【2003/03/01 - 03/31】

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 No.2078   小池 (28) 2003/03/31(Mon) 11:30  [TOP]

みなさんこんにちは。貝塚さんに続きめでたいご報告です。
さて来る4月6日に28期渋井信治君がめでたく結婚式をあげることになりました。
2次会を下記にて開催する予定になっておりますので、クラブOBの皆様の御出席をお待ち申し上げております。
参加表明は不要です。飛びこみ大歓迎です。渋井さんの巨ケツを久しぶりに拝みたい方は集合されたし!

日時:4月6日(日)17:30〜
場所:新宿住友ビル49階「メンバーズ・ギルド」(アシベパークではございません)

 No.2077   川村能正 (20) 2003/03/30(Sun) 21:53  [TOP]

そうですね、ここで宣言させていただいても良いのですよね、私も2日は是非うかがいます。

 No.2076   堀内   2003/03/30(Sun) 20:02  [TOP]

遅れ馳せながら貝塚さんおめでとうございます。2日は遅れるかもしれませんが、是非参上致したく思っております。

 No.2075   松永瑞穂 (41) 2003/03/28(Fri) 20:59  [TOP]

こんばんは、第41代主将の松永です。
さて春合宿ですが反省点は多々あるものの、大きな事故もなく無事終了いたしました。今回、浮き彫りになった問題点を今後の走りの糧として、より良いクラブにしていきたいと思います。

竹田が俺の前プラについて少し書いていますが、嘘・偽りなしに本当に大変な下見でした。なにせ私の担当は初日から三日目までだったんですが、初日の下見だけでなんと四日間もかかってしまう程でした。
剣山は見ノ越がハイライトだったのですが、西日本は近年まれに見る異常気象に見舞われ三月とは思えない寒さで(地元の人によると今年の三月は例年の真冬並の寒さだとか・・・)、大雪になってしまい地獄の雪中行軍を体験しました。
もちろん多少の雪は覚悟していましたが、予想を遥かに上回る猛吹雪で20cm以上の積雪でした。そんな状況なので当然自転車に乗るどころではなく、ひたすら手押しでした。
これ以上の不幸はないと思いながら歩いていたのですが、さらなる不幸におちいりました。なんと自転車が凍りついて動かなくなってしまったのです。
本来、自転車はハブの中に水が入らない限りタイヤが凍って動かなくなるなんて事はないので、おかしいと思い調べるとなんとハブの外部とフォークに大量の雪がまとわりつきその雪が日没後の零下の寒さで凍りつきタイヤを固定してしまっていました。
これは日がのぼらない限り解けないと判断しパッキングからテントと寝袋、そして持っていた食料を外し自転車をその場に乗り捨て徒歩で峠を目指しました。
峠に着けば観光地なので宿に泊まれる、シーズンオフだから営業はしてないかも知れないが管理人ぐらいいるはずだ、そしたら泣きついて助けてもらおう、と思い頑張ったのですが、突きつけられたのは誰一人としていない無人の観光地という現実。
土産屋のガラスを破壊して侵入しようかどうか本気で迷いました。
しかし、幸いこのような状況を想定して(まさか本当にそうなるとは思いませんでしたが)、衣類に関してはかなりの重装備だったのでこのままテントで寝ても死なないと判断し不法侵入はせずにビバークしました。
ちなみにこの時点で所持していた食料はカロリーメイト2本と未開封のチップスターのみ。その晩はカロリーメイトを1本だけ食べて寝ました。
翌朝は天気は良くはありませんでしたが、雪は降っていなかったので一安心しました。早速、最後の残るもう1本のカロリーメイトを食べて自転車を乗り捨てた地点まで下山しました。その地点についたのはお昼少し前ですでにかなり暖かくなっていたのでハブとフォークのまわりの氷もだいぶ解けていたので、復旧作業は思ったより楽でした。ドライバーをアイスピック代わりにして氷を破壊すること10分でとりあえず動かせる状態になりました。
そこで最後の食料チップスターを食べて、パッキングをし再び今度は自転車で見ノ越を目指しました。
その日は見ノ越を下ったところですぐに宿に泊まり体力の回復をはかりました。
見ノ越以降の下見はきわめて順調に進み助かりました。

