃からJR熊本駅近くでスタートしましょう。
この機会に 他の在九州のWCCのOBにも声掛けしてはいかがでしょうか?


No. 0429 OBです。 1999/07/22 23:59  [TOP]
高橋さん、正解です。A田です。夏合宿には参加できそうです。仕事の都合にもよりますが、下記の日程で参加できそうです。明日、電車の指定席を押さえに行きます。


No. 0428 高橋竜(29th) 1999/07/21 08:49  [TOP]
カンボジア在住の堀内さんが、メール開通したそうです。
「まだ、ホームページの閲覧の仕方はわからない」とのことで、
ご本人の希望もありましたので、以下アドレス掲載します。

horiuchi.eojc@bigpond.com.kh


ところで下の「OBです。」さんはA田くんかな?
大阪で連絡とりたかったなー。


No. 0427 重松 宏(27) 1999/07/20 09:33  [TOP]
昨日、太郎と高ボッチ山、鉢伏山を通る峠道を走ってきた。
実にほぼ4年ぶりの自転車と日本の急な峠道。
く、く、く、苦しい。
帰りしなの崖温泉での和みが疲れを癒してくれたが、今日は全身筋肉痛だ。
太郎ちゃん、大丈夫かい?


No. 0426 OBです。 1999/07/19 23:08  [TOP]
夏です。そろそろ夏合宿が近づいてきました。今年は夏合宿に参加したいと考えています。
私自身が考えている夏合宿の参加スケジュールを申しますと、出来れば8月5,6,7、9日の4日間の休みを取りまして夏合宿に参加いたしたいと思います。特に8日のフリーランには参加いたしたいと考えています。
具体的には4日の晩に夜行に乗りまして、5日の朝には直江津で合流です。9日は大阪への帰る日に当てたいと考えています。さて、ここで質問私は誰でしょう。分かった方はメール下さい。


No. 0425 野口和紀(15) 1999/07/19 00:07  [TOP]
中山先輩、先日は電話ありがとうございました。すぐに新名先輩に電話したところ、当日、鹿児島から熊本に出てくるとの返事をいただきました。8/7を楽しみにしております。



No. 0424 橋本 学(32) 1999/07/18 21:49  [TOP]
こんにちは。 32代の橋本と申します。↓下の金子と同期です。たいへん久しぶりの書き込みになります。こちら台湾はすっかり暑くなりましたが、私は実にあいかわらずです。
さて、ここ2,3日私用ノートを見なかったのですが、何気なく金子氏からのメールに返事を出したらなんと”君にプレゼントが当たる”旨私用ノートに書いてある、と返事が来ました。そこで、あとで”そんなこと言った/の/言ってない”のという問答が発生しないように、ここにログを残してのちのちの証文にしようと考えた次第です。 こんなときにしか書きこまないのかいと怒られそうですが、すいません。 しかしながら私、これでも2日に1回はノートを見に来ております。私の様に書き込みはしないけど、チェックはしている方々はヒジョーに多いはず。私の場合、ノートをチェックするたびにいろいろな方々が熱くいろんなことを語り、あるいは困難を切り開こうとする決意を表明されていたりするのを見るにつけ、それがたとえ会ったこともない上の代の方のものであっても、やっぱりWCCはすごいなあ、とか俺ももっと真剣に取り組もうなどと触発されることが多々あります。
で、さっき思い付いたのですが、もしこの紙上でさらに大々的に豪華景品プレゼントコーナー/書き込んだ方の中から。とかいうのを催したら、きっとぞくぞくと私のような”隠れ私用ノートファン”が姿を現したりしておもしろそう。
では失礼しました!


No. 0423 29期 村上 卓志 1999/07/17 22:59  [TOP]
皆さんこんばんわ。29期の村上です。
金子君、メールアドレス開設おめでとう。とかなんとか言っている池袋の我家にも、遂に皆さんと同じようにコンピューターが入りました。
キーボードをまともに叩くのは実に事務職を辞めて以来3年振り。右手中指、左手中指の二本指打法で,北斗の拳よろしく「あーたたたたたたた。」と気合を込めて連打しています。この打法では、非常に神経が高ぶりとても疲れるので、きっと皆さんがそうしているでありましょう、ブラインドタッチを早期にマスターしたいと思っています。では、また。
以上


No. 0422 32 1999/07/17 11:29  [TOP]
皆さんこんにちは。32代の金子です。私本日Infowebに加入し、ついにメールアドレスを取得しました。が、当然のことながら誰も私のアドレスを知らないため、メールがまだ1通を来ません。寂しい。そこでスペシャル企画を考えました。私に最初にメールをくれた方には今度会った時にスペシャルなプレゼントを差し上げます。(中身は秘密。ヒント:私は現在北海道に住んでいます)アドレスは防犯のため載せられませんので、とりあえずお電話ください。皆様方のご応募を心よりお持ちしております。では。


No. 0421 17期 松村 1999/07/16 00:39  [TOP]
最前の名和さんのお話は実感を伴ったものだと思いました。

自転車のツーリングということ自体,やろうとする人の数が減ってきたために,機材も昔のように「これは一応ツーリング向き」という物の中から選ぶ自由がなくなってきている - というのが現実かと思います。

実際は手に入る物を使うしかないわけで,「ツーリング車はこうでなければ」などと言っていた日には補修すら出来ないということになってしまいます。しかし実際は,昔に比べて格段に性能の良いものが手に入るようになっているということでしょう。その通りだと思いました。