とても苦労したコースでしたが、今となっては良い思い出です。結局、合宿で走るには危険だということでコース変更をしたのが本当に残念でした。
とても良いコースですのでオススメです。是非、夏に(←超重要!!)走ってみてください。

それでは、また。

 No.2074   岩橋 宏樹 (27) 2003/03/28(Fri) 13:56  [TOP]

チベットのスライドショー完全封切りしました。是非ご覧ください。
現役生諸君にはこれを新歓の宣伝材料として活用して欲しいと思います。
松村さんには大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

 No.2073   中川隆一 (26) 2003/03/22(Sat) 23:12  [TOP]

ごぶさたしております。
遅ればせながら貝塚さん、おめでとうございます。
さて、本日は私がNHK富山局の番組制作デスクとして
指揮をとりました番組のまたまた宣伝です。
イラク戦争で放送が一時延期されてしまっていたのですが、

NHK総合・24日午前0時30分〜0時55分全国・ステレオ放送
ドキュメンタリーシリーズ春・出発(たびだち)
「東京へ ぼくは"絵かき”になる」

を放送します。

路上で客のリクエストにあわせてダンボールに絵をかくというスタイルで富山で人気を呼んできた23歳の大学生画家が、
就職をせずに卒業とともに東京へ出てきて、
はてさてどうなることやら....という
若者のたびだちを見つめたドキュメンタリーです。

25分間の全編をデジカムで撮影、
しかも取材かつ撮影者は職員のディレクターではなく、
富山局の契約の制作補助の女の子(ようするにパートのねえちゃん)
でやりきるという、
保守的なNHKとしてはかなり異色のつくりを試みました。
そのため、編集やコメントも、
これまで小生が作り慣れてきた報道ドキュメンタリーとは
意識的に変えて作ってみました。

春の特別編成の中の地味な番組枠ですが、
ぜひお時間ある方はごらんいただければと思います。








 No.2072   竹田謙介 (41) 2003/03/21(Fri) 23:17  [TOP]

こんばんは。
第41代副将の竹田です。

おかげさまで第41代春合宿は事故なく終了いたしました。
主将・松永の命をかけた下見むなしく(これについてはそのうち彼みずから語ると思います。)、コース変更があったりしたものの全体としてはいい合宿に仕上がったのではないかと思います。

私自身としては課題も見つかりました。これを教訓に頑張ります。
では、今日はこのあたりで。

 No.2071   岩橋 (27) 2003/03/21(Fri) 01:35  [TOP]

僕のスライドショーの続きが公開されました。写真は前回はフィルム面についた埃を取り除くことができないままリリースしてしまいましたが、今回は埃を全て取って新装開店です。文章も渾身の力を込めて書きました。まだ未公開部分もありますが、とにかく新歓前にある程度の量をリリースできて良かったと思います。スライドショーでサイクリング人口が増えてくれれば幸いです。
ホームページ化する技術面は今回も松村さんに全てお願いいたしまいた。原稿をなかなか提出できないなど大変ご迷惑おかけしましたが、本当にありがとうございました。

 No.2070   高橋竜太郎 (29) 2003/03/20(Thu) 17:17  [TOP]

貝塚さん、本当におめでとうございます。
教頭先生とはいえ、担任以上に生徒たちをひきつける貝塚さんが
目に浮かぶようです。

さて。壮行会は谷澤さん中心に企画されています。
1日(火)と連絡していた方々、申し訳ありません。
谷澤さんと今お会いして相談の上、2日(水)に詳細下記となったことを、
取り急ぎ連絡させていただきます。