ところで,ワセダの新入生のみならず,一般にロードやMTBが増えて,自転車でツーリングをやる人が減ってきたのはなぜでしょうか。ロードとMTBは血筋から言えば競技用自転車です。スポーツというのはある場所へ行って,やって,帰ってくるものだという考えが普通になったのでしょうか。あるいは勝敗を競うことが話の中心になってきたのでしょうか。(自転車競技を嫌っているわけではありません)

自転車のツーリングはいろんなものを含んでいると思いますが,やはり,生身の体ひとつで自然の中に入っていく,あるいは何日間という継続した時間の中で,距離や高度を自力で克服するという点が大きいと思います。道具や方法がどんなに変わってもこれは変わらないと思います。このことが,単なる移動としか思えないとなると「何のためにやるんだ?」となってしまうでしょう。

この一見「単なる○○」に面白みを感じるかどうかが分かれ目ではないかとも思うのです。一言では説明しにくいのですが,私はこれが「原始時代に戻る」ということに結び付いているように思えます。自分の足で風を切って走ること -まあこれは競技でも味わえますが-,遠くへ行くこと・高いところへ登ること・いろんな障害を解決して旅をしていくこと -これらの行動は,ヒトが地上でより広く拡散するために,元来本能的に快感を得られるようになっている行動なのではないかと思います。現代のヒトはそれを忘れてしまった。

WCC(サイクルツーリング)とは何か:ワタシの中の原始人の快感!?

No. 0420 17期 松村 1999/07/16 00:22  [TOP]
●私用ノート分割のお知らせ
5月・6月ぶんを分割しました。

No. 0419 28代 小池伸介 1999/07/15 12:28  [TOP]
重松さん。メール送ってみましたが私の方も帰ってきました。なんででしょう。新しいメールアドレスを入れておきますが、試して見てください。連絡先は052-651-8622(勤務先)052-777-0908(自宅)090-1830-0312携帯です。前回入れたら縦書きになってしまったのはどうしてでしょう。これもそうなるのかな。


No. 0418 29代 1999/07/14 20:35  [TOP]
F士山(日本の最高峰)ダウンヒル(チャリ)を計画しているのですが、

1、管理者側の対応

2、走行できるとしてどの登・下山ルートが最適(安全)なのか

3、時期はいつ頃がよいのか

どなたか最新の情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて
くださいまし。あるショップの店員さんに聞いたところによると、
1、に関しては結構辛いようですよ、とのことだったんですが...。







No. 0417 名和 博(DCC9?期) 1999/07/14 19:47  [TOP]
OB会費のページを見させてもらっていたら私は宮内編集長より
1年下であることが判明しました。
同年でいうと新名氏の印象が強烈でしたね。

人間の記憶が如何にいいかげんかの典型でお恥ずかしいかぎりです(--;)



No. 0416 重松 宏 (27) 1999/07/14 13:29  [TOP]
おお、小池~、名古屋におるんか?
知らなかった。
メール送ったのだが、帰ってきたぞ。
新しいアドレス教えてくんなまし。
秋田のマンドリン・ギャルは果たして生きているのだろうか。一体、何が悲しくて私達は、あんなことしてたんでしょうか?


No. 0415 WCC WEBチーム 1999/07/14 12:46  [TOP]
皆さまこんにちは。
いつもホームページをご覧下さり、ありがとうございます。

さて、今回、OB会会計の担当である23期三橋さんより、
会計関連の資料を受け取りました。
三橋さん、お疲れさまです。

WEBチームでは、会計局の活動を応援し、
会費納入者一覧、そしてお知らせを、掲載させていただくことにしました。

どうぞ、よろしくお願いします。
ご意見等ありましたら、ぜひお寄せ下さい。


No. 0414 中山 進 13期 1999/07/13 18:32  [TOP]
会社が7月1日から東西に分かれて、そのばたばたの中で中々ページを開く機会がなかったのですが、
久々の書き込みです。

野口君、先日は電話有り難うございました。
夏休みに熊本に行き、鹿児島の新名先輩のご参加を願って飲もうとうい企画を実行に移したいと思うので
すが如何でしょうか。
小生、8月7日から休みを取って熊本に行きます。新名大先輩ご都合は如何でしょうか。
当日(8/7)に熊本市内に宿を取りますので、思いきり飲み明かしたいと思います。


No. 0413 川村 20期 1999/07/13 14:10  [TOP]
会費納入名簿見ました。20期に茅野くんがいました。
永らく音信不通でしたがとてもうれしいです。

何かコメントはあったでしょうか。

ところで明日はウスケボ行けません今日から1週間ほど出かけてしまい
ます。茅野くんの件もなにかわかれば伝言があればうれしいです。


No. 0412 高橋竜太郎(29) 1999/07/13 02:51  [TOP]
皆さんこんにちは。ちょっと久しぶりの書き込みです。

先日、26代の堀内さんが、カンボジアへ赴任されました。
氏のOBランへの功績については、今さら言うまでもありませんが、
私にとっても、ホームページを初めて作成した頃から、
的確なアドヴァイスをたくさん頂いただけでなく、
精神的にも大きな支えでした。