日時:4月2日(水)19:30(乾杯20:00)〜22:30エール
場所:金華大飯店(高田馬場駅前)
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0301/P053699.html
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.42.34.667&el=139.42.31.398&la=0

すでに、フクちゃんご夫妻はじめ20人が参加表明しておいでです。
ちょっと近年なかった盛大な会になりそうな予感ですね。
ご同期お誘いの上、ぜひぜひご参加ください。

 No.2069   橋本 尚武 (24) 2003/03/16(Sun) 19:33  [TOP]

貝塚へ

ニューヨーク赴任おめでとう!
貝塚の熱心とアグレッシブさはきっと米国でも成功すると思っています。とにかくNYでの活躍を祈念しています。
私が駐在した97年〜2000年の春まではちょうど米国ITバブルの時でした。とにかく日系駐在員も多く、仕事も24時間体制でハードだった気がします。9・11(テロ)以降は時代も変わり、経済リセッションの時期ですが、むしろ今のタイミングの方がアメリカの素顔や歴史、生の人々の生活といったものが垣間見れるかも知れません。
もちろん教育者としてのNYチャレンジは経済人のそれとは異なるかもしれませんが、NYはスピード&生活スタイル、自然環境どれをとっても本当に人生にインパクトをもたらしてくれました。家族の方々にも第二の故郷となるでしょうし、将来に渡り影響を与えてくれるものと思います。
当時は素晴らしい先輩や後輩のWCCメンバーが揃っていて、阿部さん(NY群馬銀行)蒲本さん(NY大日本Printing)、吉田工さん(住友海上)、途中から出張で中本さん、サンフランシスコでは片山君が駐在されておりました。(NY稲門OB会でも同一クラブで最大メンバー)
ぜひ、ハドソン川周辺を自転車で早朝走ってみてください。私もマウンテンバイクでFort Lee(吉田君が住んでいた日系駐在員が多い街)や
CliffSide Park(私の住んでいた街)を休日に走りましたが、サイクリストの多いこと! 山の方はポコノ山(車で3時間程度内陸部に入る)なんかに夏に行きましたが、気軽にアウトドアが楽しめるところも米国の良さの一つだと思います。
最後に貝塚の本業である教育関係は、米国補習校の中でもNYのご子弟は結構レベルが高いと言われています。(まあ本当に米国式英才教育システムや日本とのパブリックスクールの違いは実感されると思います)この教育システムの違いは日本に戻ってきても日々改善すべきと痛感するのですが、その部分は貝塚がぜひブレイクできる経験と実績を引っさげて、日本の教育界に新風を吹き込んでくれることを期待しています。
それでは、またアメリカで再会したいと思っています。See You!

 No.2068   貝塚へ fm 蒲本 (22) 2003/03/15(Sat) 09:08  [TOP]


貝塚へ
先ずはCongratuations!!

持前の気合と深い愛情で、身体に気をつけて頑張ってください。
3年間の米国生活はご家族にとっても何モノにも替えがたい経験
になると思います。
マンハッタンから車で30分の高級住宅地なら、ホワイトプレーンズか
フォートリー辺りでしょうか?大変でしょうが羨ましい限りです。

現地4人の派遣教員で対応する現地教師の管理、指導と学校運営、事務
と大変ですね。しかし補修(授業)校は現地日本人の子息にとっては
帰国後の学力と生活習慣上の補完を含めて必要不可欠な重要な機能と
実感します。
そういった意味でも意義ある仕事ですね。
しかし、”教頭先生”か・・・・赤シャツでも着て頑張ってください。

私もNY駐在を終えた後も仕事上、年に何回かはNY出張しています。
落ち着かれたら、連絡先を教えて下さい。
98〜00年、当時駐在していた阿部(同期)、橋本君(24期)、吉田君
(25期?)とよく悪戯した辺り遊びましょう!