私こと、その堀内さんや、小野さんとともにOBランの企画等に関わり、
走りへのお誘いを、少しばかりお手伝いしてきました。
そんな中で感じたことですが、
実際に走っていない方々の中にも、それぞれのWCCが
どこかに確実に息づいています。
だから、現在走っていないからと言って、
青春のひとこまとして籍を置いただけ、とは言えないわけですよね。
「走り」だけでなく、「たくさんの、いろんな、いろんな人の存在」が
WCCの命であったのですから。

思えば、私たち以前から、私たちの頃、そして現在まで残っている
合宿・役職・年間行事などの形式、あるいは日常の雰囲気など、
クラブのいろんなあり方って、
その「たくさんの、いろんな、いろんな人」の存在を前提として
出来上がったような気がします。

そして・・・
現役の皆さんが、もし、いろいろなあり方を「残す」ことを考えるのなら、
私はやはり、「たくさんの、いろんな、いろんな人」の存在が
不可欠な気がします。
そのためには、「時代に応じた柔軟な対応」が
求められるのではないでしょうか。
反対に、「自分を貫き通そう」と思うのでしたら、
これまた柔軟に、いろんなあり方を変えていくことが
求められるのではないかと思います。


ホームページもまた、
バリバリ走ってる人、走りを「卒業」した人。
立派な子供もいる人、結婚できないでいる人。
フクちゃんやうすけぼーにすぐ出て来られる人、遠い国にいる人。
・・・などなど、「いろんな、いろんな人」で賑わっていたいですね。

堀内さんがカンボジアから登場される日も、ごく近いはずです。
楽しみです。


No. 0411 小池伸介(28) 1999/07/12 20:35  [TOP]
久しぶりに書き込みします。重松さん、無事ご帰朝おめでとうございます。さて、先日上司につきあってへなちょこになるまで酔っ払って帰宅した折の事。OB通信が届いており、夏合宿のスケジュールをみたところ、なんと今年の解散地が小生のいる名古屋になっているではないか。ちなみに私の勤め先は名古屋駅前の(ほんとに真ん前)ビル10階。駅前で解散の儀式をやると丸見えどころか、校歌及びイノコの掛け声までしっかり聞こえる事間違いなし。それを考えたらなんだかケツがこそばゆくなるような、懐かしいような変な気分になります。おそらく過去の自分を見るような気恥ずかしさからでしょうか。諸先輩方に比べればまだまだ駆け出しですが、卒業してもう8度目の夏。ここらでクラブの元気な姿を見て(勤務の都合によりますが、うまく出会えたら)自分に気合を入れたいと思います。あとついでですが、同じOB通信で自分が会費未納であることも発覚しました。すみません。すぐ振り込みに行きまっす。(重松さん、今考えたら秋田は本庄の海岸のあの事件からもう10年になりますねえ。)


No. 0410 名和 博(DCC9期) 1999/07/11 12:18  [TOP]
私が書いた発言に色々反応していただいてありがとうございます。
先回は私自身いくつか混同して書き込んだ部分がありますので説明します。

【自転車を取り巻く状況】
1.MTBとロードレーサーに2極分化
2.(草)レースに出るのが文化になり、ツーリング人口は減少
3.SIS対応部品が主流で時流に乗り遅れたメーカーが次々消滅
4.一部マニアが80年代前半以前の部品を買い漁ったため、当時の普及品ですら高根の花になった
5.いわゆるランドナー向きのパーツでリーズナブルなものが皆無になった

こういう状況でツーリングを主な活動としていくのであれば松村さんが言われるように
道具としての自転車にも耐久性・機能性を満たしつつできるだけリーズナブルな
ものが求められます。
そういう意味も含めてランドナーなのか?という疑問があります。

それから「ストイック」の意味ですが
満足な装備も与えずに精神論を振りかざすような体制は良くないという考え方をお話したまでで
ツーリングに限らずクラブの進歩も物心両面のケアがあってこそ体力・技術・精神面のアップが
期待されると思います。

卒業して足を洗う人がとても多いです。何故でしょう?
勤めが厳しい。妻子のお守りが大変。当然それもあるでしょう。
それから青春のひとこまとして籍を置いただけの人が多いから?
(叱責されるのを覚悟で言うとOBが弱いDCCに多いです)
また現役時の活動が厳しすぎたっていうのもないですかねえ?

自転車ツーリング自体今の世の中では超マイナー。
道路の殆どが舗装され、旅情は喪失するばかり。
そんな中、重松さん曰く酔狂にも入部してくる若者は大切にしなくちゃいけませんね。
走りもしないで部品談義を繰り返しているお宝鑑定団のような老人は放っといて。

最後に松村さん、クレーンとタイトリストの話は面白かったです。
同じ部品談義でもこれこれに使うためにという目的を持った話は大歓迎です。
性能・機能に唱ってあってもいざ使ってみると何かと不具合があるものです。
単純な数値表に出ない諸々のことこそ生きた情報であり本当の評価なのです。
大方の日本人って外見と名前しか話しをしませんからねえ(--;)

ナワ~ルド / Nagara Gifu-City
CYI00617@niftyserve.or.jp
http://www3.justnet.ne.jp/~hnawa/