 No.2067   守8 (5) 2003/03/15(Sat) 08:16  [TOP]

おはようございます 貝塚くん、「くん」なんて 先生に 馴れ馴れ
しくて失礼でしょうが 御容赦ください。
ニューヨーク赴任 おめでとうございます!!! ここ数日 多忙の
為 私用ノートを拝見して居らず 先ほど 拝見した次第です。
仕事は 先生の先生でしょうか? 児童・生徒さんとは 直に 関わ
る機会が少ないのかな? と思いますが ニューヨークに居る為 日本
を知る事や感じる事の出来ない少年少女に 日本の 新潟の 早稲田の
文化を伝えて戴きたいと思います。
ところで 4月4日は 生憎 W四四なる会合が在り 初台の東京オ
ペラシティタワー18階で酔っ払う予定なので 御見送りが出来ません
が 旅の御無事を祈願させて戴きます。
ニューヨークに着任されても この私用ノートに 是非 アクセスし
て下さい、では♪

 No.2066   貝塚 敦 (24) 2003/03/13(Thu) 02:58  [TOP]

皆様ごぶさたしております。

私こと、今般文部科学省からの委嘱を受け、
4月からアメリカ合衆国のニューヨーク補習授業校に
家族ともども赴任することになりました。

「補習授業校」というのは日本人学校と違ってなじみが薄い
かもしれませんので、多少ご説明を。
現在全世界には、約5万人の日本人海外子女がいます。
その約3分の1は現地の日本人学校に通っていますが
その他は様々な理由で現地の学校や国際学校等に通っています。
そういった子に対して、日本語での学習を補うために
週に一度(土曜日)日本語で授業を行なう教育施設が
補習授業校です。

世界全体では、実は日本人学校96校に対して、補習授業校188校と
圧倒的に多いのです。しかし、日本人学校が文部科学省から派遣される
日本人の先生がすべて授業をするのに対して、補習授業校は現地採用の
臨時職員(アメリカ人のご主人と国際結婚し永住している日本人など)
が教師です。
そこで、生徒数が多く世界の拠点である限られた数校の補習授業校には、
日本人学校と同様に、文部科学省から日本人教員が派遣されるのです。
ニューヨーク補習授業校は、世界で最大規模(生徒数約1000人)の
補習授業校であり、私を含めた4人の派遣教員で、現地教師約60人の
管理・指導、学校運営全般・その他事務雑務諸々を行ないます。
4人の派遣教員のうち一人は校長で、私を含めた3人は現地で「教頭先生」
と呼ばれます。(また日本に戻ってくればヒラですが。)
したがって、教師でありながら授業は全くしません。現地職員との
人間関係の構築と事務仕事がすべてです。

4月4日の午後の便で旅発ち、3年間の赴任予定です。
マンハッタンから車で30分程度の、いわゆる高級住宅街の一軒家に
住むことになりました。
文部科学省の面接時に、学生時代の海外旅行のことをずいぶん聞かれたので
赴任先はアフリカ・南米あたりだと思ってましたが、ふたを開けてみれば・・・・。でもいまやニューヨークは世界で一番危険な都市ですね。

1月末に内示を受け、研修や渡航準備・学校の年度末業務に終われ
毎日本当に忙しく、この1ヶ月は平均睡眠時間は4時間くらいで、
ご報告もこのように遅くなってしまいました。

渡航前にもクラブの皆さんと飲む機会がもてればいいのですが
どうなることやら。

今回の件に関し、いろいろご助言・情報提供をしてくださった、守谷先輩・
重松君をはじめクラブ関係者にあらためて感謝申し上げます。



 No.2065   松永瑞穂 (41) 2003/03/03(Mon) 06:25  [TOP]

おはようございます。
41代主将の松永です、これから下見兼前プラに出発いたします。
下見が終わるまで前プラのプランは決まらないのですが
合宿・前プラともに楽しんで来たいと思います。
では、また。