No. 0409 重松 宏 (27) 1999/07/09 12:23  [TOP]
部員の減少の件に関して、一言...。
日本の景気が悪くて(就職が難儀で)、「1年の3分の1も戸外で走り回るような倶楽部はやってられない」というのが本当のところではないでしょうか?
「就職に有利に働くのならいいけど」って感じではないでしょうか?自転車のせいではないですよ。
世相が若者の価値観を変えたんです。
それにもメゲずに酔狂な考えを持ってWCCに入ってくれる若者は、大事にしなければ。
なんか、ジジくさいな。


No. 0408 17期 松村 1999/07/09 00:25  [TOP]
新入部員の数が減っているという事と,このノートでの名和さんのお話,それに先立つ宮内さんのお話からインスピレーションを頂いて,私ばかり随分いろいろ書きました。現役の時に「WCCの走り方とそのための自転車」という点でかなりに意識していましたから,思い入れもあるのです。この前のOBランでもいろいろなお話が出ていたでしょうから,重なる点もあると思います。

(もう良いんでナイカイ?とお思いの向きもありませう。違った話題の書き込みも,ドウゾお気兼ねなく・・・)

- 旧式にほとんど手を付けず今も同じことを続けている。一面として,ランドナーや旧型部品を愛着しつづけ,現在の機材 - 高性能・高機能で特殊性なく,安定した機材がもたらす「機動性」を活かすことに目がいっていない。

- これを頑なに守り続ける姿勢が,WCCのサイクリングを閉鎖的・硬直的にさせてきた。それが時代の変化から取り残されていく原因となり,新入生にも魅力のないものに映り,その結果新入部員の減少をもたらしている。



以前はツーリングと言えば(まあ)ランドナーしか無かったわけですが,それ以外の車種と比較し趣味的な象徴としてランドナーを見ることは,私が現役の時にもありました。このような事情が今もあるのかどうかは,現役諸君と良く話をしていない私には判りません。

しかし,私がメカ局で自転車をいじっていた頃の事をお話して,WCCで自転車や部品をどう扱っていたのか見ていただきたいのです。とは言え数年の限られた範囲で私自身がやっていたことです。その後変わった部分もあり,変わらない部分もあると思います。またメカ局っぽい機械寄りの話になる点をお許し下さい。



私がWCCに入る少し前,シマノが「クレーン」という変速機を作りました。レースでは依然イタリアのカンパニョロが圧倒的だった時代です。手の出せる価格で,形が小さい割にギヤ比を広く取れ,悪条件でも一発でチェンジできるのが有り難く,愛用していました。

しかし,我々のような立場からは良くないところもありました。クラブでは輪行が当たり前でしたが,後部へ伸びたワイヤが,どうしても袋と折り合わず,トラブルを起こしたのです。

クレーンのエンジニアは輪行でなくチェンジ性能のことを考えていたのです。この一発チェンジを輪行のために捨てることは出来ませんでしたし,複数の袋を試すほどお金を持っていませんでしたから,仕方ありませんでした。ブレーキ台座に掛けるフックを自作して,袋の中でチェンを一杯に引き,クレーンの首を曲げて逃げました。

シマノから同時に出た「タイトリスト」のフロント変速機には満足していました。面倒な話になりますが,それまでに手に入る価格の品は,スプリングの戻る力でアウターの大ギヤにチェンを移す形式でした。これに比べて「タイトリスト」は力づくで引いてアウターに乗せるので,(泥雪のような)悪条件でも良く戻ってくれたのです。



寸法や種類が問題になる物では,日本製のハンドルバーステムは優れており,チェンホイールはフランス製品が良かったと思います。ホイールやツーリング用のブレーキ,サドルや泥除けなどでは,外国製品がまさっているという状況は大いにありました。

雨で前ギヤに泥や砂が付着して起こるトラブルでは,泥除けの長さを確保しようと思うと,外国製の後輪用を2本売ってくれる店が必要,といった具合です。大きなメーカが作る機能部品から離れて周辺の地味なものになると,日本製で満足の行かない部分は確かに随分ありました。今もそうでしょうか。

クラブモデルの予算が限られているために中級品を使わざるを得ず,サドルを止めるシートピンがバカになるとか,事故でないのにハブ軸が折れるという先輩のケースまで,走りに出て使ってみて実状が判ることも多かったのです。我々のように頻繁に,あるときは長期に渡り一定の酷使に耐えてもらいたいと思うと,まだ当時でも,使える物は絞られるという状況がありました。



自転車は機能部品に目を遣りがちですが,クラブのサイクリングでは移動生活の道具といった趣が濃く,「何日も自転車で生活する」というところまで行くと,使う側が工夫してカバーする部分が多くなり,無視できないと思っていました。

例えば,テントやバッグは宿泊地や駅で頻繁に着け外しします。私は,キャリアの固定リングとバッグのベルトの関係を考え,何かもっといい方法は無いものか,そんなことを考えていました。また,パンクの後で少しでも早く班に復帰するには,インフレータの気密性が重要なので,本体・接続チューブ・バルブの結合部分をヤスリで仕上げ研ぎするべきだとか,インフレータの中軸に替えスポークを入れるためには,接続チューブは長すぎると駄目だとか,そんなことばかり考えていました。(15期吉川さんから頂いた「小細工の松村」という称号はワタクシの誇りです?!)



こういうことは自分が面白いからやっているので,立派に「趣味」とも言えます。そして,クラブでここまで突き詰めたり,みんなに広めようとすると障害を感じることがありました。「走りは精神重視であるべきで,道具の細かな事は二の次だ」という雰囲気があったのです。それは我々の非常にユニークで魅力的で,注目すべき面でもあると思いますが,当時の私は,それは違うと思っていました。

良く知りませんが,例えばアーチェリーというスポーツでも,道具を使う側の要求と作る側の感じ方とか,新しい部材の性質と保守のしかたとか,いろいろな改良が行われて,それは良いこととして受け入れられていると思います。同じように,我々はWCCのサイクリングをやっているのだから,そのための工夫があるべきだと考えていました。先輩と自転車の話をしていて教わったことがいくつもあります。こういった事の積み重ねも,クラブの重要な一部分だと思っていました。



さて,現在のMTBに目を向けてみましょう。形式の違うサスペンション機構をはじめ,次々と素材やメカニズムが考案され,製品化され,飽きることがありません。タイプとして広まって商業的に利益を生み,さらに新しい製品を産み出しているのが実感できます。きっと最前線でこれを使っている人たちは,いろんなことを考え工夫し,この自転車を産み出しているのでしょう。

- ところで,現在MTBを優れた自転車にしている工夫と,現役時代の私たちが非力ながら,WCCの自転車に意識していた工夫とは,どう違うのでしょうか。

- WCCの自転車で細かなこと意識すると,道具より精神 - という雰囲気を感じました。「ストイック」という言葉が何度か出ていますが,この場合,それは道具にこだわっていた私のことでしょうか。走りを重視していた周囲の雰囲気でしょうか。それとも両方でしょうか。



珍しい古い部品や道具に趣味的に凝るのが,旧態依然としたWCCの「ストイック」な状況を産み出しているかというと,それは逆です。私はむしろ,ランドナーの趣味的な面のような色気・飾り物を付けたほうが,今は一般に受けるのではないかと思います。

中級以上の自転車を使う以上,趣味の面白さを感じる面もあります。しかし,特定の文脈で語られる時のランドナーという言葉が持つ,一種独特の趣味的耽溺(?)は,本当の『ランドナー』に対する誤解です。そういう誤解は一旦WCCに持って来たら最後,ここの男たちの伝統ある逞しさの前に,午後の良い笑いネタにされてしまいます。一旦走りに出たら最後,そういう気持ち良がりをしていた自分が滑稽に思えるほど,せっぱ詰まって,汗まみれで,男らしく力強く,そして魅力あるものでした。そういうところで鍛えられてきたのがWCCの自転車だと思っています。

私が経験した4年間にも機材は変わっていき,手に入るのは「その時手に入るもの」でした。あとは自分で工夫するということです。これは現在も同様だろうと考えています。変わらないのはWCCの走りだと思います。

もし,今の大多数の新入生に受け入れられるようにクラブを変えるなら,機材を変えるだけでは駄目です。新しいWCCの走りを産み出し,新しい走りに合った自転車を選び,工夫していくことが必要だと思います。それならば,どんな自転車であっても良いと思います。



>本人の言うとおり,相当思い込みがあるようです。
>これだけ書けば,さすがに満足でしょ。
>んー?ちょっと違うんでないかい?

スペアタイヤの携行とインチサイズの事とか,もっと具体的で手近なことを言うほうが,現役諸君の役に立つかも知れない気がしてきました。また,今すでにクラブで走ってもいないセンパイが,何だかんだ言うのも如何?という気もしてきました。- もちろん,皆さまの書き込みを拒否するものではありません(現役諸君を含めて)。

気の向くままの文章に長々のお付き合い,ありがとうございました。(松村)


No. 0407 二階堂隆人(34代) 1999/07/07 14:26  [TOP]
リアリティというキーワードが、僕も非常に好きです。
現実という言葉を英訳する際、realityとactualityとに訳すとして、私達がW.C.C.で感じるのは、actualityの方の、現実(リアリティ)だと、僕はフロントバックに投稿したことがありました。

僕は「思い出作り」という言葉に、嫌悪感を感じます。
それは、actualityを生きるということが、すわなち今(旅)を生きるという事だと考えるからです。
今という少し曖昧で大き目の時間的範疇は、旅まるごとを意味するべきだと。
しかし、思い出作りのための旅というのでは、思考が「今」の範疇から逸脱していて、actualityを肌で感じることができないのではないか。
思い出を残すため、という目的に人じゅんずる、今でしかなくなってしまう。

普段の生活では、社会的立場、知らない間に身についた文化、規範、他人の視線などによって、actualな状態でいられないと、僕は考えます。
立場や、規範などから一時的に脱却して、生き生きとした現在、actualityを感じるのが、旅だと、僕は考えるのです。

「リアリティを感じて、何がいいの?
旅なんかしなくっても、私は普段も十分リアルを感じてるよ。
リアル、リアルって、私には何言ってるのかわからないよ!」

旅というのは、ときに、非常に孤独な自分を感じるものでもあると、思います。
一緒にリアルを感じることができる、というところが、W.C.C.のすばらしい点だと、僕は思います。





No. 0406 17期 松村 1999/07/03 21:29  [TOP]
テレビで「歌舞伎鑑賞入門X」を見ていました。
そこで,市川猿之助さんが「時代の移り変わりと伝統」という話をされていて,示唆に富み,ちょうど今のWCCの問題と重なる点もあって興味深く聞きました。

歌舞伎というのは,WCCの36年など比較にならない,綿々とした歴史と伝統があり,現在活躍されている役者さんもある意味で,いろんなプレッシャーや悩みを抱えながら,それぞれに試みをなさっているようなのです。

特に明治以後,スピードを増して変化する時代の感覚をどんなふうに取り入れれば良いのか,それでいて「歌舞伎」という芸術の様式を守りながら,より魅力あるものにしていくにはどうしたら良いのか,そんな感じでお話されていました。



歌舞伎を含めた日本の伝統芸では,
ある種の確立された様式を「型」と呼びます。

先人の努力・改良の積み重ね = 「型」
先人の作り上げたものを全て否定・破壊すること = 「型なし」
優れた伝統を保ちつつ,ユニークな工夫で変革していくこと = 「型破り」

具体的には次の4つを考えます。

・変わるもの
・変わらないもの
・変えてはならないもの
・変えなければならないもの

上の二つは,特に意識せずとも,時の経過とともに自然にそうなる部分だと思います。問題は下の二つで,何らかの創造的な努力を要する部分です。歌舞伎の場合はこうなるとおっしゃっていました。

■ 変えてはならないもの = 女形

私は歌舞伎に無知なのでよく判りませんが,男が女を演ずるというある種の制約とか,それを克服する努力から歌舞伎独特の美が産まれてきた・・・ということでしょうか。いずれにしても,この芸術の本質にかかわることなのでしょう。

■ 変えなければならないもの = 時代の変化に合わせること

伝統的な演目でテーマになっているのは「忠義」とか「心中」とか,現代の人たちには,あまりにも「ピンと来ない」ものが多く,このギャップには抵抗できないようです。それから,今の感覚にマッチする「テンポ」も必要だとおっしゃっていました。

私は主張します。「女形」を固く守り,男だけで行われる歌舞伎に習って,我々も女性を締め出し続けるべきです・・・などという悪い冗談を言おうというのではありません。



このお話を聞いていて,我々WCCに当てはめるとどうなるだろうと思ったのでした。特に,もう一つ猿之助さんがおっしゃっていた「このような判断は,役者が『何を歌舞伎と考えるか』によってそれぞれ微妙に違ってくる」という点が強く印象に残ったのでした。

-「何をWCCと考えるか」

使う機材・車種のことがお話の中心でしたが,グルグル考えているうちにどうも広げてしまったようです。もっとも,いま現にクラブで走っていない私が考えることではないかも知れません。ずるいですかね。


No. 0405 30代 Shibata MICK Kaku 1999/07/03 19:00  [TOP]
どうも、こんにちは。
わたくし、デジキューブという会社に
2年半ほど勤めていましたが、
8月末日をもって退職することになりました。
退職後は大学にいくつもりで
勉強する予定です。挫折するかもしれません。

それはそうと、ランドナーについての
話がもりあがりつつあるようで。
わたくしも自転車には一家言あるつもりなので
書き込もうかと思います。

ランドナーってなにがいいかというと、
わたくし的には、泥除けとまともなキャリアが
ついているという点ではないでしょうか。
MTBにキャリアと泥除けはカッコ悪い。
もちろん、キャリアと泥除けのいらない用途に
MTBを使用するのはおおいに結構なのですが、
日本の気候と旅のスタイルを考えると、
やっぱり泥除けとキャリアは必須じゃないかと
思います。というわけで、簡単ですが、
ランドナー擁護派です。

ただ、自分でももちろんランドナーを使用していますが、
懐古趣味的なパーツは好きじゃありません。
最新のパーツはどんどん取り入れていくのが
安全、快適なランドナーの乗り方だと思います。
(Bタイヤで、TAのクランクとかトゥクリップを使うペダルを
使っているヤツの言うことじゃないという声もちらほら...)
パーツの入手性なら、今はMTBがかなり
有利ですが、ランドナーも普通の構成にしとけば、
旅先でパーツがなくて困ることは
あまりなかったような気がします。
わりと困ったのはやっぱりBタイヤですね。
あれはAタイヤにするのがいいでしょう。




No. 0404 重松 宏(27) 1999/07/02 19:15  [TOP]
お久しぶりです。
重松です。24日に帰朝いたしました。
25日のふくちゃんコンパは楽しかった。松井さんのWIFE TO BE は綺麗な方でした。2次会の渋谷も北山、谷野のノータリン・コンビの暴走で馬鹿馬鹿しくも楽しかったっす。
今度、太郎ちんと走りに行きます。18日の晩に出て、20日に戻る計画。実に3年半ぶりのラン。ゲロ死に必死か?
あ、そうそう。明日はゲロゲーロ草野氏の結婚式です。フルチンいのこ必至。

重松の連絡先です。
生田の実家
044-955-5314(実家)
044-955-0727(インターネット使ってなければ出ます。「オナニーな」で覚えてください。)
090-4417-0751(携帯。「よいな、女子(おなご)いい」で覚えてね。)


No. 0403 17期 松村 1999/07/02 18:38  [TOP]
一つ前の書き込みで,日本の自転車スタイルということを書きました。
お話の出ていた,クラブのツーリングと自転車のことに戻りたいと思います。

世の中の趨勢とか,受け入れられ易さという点でも,またランでの現地調達を考えても,昔ながらのスタイルに固執していると自分の首を締めることになりはしないか - 宮内さんのお話を直接伺っていない私です。的外れな点があったらお許しください。



メカトラに備えて3種類のフリー抜きと300ミリのモンキーレンチを積んで,私も最後尾を走ったものです。そういう合宿の準備とか実際にやらなければならない事を考えると,どんな機材を使うかというのは,大きなことかも知れません。

しかし振り返ってみると,それ以外のことのほうがずっと大きかった気がします。一言では表し難いですが,WCCの仲間の皆さまには解っていただけると思っています。

例えば合宿で,3日ほど山の中を走ってから下りてきて,大きな街の駅前へ出たとします。人心地がついてホッとするものです。しかし反面,周りの街の雰囲気とか歩いている人の様子が,失礼ながら,何かこうウワベだけのもの,地に足ついていないものに思えました。

それに対して自分たちは本質的なことをやっていて,違う物も見えているんだ,という気概を感じていたのです。ひとりよがりかも知れませんが,大げさに言えば「地球で生きてることのリアリティ」です。それは今も,どうにか自分の中にあると思います。WCCを経験するということは,そういうことではないかと思うのです。ストイックでしょうか。

機材に戻ると,ランドナーが「我慢して貧弱な物でストイックにやる」ことなのか「道具を重視し道具に頼る」ことなのか。時代が変わってMTBに乗り変えるのが「厳しく実利的に走りに徹する」ことなのか「新技術とモノに頼る」ことなのか,私には解りません。



「地球で生きてることのリアリティ」を感じるには,ある意味で原始時代へ戻る必要があると思います。残念ながら,そこに気づく新入生諸君が少なくなったということでしょうか。


No. 0402 川村(20期) 1999/07/02 01:44  [TOP]
時々突然激しい議論が始まる私用ノートですから目が話せません。

引用が技術的にうまくできませんが、郡山感が引用しているナワールドさんのご意見は自分の経験からしてそのとおりと思います。

高校生のころからサイスポなどであこがれていたというハマコー(同期ですのでたまたま思い浮かびました)のような方もいるでしょうが、私は予備校へ通うのにつかっていたセミドロップのジュニアスポーツをもってサイクリングが
何たるかをまったく知らずに勧誘デスクを訪問した人間です。

今から思うと赤面ものであるわけですが、(先日のOBランのいでたちは全く進歩がないといわれるとその通りとしか抗弁できないのも事実ですが)このときの山田さん(19期)の対応にはいまもとても感謝しています。つまりは自転車のジャンルなどは実はさほど意味がないと思うわけです。


1万人の新入生がワセダという音、Wという文字になにを感じるのかということです。吉永先輩のことはしりませんが、広末くんにどう接したのかです。それにしても女子を門前払いにする楽さがこうも目立ってしまうとやはり会則には疑問を持ってしまうのは天の邪鬼な性格ですね。

何を言っているのか全くわからなくなってきましたが、先日の大善寺でも聞こえましたが、ランドナ-の意義がメカの持つ予備タイヤ(Bサイズ)にあるのならばもっと気持ちを大きくしてほしいと思っています。

私は2年の合宿でフォークを折りましたが、メカの山田さん(またも!!)はなんとその町で自転車屋に飛び込み、フォークを調達してしまいました。座高の高い私用のヘッドチューブが15センチもあろうかというフォークをです。

いまの世の中でMTB用のタイヤぐらい合宿中でも調達する気概があってもいいと思います。

調達といえばMWLKは食糧の調達をいまも昔のようにやっているのだろうか
ワーゲンといえばハッカー(クラッカー?)に破壊されたHPは復活したのだろうか。

書いている自分も分けがわからなくなってきました。ふくちゃんコンパはもり
あがったようですね。堀内くん智美さん頑張ってきてください。松広がますます太っているのが心配です。

以上まとまらずに申し訳ありません。


No. 0401 17期 松村 1999/07/02 00:54  [TOP]
名和さんのお話と,それに先立つ宮内さんのお話は,クラブのツーリングが相変わらずランドナースタイルを固守しているため,時代の進展や魅力ある道具から取り残され,長期的に衰退の方向を向いている,という点をご指摘なのだと思います。

以下は,その点から少し外れるかも知れません。具体的な,クラブでツーリングをやるための道具ということからは,少し離れます。



MTBが出始めたとき,ツーリングのための自転車として使えるのかどうか,という議論があったと思います。それは今も続いているのかも知れません。もちろん,そこで下地になっているのは「ランドナーかMTBか」という図式です。しかし私は「なぜ『ランドナーかMTBか』なのか」ということを思います。



アメリカには変わったことをする少年がたまにいて,大人になっても一生懸命それを続けていて,やがて方法も道具もちゃんとしたものになっていき,道具の供給がビジネスとして成立し,やがて遊びとして世界を席捲するようなものがたくさんあったと思います。スケートボードはその代表だと思います。

MTBもそういった経緯を持っていると思います。アメリカの青年がMTBで何をして遊んでいたかというと,ダートの斜面を高速で下ることです。しかし,これだけ広がりを持ってくると自転車も機能的な幅を持ち,目的に応じて多様化してきたのだと思います。

一方,ランドナーはフランスのサイクリングの文化を背景に,おそらく今から40年くらい前に,日本のサイクリングの草分けの人たちがそのまま取り入れたものだと思います。これもひとつの確固とした世界を持っていて,日本人もこれを使いこなし,一種独特の世界を作り上げていたと思います。

この二つの自転車に共通するのは,どちらも大人が本気になって作った道具で,突き詰めて目的を達成するための創意工夫が凝らされ,洗練されて迫力があるということだと思います。どちらも何だか魅力的で,引き込まれるようです。どちらも,乗り回しても,眺めても,うっとりしてしまいます。これを作り出した人たちは,賞賛に値します。



「日本のサイクルツーリング」という見方をすることに,意味があるのか不毛なのか判りませんが,この列島が独自の地勢風土を持っている以上,この列島でツーリングをやることを突き詰めていくと,そのための自転車が出来上がってもいいはずだと思います。自転車だけでなく周辺の装備も含め,確固とした目的と性格を持ち,独特で,技術の進展を取り入れてどんどん良くなっていくような,オリジナルの道具です。

MTBを作ったのも,ランドナーを作ったのも同じ人間なのですから,我々に出来ないはずはないと思うのです。しかしこれまで,そのような創造が日本で行われた気がしません。我々日本のサイクリストには,そのようなものを作り出す力がないのでしょうか。今度新しい自転車が出たときには,また「MTBかXXBか」と議論するのでしょうか。


No. 0400 郡山日出人(36) 1999/07/02 00:43  [TOP]
>まあ、自転車に対する考え方で
>クラブを選ぶほど新人がわかっているとは思いません。
>しかしランドナー至上主義が知らず知らずのうちにクラブの体質を
>ストイックなものにし、クラブとしての楽しさをスポイルしてはいないかと
>危惧するものであります。

こんにちわ36期の郡山です。
私も今のWCCは何もランドナーにこだわる必要はなく、
MTBも取り入れてもかまわないのではないかと考えています。
しかし、ランドナーがクラブの楽しさを損なわせているとは思いません。
現主将である堀江君は改選総会で立候補した時は、ランドナーはダートの路面を
直に感じることができる自転車であると述べていました。
4年になって恥ずかしながら、私もそういう考え方もあるんだと共感しました。
(もちろんMTBもそうであると主張される方もおられるでしょう)
そして何よりWCCの走りはストイックそのものであると考えています。
その走りの中にクラブ員は楽しさを見い出しているのではないでしょうか。

確かに近年の新入生の減少ぶりには不安を感じます。
それに柔軟に対応していくか、それとも時代に流されることなく自分を貫き通すかを
クラブが真剣に考えなければならない時がきたのかもしれません。


No. 0399 名和 博(DCC9期) 1999/07/01 21:00  [TOP]
宮部さん、どうも。

>1万人以上いる大学で1学年でサイクリング
>をやるやつが4人しかいないいうことはありえないと思うのですが。

やはり宮内編集長の言ではないけれど猫も杓子もランドナーという
偏狭さが原因しているのではないでしょうか?

私はランドナーを否定しはしませんが
現在の機能性高いパーツを使わず、わざわざ高くて低性能の
クラッシック部品を有り難がる必要はないでしょう。
また、ツーリングといっても若いうちはMTBのような極太タイヤ
でも馬力で走ってしまうものです。

ハッキリ言って、安くて高性能なパーツを使わせないのは罪で
あると思います。私はランドナーにしても現役の頃は
舶来(古いね)部品の値段が高いことやツーリング車にとって
旅先で調達可能な部品であることが大切ではないかと思い、
出来る限り国産パーツを使ってました。

まあ、自転車に対する考え方で
クラブを選ぶほど新人がわかっているとは思いません。
しかしランドナー至上主義が知らず知らずのうちにクラブの体質を
ストイックなものにし、クラブとしての楽しさをスポイルしてはいないかと
危惧するものであります。


No. 0398 17期 松村 1999/07/01 13:42  [TOP]
王子のS店のお話が出ていますね。

私は、早稲田から都電に乗って王子の先、荒川遊園前というところにずっと住んでいます。初め本格的な自転車店といえば高校の近く、上野周辺しか知りませんでしたが、ちょうどWCCに入った頃、地元にS店が存在していることを知りました。

WCCでは当時、クラブモデル発注先のP店や、中野のH店のほうが利用されていました。少なくとも私の知っている範囲で王子のS店を利用していた方はいなかったと思います。最初は数人が、パーツの調達でお世話になっていた感じです。

今のお店に建て替えられる前は、一階前面の空間をフルに使った大きなお店でした。外国部品が廉くて種類も多く、現在のご主人も細かい相談に乗ってくれてありがたいお店です。学校からは少し距離がありますが、まあ都電一本で往復できるので、荷物が増えても大丈夫。

私はS店で3台の自転車を作りましたが、いずれも学校を卒業した後です。このうち1台は別の輸入元から買ったモールトンのフレームを持ち込み、ヘッドやボトムブラケット(クランクの軸受け)を交換してもらい、さらに組んでからもう一度持ち込んだりと、殆ど共同制作に近い状態でした。こういう無理を聞いてもらえることが、我々には一番有り難いのです。

- S店には、その後しばらくご無沙汰しています。最近のWCCでは、どんな感じで自転車を作っているのでしょう。


No. 0397 宮部寛(26期) 1999/07/01 00:01  [TOP]
田中先生 お久しぶりです。店は間違いなく王子のS店と思います。
しかし、最近は新人も「とき」のように減っているとのこと。1万人以上いる大学で1学年でサイクリングをやるやつが4人しかいないいうことはありえないと思うのですが。



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